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[暮らしっ句]白木蓮2[俳句鑑賞]

 唐突に 白木蓮の始まりぬ  笠井円
 白木蓮の千花 一花の遅れなし  小山徳夫

 気がつけば満開! 白木蓮の特徴の一つはそれですね。蕾のうちから注目され、チラホラと咲きはじめる梅や桜とは違います。しかし、雑草的かというと、そんなことはなくて白木蓮の絶頂期の品格は梅や桜を圧倒するほど。
 おもしろいのは、その特別な存在感も、少し見慣れると逆にものすごく地味に感じられること。不思議です。
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 廃校の正午を告げる 白木蓮  山中志津子

 これが桜ですと、人の賑わいが連想されます。たとえ今、誰もいなくてもチャイムが鳴ると子供たちが校舎から出てきそうな感じがする。白木蓮にはそういう気配がありません。
 そして、そこから見えてくるのが「正午」の意味。「正午」になると校庭から人影が消えますよね。「正午」は廃校かどうかの区別がつきにくくなる特殊な時間帯。
 白木蓮が現在と過去、この世とあの世の境界の花だということを語ってきましたが、学校における「正午」もまた境界。「廃校」の側からいえば、「正午」になると「もしかして、オレ、死んでないかも」と錯覚できる。黄泉がえり……。
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 白木蓮 影はわたしも同じいろ  丸山佳子

 向こうからやってきた人に「あなたの影、わたしと同じ色だわ」なんて云われたら…… ちょっと動揺してしまいそう。
 しかし、意味は定かではありません。似たような境遇にあるということなのか、それとも近いうちに二人は関わり合うことになるのか…… 
 さて、白木蓮の影にはどんな秘密が隠されているのでしょう?
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 花びらに花びらの影 白木蓮  大平勝子
 触れ合うて 白木蓮の珠翳りをり  岡部名保子

 これ、クローズアップ写真を撮った方だと、思い当たることがあると思います。白木蓮って花びらが大きく構造がシンプルなので、薄い影の重なりが抽象画のように撮れるんです。たぶん作者の気づきも同じだと思います。違うのは、映像を言語化されたこと。
 ところが言語化されると、そこから物語がはじまる。「美しいもの、無垢なものが、傍らの美しいもの、無垢なものを翳らせる」という。可憐な少女たちばかりの女子校で、いろんな問題が起こるみたいな~

 それと、もう一点。「影」というと「光」を連想しがちですが、この句においては「触れ合い」が「翳り」をつくると。
「ふれあい」って、いい意味で使われるのが普通ですが、たいていの人間関係の問題は「ふれあう」から起こるとも云えるわけで、考えてみれば厄介。おそらく、ふれあって「よかった」ということより、嫌な思いをする割合の方が多いでしょう。
 しかし、作者が云わんとされているのは「翳るから近寄るな!」ではありませんね。ふれあえば「翳り」はもれなくついてくるが、白木蓮も人間も「触れふれあわねば生きていけない」。ならば……(ポジティブに) ということだと思います。こうやって説明してしまうとうざいですが。。
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 傷のある莟も咲きて 白木蓮  秋津令
 散らずして 錆浮くあはれ 白木蓮  安立公彦

 ほとんどの作品が、純白への賛歌であったり、レクイエムであったのですが、ごくごく一部、このような作品がありました。
 すでに取り上げた来たように、白木蓮は満開でも死や冥界が覗く「境界」の花です。そのマージナルな属性に「瑕疵」があるとどういうことになるのか?

……昔々、ハクモクレンという一族がいました。彼らは葬儀の執り行いを担いましたが、最高の栄誉は貴人が崩御したときに殉職すること。ところがハクモクレンの一族に生まれても、瑕疵のある者は穢れがあるとして殉職はもちろんのこと、儀式にも関わることも許されません。瑕疵のある者は負い目をもって生きねばならない運命だったのです……

 傷のある花は、そんな存在ではないかと思うのです。
 実際、カメラマンなら、傷のある花が写り込まないように配慮しますし、乱暴な人なら、ちぎって捨てるでしょう。そして、それを「よくやってくれた」と喜ぶ人もいる。さらにいえば、ちぎられた花自身にも、これでやっとラクになれるという思いがあったりする……。
 これは「どうすれば解決できるのか?」という問題ではありません。
 解決を考えれば、排除が手っ取り早い。しかし、その感覚を社会に当てはめると、少数派の切り捨て。そして少数派切り捨てによって「選別」が正当化されれば、その次にやってくるのは「優性思想」であり、今度は大衆が追い詰められることになります。
 そんな過ちを犯さないように踏みとどまらせてくれるのが、たとえば宗教で、「傷のある花も神さまが創られたもの」という気づきが、排除の誘惑から守ってくれます。

 神さまは、どうして傷のある者を創られたのか?

 おそらく大事なのは「答え」ではなく、「問い」そのもの。「答え」に「救い」があるように思いがちですが、「問い」を持ち続けることこそが「救い」なのかも知れません。


出典 俳誌のサロン 歳時記 白木蓮 
白木蓮
ttp://www.haisi.com/saijiki/hakumokuren1.htm


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