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「夜は短し歩け乙女」はホップ・ステップ・ジャンプ。


 文章を読むと、世界が生まれる。

どんな文章でもそうだ。誰かの顔が見え、醸し出す空気を感じ、テンションが伝わり、その人の世界が見える。あなたが書いた文章は、あなたそのものだ。気の使い方、自分に酔うのかどのくらい酔うのか酔わないのか、誰かのために書くのか、自分を助けるために書くのか、どんな性格かも手に取るように分かる。そしてその人が作り上げる世界が見える。その中にダイブすることを「文章を読む」という。ぼくはいつもそう思っている。ぼくが書いた文章もぼくそのもので、だからこそ怖くて楽しい。

この間読んだ文章がとても面白かったのでそれについて書きたい。文面載せるわけにもいかないので説明する。それは、ものすごく定型的な言葉で書かれていて、嘘くさいほど綺麗なんだけど、ただ一つ、句読点の打つ位置が気になった。悪いとかじゃなくて気になった。普通じゃなかった。だからきっとこの人は、文章を打つのがあまり好きじゃなくて、定型文を覚えていて、普段喋る時も定型的に喋ったりもしそうで、しゃべり言葉と打つ文章が混ざってるから句読点が変なのかなとか考えた。それに定型文を使うということはやっぱり頭が良くて、利害をちゃんと判断できる人なんだろうと思えるし(誤解を生みづらいという意味で)、仕事的な心の冷淡さを、定型の持つビジネス的暖かさみたいなもので押し包んだような温度だったのが、仕事慣れしてるんだろうなって思えた。心の表面をりんごの皮を剥くみたいに薄く想像できた。面白い。

でもこれは、文章を読んで身体が感じた感触を、今になって文字に起こした感じ。重要なのはダイブすることだ。全身で文章を感じて、その人の世界を感じる。つまらない事もあれば面白い事もある。なんだっていい。その人の世界を知りたいんだ。だから文章を読むのが好きだ。それとともにぼくは非常なまでに文章を書くのが好きだ。最近思う。文章好きすぎて、上手くいくときもいかなかったときも、不思議とイライラする(これは間違いなく伝わらない、だけどそう感じるのです。)。たぶん、上手くいったときは「コレだよっ!コレッ!!もっとくれえ!!」ってなって、上手くいかなかったときは当たり前にイライラしてるのです。


そして超絶良かった小説を紹介したい。「夜は短し歩けよ乙女」だ。

少し前に、「四畳半神話大系」は瀑布。という記事を書いた。

作者は同じ、森見登美彦さんだ。


とんでもなく良かった。「ああ、良いっ!」って口の端から溢れてくるような小説だ。題名も小洒落ていて、登場人物たちも粋だ。何より登場する黒髪の乙女が可愛い!!!そして、主人公的ポジションにいる先輩が愛おしい!!!こんなにもこの人たちに逢いたくなる小説は今までにあっただろうか、ない!!全ての文章がスキップしながら、宙を飛び回り、京都の町中のオモチロイ(作中表現)を拾っていくようだった。出てくる人皆、遊び心と粋を忘れない美しい人々だった。読んで本当に良かったと思えるのだ。ぼくもあんな人たちみたいに跳ねまわりながら生きたい!うわぁぼくも空を飛びたい!樋口師匠のように!!だがあの飛行方法はとても難しそうだ!!習いたい!だけど弟子入りはしたくない!しんどいから!

前回紹介した四畳半神話大系の中と共通の人物が出てきて相も変わらず笑っていた。嬉しくなった。

やはり、一点の曇りもなく清々しく皆が活き活きと生きている。これはきっと森見登美彦さんのお人柄が成せる業なのであろう。いやだなあって思う瞬間がないのだ。快晴なんだ。なのにドキドキワクワクスキップする。ホップ・ステップ・ジャンプで飛んでいってしまいたい!

最高でしたっ!!!!



読んでくれて、ありがとう。



また。




とまお



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