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散文詩「首を吊った太陽に蛇や女」その30

    首を吊った太陽

 ああ、どうしてなのだろう、あなたや女を含めて誰もが望んでいないのに、誰もが肯定などしていないのに、許さざることに太陽自身がいつの間にか天の頂に昇って首を吊っている。太陽フレアーの煌めく色に染まった光の線として、糸でも紐でもない一筋の閃きに燃える巨大な質量をぶら下げている。この宙は淡い光の色に染まりながら、血に染まったこの宙の首そのものを、まるで終焉が来たかのように、この宙の終焉なのだろうか、いやそうではない、太陽自身の燃える死体が吊り下がっているのであって、宙はまだ首を繋がせて生きている。すべてが終りの行為を始めるのではない、太陽自身が自らの終焉を決意したのである。


 巨大な質量は徐々に失われていく、確かに色を染めて燃える太陽ののっぺりとした首は顔の輪郭を徐々に失い始めている、放出される光そのものも失われていき、この宙は淡い光を喪失して徐々に闇が広がっている。断末魔の喘ぐ声が聞こえてくる、それは苦しみでも歓びの声でもない、ただ単純なささくれ音を形成する一つの波の種類である。確かに太陽が放っている光の粒子の狂い揺れる波の一種であって、太陽が形を崩崩壊する際に放出する物質の固有な波長である。伝えられる波はこの宙を瞬く間に擦り抜けている、まるで伝える場そのものさえ失われるように、この宙が既に無いかのように消え去っている。


 この天の頂が吊り下げている無数の紐や糸や光はそのままに在ありながら揺れることもなく、干乾びて死んだ者たちやあなたを確かに吊り下げている。無数の干乾びて死んだ、長さだけがある線となって死んだ者たちが、無数に吊り下がっている。もう太陽も含めてすべてが細い糸となって天の頂から底無しの地の底に向けて限りなどなしに吊り下がっている。紅顔の美少年の如き太陽の首はない、唇に紅色を塗った女の血の流れる首もない。ただ糸だけがある、煌めくことのない暗闇では、見えることもままならない糸だけがある。当然に女の喘ぐ声も失われている、干乾びた海のように音を生み出す波そのものがもはや無い。


 太陽はなぜ死に急いだのか、まるでこの宙そのものを破壊するように、意志などないのに、きっとあなたが密やかな指令を出したに違いない。誰にも気づかれずに死んだあなたの、吊り下がったあなたの見えることのない目が秘密の暗号を、透過する心の内から燃える太陽の心の準位に秘めた真意を伝えたに違いない。もう天の頂はすべての光を喪失し真っ暗である。吊り下がっているのだろうか、紐や糸や光は、定かではないけれど、この天の頂そのものが崩壊しているのではないだろうか。光の波も音打つ海の波も伝わって来ないために、見ることも聞くこともできない、つまりこの宙は在るかどうかさえもはや定かではないのである。


 そう結論づけるのは早い。確率論的に在るか無いかではない、もう無いのである、もうどうでもいいのである。在っても無くともいいのである。縫われた瞼の糸が蕩けてあなたの瞳が瞼の奥から見詰めている、確かな視線は丸裸の真っ白い女の肌のような空、もしくは虚空、もしくは空箱そのものが見える。小さな目だけが浮かんでいる、生き残った一つの光の粒子なのかもしれない、これは白目の視線が見た錯誤である。あなたの瞳は縫われた瞼の糸が溶けずに瞼の奥から見詰めることはできないまま変わってはいない。認識の間違いではなくてやはり幻覚である。この宙は黒く塗り潰された絵のように真っ暗である、なおかつ透けた白い肌のような虚空として広がっている、もしくは無色なままに死んでいながらわずかに生きて横たわっている。小さな空間なはずで、空箱のように空っぽである。

                         了

長い間お読みいただきありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。