見出し画像

題:郡司正勝校注「新潮日本古典集成 東海道四谷怪談」を読んで 

お岩さんを醜くお化けの人相にして殺した民谷伊右衛門の極悪人ぶりを一度読んでみたかった。この「新潮日本古典集成 東海道四谷怪談」が原本を活字化し、かつ脚注もついていて読めそうだったので選んだ。読み始めるなり「東海道四谷怪談」が歌舞伎の脚本であり、それに登場人物も多くて、手の込んだ物語と初めて知る。郡司正勝校の「解説」は途中で読んだが、この「東海道四谷怪談」は「忠臣蔵」と合わせて上演していたとのこと。何部かに分かれた幕をなぜか交替で演じていたとのこと。観客は「忠臣蔵」の忠義と「東海道四谷怪談」の乱舞な極悪とを合わせて楽しんでいたのである。それに、「東海道四谷怪談」の脚本に「忠臣蔵」の筋も混ぜている。この歌舞伎は人気も上々で作者鶴屋南北の狙いは当たっていたのである。 

この「東海道四谷怪談」を生んだ江戸時代の爛熟文化などは、郡司正勝校の解説に若干記述されているので、そちらを読んで頂きたい。この感想文では「東海道四谷怪談」の簡単な粗筋と特に気になった何点かを記述するだけにしたい。なお、簡単な筋にするのは容易ではない。伏線が多すぎるためである。話はお岩の妹のお袖と言う女から始まる。お袖は茶屋で働きながら体を売ることはしない。薬売りの直助が物にしたがっている。でも、お袖は佐藤与茂七という四十七士の一人を夫に持っている。一方姉のお岩は、民谷伊右衛門に嫁いでいるが、お岩の父の四谷左門によって引きはがされている。四谷左門は旧藩で民谷伊右衛門が横領したのを知って連れ戻したのである。伊右衛門は邪魔な四谷左門を殺して、殺した犯人に仇討ちをすると嘘を言って、お岩を納得させ取り戻してくる。でも、邪険に取り扱うのに変わりはない。

 一方、民谷伊右衛門に恋する孫娘お梅の願いを叶えようとする伊藤喜兵衛なる高野の家中がいる。高野は伊右衛門の主君の塩屋家の仇にあたる。なお、高野と塩屋は赤穂浪士の敵と味方の関係にある家筋である。喜兵衛はお槙という乳母を使い伊右衛門宅を訪れさせ、妊娠したお岩に血の道の妙薬を飲ませる。この妙薬がお岩の容貌を醜く崩壊させる。つまり、民谷伊右衛門は悪人であるが、悪の根源は隣家から訪れて来て、民谷伊右衛門を極悪人に仕立てるのである。お岩に妙薬の礼を言うように望まれていて、隣家なる伊藤家を訪れた伊右衛門は喜兵衛に婿になるよう口説かれる。お梅に傍に居させてくれ、さもないと死ぬと脅され、やっと祝言をあげる約束をする。こうも好条件なのに渋って承諾する伊右衛門の心中は、自らを高く売りつけようとする魂胆以外の心の歪みがある。この心の歪みこそが伊右衛門に何事の悪事も成さしめる。ただ、この歪みの根源はどこから来ているのか。本書の記述は表層的で、探りを入れ解釈するのは容易ではない。

 もはや邪魔なお岩は消さなければならない。伊右衛門は按摩の宅悦に間男を働くように命じる。だが宅悦はお岩の崩れた容貌を見て成し得ない。櫛にて髪を梳くと山のごとく抜け落ちる。帰宅した伊右衛門は宅悦の話を聞き、大切にしていた秘草を盗もうとした中間の小平とお岩とを戸板の裏表に釘にて打ち付け、川(具体的には江戸川上流の姿見川)へと流す。小平の指は蛇の形となって蠢いている。嫁になるお梅が乳母のお槙に付き添われやってくる。屏風を開けて待っているお梅を見ると、なんとお岩が居るではではないか。お岩の幻覚を見た伊右衛門はお梅を殺す。お槙も殺してしまう。この初日二番目中幕は一番読み応えがある。

 この後お岩の霊は、しばしば現れる。さて、お袖は与茂七が殺されたと信じて、敵を討ってもらうために薬売りの直助に体を与える。だが、与茂七は死んでいずに夫を二人持つことになる。戸板に張り付けられた死人の着物の売買の件、簪(かんざし)の件など話が進む。お袖が一番驚くのはお岩が実の姉と知ることである。直助が実の兄弟と知ることである。お袖はお岩の敵として伊右エ門を命に狙いを定める。亡霊お岩と伊右エ門の愛憎や容貌に関するやり取りがあり、お岩の執念が演じられる。伊右衛門の母親お熊が雪降る中現れて、親父殿の話をして倅に思いやりを示すのは滑稽である。最後、伊右エ門は与茂七に殺される。心火とともに鼠がむらがり苦しんだ後、大ドロとして太鼓が激しく打ち鳴らさせて幕となる。

