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スーパービジョンから考える気づきの営み

つい、先日スーパービジョンについて考えさせられることがありました。
施設長からの「スーパービジョンの課題ってなんだろうね?」という何気ない一言からだったのです。なんだか大学のセンセイとのやり取りから、実践者にも聞いてみたいことだったとか。
むむ、難しい質問。
その場は、自分の中にある言葉でディスカッションをして終えました。その後、難しい質問と感じたことがひっかかり少し考えていました。何に引っかかっていたのかというと、スーパービジョンが何たるかについて分からなかったのではなく、スーパービジョンにある課題が答えられなかったからではなく、スーパービジョンを学生や部下に対して行っているがうまくできている自信がなかったということに気づきました。
うまくできている自信がないという部分にこそ、スーパービジョンの課題があるのではないかと考えたです。

「うまくできている自信がない」

この感情は、果たして私のみが個人的に抱えている感情でしょうか?割合、自分自身がネガティブ&ぼっち好きなのでそう考えやすい正確ではありますが、おそらく多くの方がスーパーバイザーとしての役割や経験を持ちながらも同じくようにうまくできている自信がないと瞬間的にでも感じたことがあるのではないかと思います。(私はぼっち好きではありますが、どこかで共感を得ることで安心したい人間です。なので共感してくれると安心します。)
さて、個人的な感情はさておき、うまくできている自信がないことを深掘りたいと思います。

スーパービジョンって?

当たり前のようにスーパービジョンって言ってしまってすみません。この言葉を知らない方もいると思いますので、簡単に説明します。
まず、ことばの響きがなんだかスペシャルで強そうですよね。私は、最初この言葉を聞いたときは、先を見通せるスーパーな視点や考え方を習得するようなイメージを持ちました。よくわからないですが、とにかくスーパーな感じです。でも今思うと近からず、遠からずなインスピレーションだったのかもしれません。

スーパービジョン:社会福祉施設・期間において実施されるスーパーバイザーによるスーパーバイジーに対する管理的・教育的・指示的昨日を遂行していく過程のこと」です。
※参考:社会福祉用語辞典 第9版より

また、歴史的な文脈からみると
①多様化・複雑化してきた社会課題に対してソーシャルワーカーの臨床家訓練としてスキルの向上(教育機能)
②多発的な社会問題に求められた効率化の視点(管理的機能)
③ストレスや燃え尽きなどの課題(支持的機能)
スーパービジョンの軸である3大機能に絡めてはみましたが、かなりざっくりとした説明になりましたね。現代だと、専門家もしくは組織養成におけるスーパービジョン機能が必要になり、さらにスーパービジョンが展開される意義が浸透して拡大していきました。例えば、社会福祉士養成における実習生の受け入れも拡大してますよね。実習時間の拡大とか。これはこれで、受け入れ側にとっても大変な課題です。ほんと。
ちょっと話が逸れそうなので戻します。

それぞれの役割の中で

スーパービジョンというセッションが繰り広げられる上では、役割をはっきりとそれぞれが認識する必要があります。スーパーバイザー(気づきを与えるに務める役割)とスーパーバイジー(気づきを与えられることを求める役割)です。学校の先生(教える人)と生徒(教わる人)とはニュアンスが若干異なります。そして、スーパービジョンを行うにおいて、正式には契約を取り交わします。福祉の世界で個人の成長における面談を持つときに契約の取り交わしがあることにちょっとびっくりじゃないですか?
でも、この枠組みは非常に大事です。学びのために個人のやる気だけではなく、形式的に責任を負う環境に身を置くことで吸収力が全然異なります。筋トレでもジムにお金を払ってしまうことで強制力を働かせて自分を奮い立たせるのと似てますね。エンパワメントの要素があるとも言えます。その他、スーパーバイザーとスーパーバイジーの対等な関係性の確保され、相互に合意形成を図りながら、作用していく効果も期待できます。スーパーバイザーが一方的に教えたり、成り代わって問題を解決するのではなく、スーパーバイザーから発信される悩みやジレンマなどを共有しながら、積極的に違いが関与していくことで気づきが深まります。契約は協働作業であることを具体化してくれるのです。

スーパーバイザーは責任重大!?

私もスーパービジョンを行うスーパーバイザー的な役割を担うことがあります。もちろん、スーパーバイジーも経験してきました。そこで感じたのは、「教えるなんて滅相もございません。年上になんて無理無理。そもそも教えるスキル無いんだけど。自信ないわ~。」出ましたネガティブ根性。
周りに聞いたところ意外と多い。というより、何でも聞いてくれ!という人のほうが少ないかもしれません。「教える」に囚われてしまうと苦しいですが、スーパーバイザーの役割は気づきを与えるに務めると考えるとどうでしょう?少し気が楽になりません?
気づきを与えるのではなく、それに務めるのです。完璧に正しい知識を教える必要もないと思います。対話の中からスーパーバイザーがなりたい自分に一緒に近づいていく作業だと思います。スーパーバイジーは積極的に気づこうとしてくれる優しい役割です。
そう、スーパービジョンは共働作業なのです。

気づきを与えられる、与えるという関係性

気づきを得ることは、何も自分の中にない感覚や言葉、経験などをゼロイチで作り出す作業ではありません。スーパーバイジーの経験値や能力に応じて言葉や感情を引き出しながら、言語化していく過程を意図的にスーパーバイザーは展開していく必要があります。そう考えると、日常的に子育てや部活の先輩後輩の関係などにも繋がる部分があります。ビジネスの世界ではコンサルテーション、OJTなども性質が重なる部分があります。スーパービジョンがスーパービジョンたる輪郭をはっきりとさせるとすれば、実務的だったり実践の成果にスポットを当てるのではなく、スパーバイジーの人間力の成長や気づきを意図的に与えてくれる営みであるということだと思います。

恋人と別れた友人の愚痴を聞くことだって広い意味では、スーパービジョンになるかもしれませんね。一部、専門職からは専門性の有無という視点から怒られてしまうかもしれませんが。
身近な人の話を伴奏的に聞く。そのことで、聞いてもらった人自身が気づくことができて前に進むための一歩が踏み出せたら、それはやっぱり立派なスーパービジョンだと私は思うのです。踏み出せなかったとしてもそこに立ちすくむ人に寄り添うことも結果的には、スーパービジョンの支持的役割を発揮しているに違いないです。

日常の中にスーパービジョンは散りばめられています。


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