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短編小説その23「眠る月」

      眠る月

月が眠っている。トタン屋根に登って月にたどり着くと、揺り籠の中に月は眠っていて美しい顔を覗かせている。まるで幼子のようで、少女のようでもあり麗しい女のようでもある。そっと寝かせて置こう、起こさなければならない理由などない。月を徘徊すれば、揺り籠に眠りながら月はその姿を少しずつ明らかにしてくる。ああ、そうだったのかと昨日のことのように思い出す。月は殺されたのである。身ぐるみ剥がされて辱めを受けて川に流されたのである。砂地に捨てられたのである。どうあっても良いがどうあっても良くはないけれど、徘徊する月の表面はざらざらとして歩くと足音が砂のようにこぼれ落ちる。こぼれ落ちた砂時計の砂が光に反射して地面に広がっている。地面が浮いているためか光に反射した砂が浮き上がって見えるためか良く分からないが、月の全体は薄暮の中にそっと浮かんでいて眠っている。決して死んではいない。死ぬはずなどない。殺されることもない。誰が殺されたと言ったか、むしろ残酷に私が殺したと言った方が正しく聞こえるだろう。青い地平線からは昇り立ての地球が見える。きっと月とは異なった球体であるに違いない。少しずつ上体を昇らせて眠る月の向こう側に身をさらけ出してくる。少しずつ近寄っているのか、不明点は私が何処にいるかということではない。もうどこであっても徘徊は止めよう、月の姿も地球の姿も見飽きている。というより関心を失っている。ただ眠る月の美しい姿を女のような妖しい寝姿を見たいだけである。もう戻ろう。何処へと月が眠るこの宙の青ざめた地平線が見えるトタン屋根に戻るのである。


トタン屋根では猫が焼かれている。猫が盛りをつけて徘徊し撲殺されている。うるさくて邪魔なためである。要らぬお世話に猫が屋根から転げ落ちて籠の中の幼子を齧るためである。この宙の屋根の付いた屋敷から猫を遠くに追放するか完全に消却する必要がある。哀れであっても致し方ない。今しがた揺り籠にて寝入った月の邪魔をしてはいけない。殺された月の残された体を齧られてはいけない。猫どもを追放すると静かである。昼でも夜でもない地平線など見えないこの宙の死んだような静かさの内に安らぐことができる。美しい女の月も安らいで眠ることができる。何の夢さえなくて暗黒の夜空に地球の影さえ浮かんでこない、この揺り籠の内にて死んだように誰もが眠ることができる。この夜は寂寞として一つの砂粒の音さえしない。きっと死人さえ足音を立てずに宙の彼方に息を潜めて隠れている。あの時、地平線の彼方に美しい女を連れだして猫と一緒に殺したのは私だったのかもしれない。嘘であっても私であって欲しい。眠る月を作り出したのは私である、そうと言って夜伽話のネタを仕入れようとする。私はトタン屋根の上に寝転がえりながら憧れの月を眺めている。どうあっても憧れている。その美しさをものにしたいわけでも、虜となって脚を舐める下僕になりたいわけでもない。ウサギの踊りを楽しみ遠くの憧れの月を眺めながら、もはやこの月にたどり着いてその傍らにいる。私の手の先に触れる肌は美しい月のざらざらとした肌であり、殺したくなる粒状に広がって光を反射する砂地である。


マシンは力を入れなくても作動する。マシンはハンドルを握れば力強く闘争する。この月の大地にエンジン音を響かせて軽々と飛び越えるのである。この宙へと月の眠りを覚ますように飛躍して曲芸飛行を行う。円を描いてサーカスを演じると直線を走行しては戻ってくる。砂埃が舞うわけではない。光の粒子が屈折して乱反射するわけではない。水平線から昇って来る地球を貫通して破壊するわけではない。ただマシンのエンジン音の轟きと美しさが線と音となって模様を描いている。誰にも見て欲しいわけではないが、見目麗しい月なるあなたには目覚めていてじっくりと眺めて欲しい。曲芸飛行を楽しんで欲しい。あなたのためだけに行うのである、あなたの眺める視線が欲しい。優しさのこもった瞳の輝きが欲しい。でもあなたなる月は揺り籠の内にて眠っている。永久の眠りについていて目覚めることがない。首を絞めて呻き声を聞きながら殺したわけではないし、白い肌の胸の内をナイフが抉ったわけではない。露わになった内臓を剥き出しにして捨てたわけでもない。あなたは優しく眠っている。殺されなどせずに地平線の彼方から薄靄の大気を突き抜けて走りやって来た。その時が午後の何時であったのか、果たして時計は時刻を告げる音を鳴らしたのか。生きた命が会いたさに胸を焦がして疾走する音はエンジン音であったのか。あなたを乗せたマシンが宙の彼方から到着したその時に、月は夜空に煌々と光の線を無数に放っていたのかどうか。どこにあなたがたどり着いたとしても殺されたに違いない。それが時間軸上の因果である。理由と原因のない無垢な命の殺人は褒められはせずとも力学的に生じることである。