 気付いた点を簡単に記述する。

1)      動物や小物を上手に配置している。特に鼠や櫛が印象的である。鼠は苦難や労苦の象徴、櫛は親の形見であり、姉妹を結び付ける役割を果たしている。それに最後に雪が降るのには大変驚いた。まるで悪を清涼無垢に変幻させるのか、そうでもあるまい、小道具の一種で添え物であるのだろうか。もう一つ、薬がある。お岩が飲んだ血の道の薬とは別に、伊右衛門には家宝として五両もする妙薬がある。この薬と五両の話はたびたび出てくるが、結局どうなったのかは忘れた。麻薬などと想像していたが、結局使われることはなかったはずである。

 2)      シェイクスピアの脚本のような心理の洞察は劣ると思われるが、執念や怨念を表現して逆に大袈裟な悪を楽しむ芝居である。戸板の裏表に死人を貼り付けると言った斬新な発想が観客を喜ばせる。倫理観に悩むと言った西洋風情は無くて、逆に倫理観の無さが、これまた観客を喜ばせるのだろう。そして伊右衛門の悪と同時に、忠臣蔵にて忠義と言った倫理観も楽しむのである。近松門左衛門の心理描写、井原西鶴の江戸の風情や好色ものともだいぶ異なっている。

 3)      お岩という名称には違和感があった。お袖やお梅と言った女性の名称とは異なって硬い。すると郡司正勝校の「解説」に謎解きが成されていた。お岩はという名はそれ以前の作品にも登場していた。それより、「古事記」の「石長比売(いわながひめ)」以来にかたくなな女の系譜の名として使用されていたのである。柳亭種彦の読本に同情する「お沢」が「お岩」の前身とする見方もある。なお、民谷伊右衛門、小仏小平、直助権兵衛の名称の由来も解説しているが省略する。

 4)      戸板に釘打ちされた男女であるが、現実に神田川に流された例があるらしい。なお、お岩と小平の死体は神田川に流され、隅田川を下り、小名木川を登り下りして隅田川の入り口の万年橋に流れ着くとした不思議な設定も、実際の事件と関わりがあるらしい。

 5)      確かに伊右衛門は悪人である。お岩の親を殺しながら、犯人を見つけ出し敵を討つと言って騙し縁りを戻す極悪人である。お岩を冷たくあしらいながらも決定的に手放さないのは、なにかしらの訳があったのだろう。お梅を嫁に貰うのも渋るなど見え透いた虚言は悪人の自らを高く売りつける常套手段でもある。そして先に述べたように解き難い心の歪みがある。ただ、伊右衛門はお岩に血の道の薬を飲ませて醜い顔に変貌させていない。そんな魂胆など持っていなかった。この崩れた容貌は「東海道四谷怪談」の神髄である。神髄は他者からもたらされる。例えば、イヴが善悪の果実を食するのは蛇と言う他者の誘惑による。神の命に逆うこの行為によって、イヴとアダムがエデンの園から追放されるように、お岩に他者によって醜くされ、伊右衛門が追放するには不義という理由がなければならないのである。

 6)      伊右衛門の行動は迅速である。宅悦が間男の役割を果たせないとすると、小平を身代わりに殺して川流しをするなど極悪人の本性を遺憾なく発揮する。こうした極悪人は正義によって成敗されなければならない。ただ、「東海道四谷怪談」の正義は佐藤与茂七というお岩の義弟によって行われる。この義弟はお袖の勘違いの二重結婚から、義弟の地位を奪われかけている。それが伊右衛門の成敗によって正当な地位を獲得できるかもしれない。でも本書では、伊右衛門の最後は簡単に記述されている。まるで付け足しの筋書きである。

 7)      「東海道四谷怪談」は何を狙いとしたか、きっと奇異な怪談である。お岩の容貌と執念である。そして極悪人民谷伊右衛門はその脇役たちである。凄惨な場面を生む極悪人と脇役は主人公の崩れた容貌と執念に満ちた亡霊に死ぬまで悩まされる。極悪人民谷伊右衛門の心は歪み狂っている。だからこそ彼の行う悪行は観客を驚嘆させかつ歓喜させる。そして、悪行は人情の義理を寸断させながら、それぞれの人間が人情に縛られていることを改めて認識させる。この歌舞伎を見ている間だけ、この義理人情に束縛された世界を忘れることができるのである。

 以上

この記事が参加している募集

読書感想文

詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。