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KANA-BOONが懐メロになる頃

昔聴いてた曲って懐かしいですよね。

小泉文法のつもりはないですが
やっぱ中高生の時に好きだった曲って一生物やんなってつくづく思います。

今でも好きな曲やカッコいいって思える曲はいっぱいあって、一因としてサブスクのおかげで無作為に無数の曲に出会えるようになったのがあると思います。
(自分で無作為の中から選んでいるような錯覚をしていて、実は限定的で作為的な“選択”をしている、、という話は一旦置いときます。)

今や当たり前になってきた音楽のサブスクですが、それがなかった時代のこと覚えてますでしょうか。

当時高校生の私は、週7の部活に明け暮れ、なけなしのお小遣いしか所持してなかったため、
夕暮れ時、駅前のTSUTAYAさんで、
CD5枚1000円レンタルに大変お世話になりました。
ビートルズやセックス・ピストルズなんかはまだ分からなく、発売したてのMUSICAやRock'in on Japanから情報を仕入れ、お目当ての邦ロック4枚+雑誌枠1枚を借りるのです。

数ある中から選ばれた5枚というのは、
自分にとってとても価値のあるもので、
とにかーく聞いた。授業中ですら、制服の裏にイヤホン潜ませて聞いた。
(ってか今の子は無線で聴けていいな?)
時には歌詞を考察し、物思いに耽り、高ぶった感情をそのまま文字にして暗黒のノート(メモ帳)に記し、後の黒歴史をも生み出した。

KANA-BOON 「ないものねだり」

そんな痛々しい時期の真っ最中に、KANA-BOONの「ないものねだり」は発表されました。
古参ぶるわけではないが、YouTubeの再生回数は4000いってないくらいの時にMVを見つけ、髪型ヤバいし変な名前やな、でも曲は好き!って思いました。(ちなみにゲスもそんな感じだった。)

ただドハマりするわけでもなく、雑誌に出てきたらチェックするレベルで止まってたんですが、
ウォーリーヒーローやら盛者必衰やら、色々出てくるうちに“邦ロックの一般教養”として嗜むようになってきた。

KANA-BOON 「ウォーリーヒーロー」

いつしか“邦ロック”なんて言葉が浸透し、カナブーンはその代表的なバンドになっていました。
同様“ないものねだり”はこれでもかというくらいPushされ、邦ロックキッズやマスメディアにより看板や広告塔のように仕立てられ、消費された。少し離れたとこからの意見ですが、そう感じてます。

そんな“ないものねだり”、久しぶりにYouTubeで見かけて聴いたら、冒頭の通り、なつかしいぃーー!ってなったんです。そしてなんともうすぐ1億回再生に迫る再生回数だったんです。
YouTubeが栄える今日において、数字に麻痺した感覚では1億回の凄さが伝わりにくいかもですが、当時インディーズのMVが1億回ってのはまじで凄いです。断定形です。

さらにさらに、リリースはなんと8年前。正直こっちもかなり驚きました。これほど時の流れを感じることはそうそうないです。コメント欄に12歳のぼくが20歳になっても聞いてますー的なのがあって、8年って月日はすげぇってなりました。

KANA-BOON 「盛者必衰の理、お断り」

10代の1年1年というのは非常に濃く短く、8年という歳月は今の私にとって、自分を構成したほぼ全てといっても過言ではないほど重要な時間でした。
この間カナブーンさんも、色々あったと思います。ロッキンのグラスステージに立ったり、TVデビューを果たしたり、めしだがいなくなったり、鮪くんすらも怪しい時期があったり。

「盛者必衰~」のMVにも、いつかの自分のごとく熱を帯びたコメントがたくさんあって、それ含めて懐かしかったんですが、この少し遊び心ある曲をカナブーン流のロックアンセムだって感じる人は少なそうで寂しくも思いました。

というのも、当時人気うなぎ登り、フェスに引っ張りだこな4人が、この人気を一時期的なものとせず、このままトップを走ってやる!という強い意志と自信と彼らなりのユーモアを含んだ曲、という認識を持ってるからです。独断と偏見です。
でも当時の音楽雑誌やラジオでもそのような紹介をされていて、そんな変化球的な表現が、痛々しさ真っ盛りの私にはストライクでした。

あれから長い歳月が経った今、そんな背景を含め改めて盛者必衰~を聴くと、“時代”を感じました。
それは前述の通り、カナブーンが邦ロックのトップを走っていた10年代前半、邦ロック最盛期の話です。今のカナブーンを否定するつもりは一切ないです。ただ、やはり聴衆≒大衆の作用による流行り廃りはお断り出来ず、シーンは移り変わる、という理を思い知らされます。ゆえに“時代”を感じるのかも知れません。

こんな話は、その当時のカナブーンやら若いバンドシーンやらをある程度知ったうえでの内輪的な話だとは思うんですが、もしその感覚がある人達からすると、カナブーンの曲はある一定数の人達の思い出や“時代”を思い起こさせる、懐メロ的存在になってきたと、未だ痛々しい私は、思ったんです。
とどまる事を知らない時の流れと
移り変わるシーンのせいです。

酔狂な文しか打てないのは夏のせいにして寝ます。モンモンモコモコの夏なんです。

参考
~懐メロの例~

YUI 「CHE.R.RY」