あなたは月の砂漠で眠っている月である。きっと誰よりも美しい月である。私はまだトタン屋根に居て月にたどり着くことができない。でもあなたの眠っている素顔を眺めることができる。寂しくも穏やかで美しくも気高いあなたは眠りから目覚めることがない。轟く音をこの宙に鳴り響かそう。月へと打楽器と弦楽器と鍵楽器を鳴らして多重な音の波を怒涛に送ろう。あなたなる月は目覚めるだろうか。死んで眠っているあなたは果たして目覚めるであろうか。その肌に触れたい。ざらざらした月の肌を捲ると滑らかで妖しい肌が現れる。その肌を捲ると愛おしい川の流れがあって魚が泳いでいる。あなたの肌の内には無数の魚の群となって銀河が流れている。月が煌く星となって照り輝かせている。この川にマシンを走らそう、けたたましくエンジン音を叫ばせて狂おしく叫ばせたい。でもあなたは素知らぬふりをして眠っている。死んだように眠り続けている。霊安室の台座の上にて解剖される魚のように眠っている。もしや揺り籠から抜け出た幼児は麗しき処女として殺されたのか。生け贄として台座に括り付けられて人体解剖の材料になったのか。私は爆音を轟かせる。マシンなどとは比較にならないジェット機の轟音にロケットの飛翔する爆発音を轟かせる。あなたを目覚めさせてこれらの悪夢から救い出すためである。あなたへの私の愛を信じて欲しい。確かに愛している、この宙に浮かぶ美しい月以上に麗しきあなたなる処女なる無垢さへの愛に、とめどなくあふれ出る愛ゆえに涙の雫を伴わせて泣いているのである。
でも何事も起こりはしない。美しい月は霊安室から抜け出て生け贄などにはならずに、この宙の揺り籠に揺られ幼児として眠っている。天井には回転式吊り輪がウサギを吊り下げ踊らせて、ハーモニックにメロディが奏でられている。でも幼児は喜びもしないし目を開けもしない。美少女のようなくっきりとした目鼻立ちを見ることができない。いつに健やかに処女として育ち妖しき女として殺戮されるのだろう。叩き起こして連れ去らなければならない。殺戮から逃れるために共に逃走しなければならない。この宙にいては月が惨殺されるように誰の命も惨殺される。もはや生じている出来事が月を斜めに滑走してざらざらとした肌の表面をまさぐっている。マシンが突っ込んで岩石を打ち砕いている。私のマシンが奪われたのである。もはやマシンを失って私はトタン屋根の上で気もそぞろに眺めている。どうすることもできない。救出は無理である。マシンを奪われたためではない。このトタン屋根の上に熨斗紙みたいに貼り付けられているのである。何ができよう、何も望まれていないのに何ができよう。この女は死んでいて何も望んではいない。私は望まない者に何も与えることができない。望んでいる者にも何も与えることができない。月が斜めに滑空して美しい肢体を躍らせている。この宙の靄った深夜や曙の白さの訪問に悩みながら、でも絶対条件として救出ができると確信している。絶対条件とは揺り籠に揺られて眠っている処女を無垢のままこの世界に連れ戻すことである。命の刻まれた肢体をこのトタン屋根に並び座らせることである。


さあ、決行しよう。誰に何も文句を言わせずに思いのままに行動しよう。マシンに跨ってこの宙に乗り出すのである。荒げたこの宙の波は格好の障害物としてレースの行く手を遮っても、楽しみでもある。月にたどり着けば美しい月の寝顔を眺めることができる。ボートに乗せて運び出しても良い。揺れる籠の波に月は慣れ親しんでいるのだから、マシンが恐怖を与えないために波に同期するボートの方が良さそうである。トタン屋根はひりひりして暑い。いつしかこの宙に太陽が輝いて照らし出している。恐るべき光の波、渦巻く微粒子の光線がトタン屋根を沸騰させている。何時だったのか、何時なのか、乗り出す時が遅すぎたのだろうか。沸騰する屋根が大地を揺るがして屋根自身が蕩けて液状となって大地を伝わっている。もはや大地さえ波のように揺らいでいてその在りかが定かでなく、空を見上げても月は見えない。空が透明になって消失している。当然ながら月さえ、美しいあなたの月も見ることができない。私はマシンに跨りながら滑空する、この空はもはや無いのかもしれない。この宙を乗り越えるべき時空が消え失せている。憐れみを誘うのは私ではなくて安らかに眠っているあなたなのかもしれない。あなたはもはや時空の歪みの内に消え去ったのだから誰にも会うことができない。名残惜しむべき夕暮れや夜の化粧も施すことができずに、ただ何処かで死んだように眠っている。憐れむべきは私でもある。あなたなる月の世界に行くことができない。マシンもボートも波に浮かび、波自身が揺らぎを止めれば何時までたっても動き出すことがない。月に行くことを諦めてもうあなたのように眠るしかないのかもしれない。焼けたトタン屋根が寝床とは悲しい。

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。