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ホバークラフト作ってみたよ!【第13話】

このお話は、物語でなく実話です

モノづくりが好きな人は楽しめると思います。何を作ったかというと、パーソナルホバークラフト…しかもキャビン付き…???そんなの見たことないんだけど…それもそのはず、このパーソナルホバークラフトは、80年代のお話しなんです。今回はその13回目です^^


INDEX

  1. 自動車屋が創ったホバークラフト

  2. “ほな、やりまひょか”

  3. “なかなかイイじゃないか” 

  4. 強制操舵 ・ 非常ブレーキ、‟何やそれ ?”

  5. 自動車エンジニアが設計したら、エアクッションヴィークルはこうなる

  6. スタイリングだけじゃなく、センスが良いカラリングで行こう

  7. 1年がかりの 「設計承認」

  8. 放映日ギリギリのきわどい撮影

  9. 久米島 ・ イーフビーチが呼んでいる

  10. 撮影日がシェイクダウン航行 “トホホ‥‥(汗)”

  11. マーケティングもイノベイティブに

  12. ものすごいパブリシティに、業界も騒然

  13. 初めて見るエアクッションヴィークルに大興奮

  14. “カタログもハイセンスね”

  15. 世界に144個しかないジッポー SENSOR ACV 300 S ライター

  16. 販売会社設定に全国へ旅ガラス

  17. 海を汚さないエンジンオイル

  18. これぞ逆転の発想 ・ エンジン倒立搭載

  19. ‟ブルネイ王室ご用達~ !”

  20. トランポだってお洒落に

  21. レースに初出場、ノーマル艇でトップ

  22. “フロリダで生産して、アメリカとカナダで売らせてくれ”

  23. アメリカへ旅立った SENSOR ACV 300

  24. フロリダ州の新天地で

21.レースに初出場、ノーマル艇でトップ

 自分で言うのも何だけど、ま~とにかく、SENSOR ACV 300 のパブリシティ (報道による広報) は凄かった。すべて人様のお陰で自慢ではないが、世の中には面白くない人がいたのかな。

 日本のホバークラフト市場は、トップメーカーの住友重機がほぼ独占していて、人を通じて連絡が来た。“SENSOR ACV 300 がそんなに凄いなら、ホバークラフトレースに出て来いよ !” という。寝耳に水 (思いもよらないこと) の話だったね。

一介の中小企業が青息吐息 (あおいきといき:ため息が出る状況) で慎ましくやってることだし、端から住友重機にケンカを売るつもりはない。何か、お気に触ることがあったのかな ?


ホバークラフトのレースの様子1

 開発途上から、いずれ世界選手権レースに出ようという考えはあったが、国内レースはノーマークだし意識の中に無かった。自動車レースでは、フォミュラやグランチャンピオンレースでいろいろなことをやって来たので、レースのABCは承知している。

  “ま~そうおっしゃるなら、ひとつお手合わせ願おうか” と、日本選手権レースに出場することにした。でも住友重機は、市販製品のエンジンをチューンナップし (簡単に言えば高出力化)、ボディを軽量化し、地面 ・ 水面に接するスカートはスペシャル仕様だ。 このスペシャルファクトリー艇を6台出場させ、ほとんどの国内レースは独壇場 (どくだんじょう:群を抜いて活躍している) で、上位6台はすべてスペシャルファクトリー艇だったこともあったと聞いている。 SENSOR ACV 300 は立ち上がったばかりで、やる仕事もたくさんあるし、仮にスペシャル艇を開発するとしても、たいへんな時間と費用が掛かる‥‥どうするかと思案した。

  ‟よし、どうせ出るなら一捻りしよう” と市販製品そのままでノーマル艇の 300 S と 300 U を2台出場させることにした。住友重機のスペシャルファクトリー艇と、ノーマルの SENSOR ACV 300 S & U とでどれくらいの差があるのかも興味があった。

 日本ホバークラフト選手権レースは、群馬県と埼玉県の境にある利根川の河川敷で行われた。ここは、行政からも公認されていて、河川敷と河原を何回か出入りする格好のレーシングコースになっていた。 日本中のホバークラフトスペシャリストたちが集結しているから、トランスポーターから降ろしてパドック(整備 ・ 点検をするエリア) に並べると、たちまち人が集まって、眺めまわしたり質問が相次いだ。中には ‟レースが終わってから乗せてくれ” という申し出も多かった。

レースの様子2

 さてレースだが、SENSOR ACV 300 S は、デモ走行や試乗会でドライバーを勤めてくれているS君のドライブだ。彼は、あるメーカーのファクトリードライバーだったが、志願してくれて事実上 SENSOR のファクトリードライバーになった。SENSOR ACV 300 U は、ホバークラフト愛好家でレースにも出場してSENSOR ACV 300 の大ファンでもあるT君に乗ってもらった。

 レースがスタートすると、何と、住友重機のファクトリースペシャル艇2台と SENSOR ACV 300 S がトップ集団を形成して絡んでいる。水上のパイロンターンなんかでも、SENSR ACV 300 S がインを差して一歩も譲らない。自動車レースでもそうだが、自チームのマシンが活躍していると大興奮だ。 レース結果は、SENSOR ACV 300 S が3位 ・ 300U が7位で、初出場で市販製品のままのノーマル艇が誰も想像しなかったポジションを占めたから、業界は再び騒然となった。

市販品のままレースに出場、好成績を収めた!

