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愛しのブエナビスタソシアルクラブ

本題に入る前に。オークションサイトで1億5000万円で落札された作品を、落札された直後にシュレッダーにかけたことで日本でも一躍有名になったバンクシー。

その認知度が手伝って、最近日本でもらしき作品が見つかり話題に。しかし、日本のワイドショーに取り上げられると、なんだかチープ感出るこの国はすごい。 シュレッダー事件に対しての本人のコメントはピカソの言葉を引用していた。

「いかなる創造活動も、はじめは破壊活動からはじまる。」

というように、アート的破壊活動であり、また権威や金持ちや所有欲へのNoでもあった。

今回の騒動が日本での知名度を上げ、小池百合子が可愛いねずみさん的な感じで取り上げてマスメディアのおかずになる感じ。消費されてる感はんぱなく、何とも言えない気持ちになる。しかしかく言う自分もそんなに詳しいわけではないからこれ以上深く語らない。それでも日本のマスメディアでバンクシーを知った1%の子供でも意識が変わっていけば素晴らしいことだとは思いますが。

そして、一人歩きで有名になってしまう現象というのはそれこそYouTuberの時代や炎上の時代において往々にしてあるのだけれど、素晴らしい本質以上に熱が上がりすぎた現象として、ブエナビスタソシアルクラブもそうなのかもしれない。というか2018年公開の続編のブエナビスタソシアルクラブアディオスはそう言った投げかけを放っていて、冷や水をかけられた感があったのだ。

※以下わりとネタバレ的な書き方ですが、別にオチのある話でもないので気になる方以外はご一読を※

オリジナルのストーリーは、引退して老いぼれたキューバのミュージシャンをかき集めて演奏させたら、引退なんて信じられないくらいの実力を兼ねそろえていて、現役時代を遥かに仰ぐ人気者になってしまうという痛快な話だ。

1990年代の終わりに世界的ムーブメントとなったキューバ音楽の決定版ドキュメンタリー。そして実際に音楽がすばらしいだけでなく、彼等が音楽を続けられなかった政治的背景などが綴られ、屈折の人生にもこんな美しい花が開くことがあるのかと、世界中が涙した。その人生の逆転劇の痛快さもさることながら、ミュージシャンたちのキャラ立ちも半端なく、一人一人の顔のしわやしゃべり方を見ているだけで胸が熱いのだ。

アメリカのミュージシャン、ライクーダーがそのリボーンのきっかけを、そしてその現象に何か特別なものを感じていたライクーダーのアトモスフィアにインプレッションを抱いたロードムービーの巨匠ヴィムヴェンダースによる映画化で、彼等は世界中から引っ張りだことなる。エンタメ大国アメリカと国交断絶していたキューバのある種再発見なのである。 しかし、こんなに好きだと言いつつ、昨年公開された続編を観逃していた不届き者は早稲田松竹公開を待った。そして、今週観てきました。

相変わらずラテン特有なのか、オープンマインドで心情をさらけ出す人間の美しさがそこにはあった。

一人一人をフィーチャーし、物語をあぶり出す手法を継承しつつ、映画以降の彼らも描いていて、ある種ドキュメンタリーであったブエナビスタソシアルクラブを、斜めから構えてドキュメンタリー的な形で作っているのもユニークであった。

特に今回特筆すべきはスペインからの植民地時代、アメリカマフィアの傀儡政権時代、カストロによる革命とその後の混迷というキューバの歴史を添えて語られるストーリー。これは、この人たちがただ異国の地の独特の環境で生まれた天然記念物的存在ではなく、厳しい社会情勢に翻弄されながら生まれた苦しみの音楽であることを語る。

そしてオリジナル版公開以降も高年齢にもかかわらず体に鞭打ち精力的に活動する彼らはとてもとても人生を大事にしていた。やりたかった音楽ができる喜びたるや。

一方で、私たちの苦しみの音楽がこの世界中の人たちに本当にわかるのだろうか?という投げかけが冒頭で行われている。

彼らがミュージシャンとして評価され、みんなに愛されればされるほど、共産主義国の政策により諦めざるをえなかった音楽活動への悲しみも逆に深く深く見えてくるようであった。

一度資本主義世界で商品化されると、瞬く間に大衆に広がる感じが、あまりにも共産主義の中での彼らの立ち位置の過酷さと対比され、なんとも言えない切なさを感じてしまったのである。そして、ニルバーナのカートコバーンが過酷なライブツアーやセールスで磨り減っていったように、華々しい商業化にはどこか虚しさもつきまとうもので、もしかしたら、そんか疑問も彼らのなかで生じていたのかもしれない。

そんな気持ちを想起させるためか、今回の映画は彼らの過去をより深掘りすることで、もう少し彼らの心のうちに近づけられるような作りになっている。 そして、彼らはそんな葛藤をかかえながらも、最後のツアーであるアディオス(サヨナラ)ツアーへと旅立つのであった。

結局いろいろな葛藤があるのだけも、そんな共産主義と資本主義の狭間で揺れた彼らの人生において開いた遅咲きの花、彼らのステージパフォーマンスは最高につきる。そして、どこかに闇がありつつも、陽気な彼らのキャラクターに深い愛を抱いてしまう。

今が最高の人生、それが最高ではないか!

思い出すだけで涙腺やばいのですが、彼らがその後どうなったのかは映画を見ていただきたい。個人的にはもはやスターウォーズのサーガ的な世界観までをも彼らに感じてしまい、なんだかもう感謝しかないです。そして、自分なりの人生の祝福の仕方を見つけたいと強く思わされるのです。

負の遺産をかかえながらも、力強く生きた彼らの人生自体がアートでした。


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