 レースが終了してからパドックには再び愛好家たちが押し寄せ、‟試乗させて欲しい” とか ‟ディーラーになりたい” というありがたいお申し出を頂いたが、ある計画があって機会を改めて頂くことにした。

 物事は何でも、思うだけ ・ 観るだけ ・ 言うだけじゃなく、‟実際にやってみる” と想定外の展開があるし、とても面白いね。


ACV300 S のコクピットの様子

22.”フロリダで生産して、アメリカで売らせてくれ”

 全日本選手権レースが終わったあと、SENSOR ACV 300 の運命を決める大きな出来事が待っていた。TV ・ 雑誌などでものすごいパブリシティ (報道機関による 広報) がされたとき、世界最大のホバークラフトメーカー SCAT から ‟SENSOR ACV 300 に乗る機会を創って欲しい” と連絡が来ていた。

SCAT社製のパーソナルホバークラフト

 SCAT (スキャット) はアメリカのフロリダ州に本拠を置いて、小型スポーツホバークラフトから大型軍用艇にいたる幅広い製品をラインナップし、押しも押されぬ世界最大メーカーだった。

 日本選手権レースに出場を決めたころ、‟SCAT がシンガポールの資本に買収され、創業メンバーの技術部長と営業部長が方針に賛同できず、独立して、新会社 HOVERCRADT CONCEPTS (ホバークラフト ・ コンセプツ) を立ち上げる” という。

 以前から SENSOR ACV 300 を評価していたし、‟乗りたい” という希望も聞いていたから、よし、このチャンスだと思い、“日本へ乗りに来ないか、レースが終わったあとその場で乗ればイイ” と提案したら、即座に返事が来たので、密かに招聘していた。

 日本のホバークラフトレースの盛況さにもビックリしていたが、レース展開を食い入るように観ていたから、同時に SENSOR ACV 300 の 性能や運動性を観察していたのが垣間見えた。 日本選手権レースが終わったとき、‟ファクトリー仕様のスペシャル艇と同等以上のfantastic (感動的)な製品だ。加速もトップスピードも素晴らしいし、Maneuverability (マヌーバビリティ:(運動性能) もとてもシャープだ” と大きく評価した。待ちきれない様子で乗り込み、技術部長 ・ 営業部長それぞれに相当な時間を掛けて SENSOR ACV 300 S と 300 U の両方に試乗した。

レース会場での試乗(レース後の即興イベント)

 技術部長は、最初スロースピードで舵の応答性と挙動を確かめ、フルスロットル航行に移ると、すぐに凄腕の持主だと解かった。SCAT でもレースに出場して、優勝や上位入賞の常連だっという。 90° スライド航行に持って行くキッカケの作り方、地面から水面 ・ 水面から地面へ移動するときの速さと安定性 ・ スラロームや180°ターンのコントロール技術‥‥そりゃ凄いもので、世界的なトップドライバーだと言っても過言じゃないスーパーテクニックだ。

 レースの後片付けをしていた出場者たちも、‟何だアイツら、何者だ” とばかりポカ~ンとして見惚れていた。営業部長も、技術部長に勝るとも劣らないハイテクニックの持ち主で、だったら SENSOR ACV のファクトリードライバーで出場してもらえば良かった (もち、4艇出場)。

 パドックに戻って、さまざまな質問が来た。すべて的確に回答すると、技術部長と営業部長が、場所を変えて2人で相談している。一部の図面も渡してあるから、かなり突っ込んだ協議をしているようだ。 2人が戻ってきたら、“SENSOR ACV 300 U をフロリダで製造販売させてくれ !” という熱意あるプロポーズを受けて縁談がまとまった。1人乗りジェットファイターキャノピー付きの SENSOR ACV 300 S は、アメリカの一般ユーザーの使い方には合わないという。 こうした経緯から、SENSOR ACV 300 はアメリカへお嫁入りすることになったのだが、この背景には、ある大きな事情があった。次回のストーリーで明かすが、‟それでいいのだ” と思っている。 あれこれ段取り付けして日が過ぎたあと、 ♪・・・赤い靴は~いてた女の子・・・横浜の港からお船に乗って・・・♪ 行っちゃった。一緒に行きたかったな~。

久米島のイーフビーチにて…PR動画撮影時の様子 次回は最終回です!

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まとめ
意外な展開がありそうですね…次回でこのシリーズは最終回となりますが最後までお楽しみください。この記事好きだなと思いましたら、”スキ”を押していただけますと幸いです。

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