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【朝読書】絶望からでも人は何かを生み出せる


<夢がすべてだが、その夢もあてにならない>

文学者としてのぼくの運命は、非常に単純だ。
夢見がちな内面生活を描写することが人生の中心となり、
他のすべてのことを二の次にしてしまった。
ぼくの生活はおそろしくいじけたものになり、いじけることをやめない。
内面生活の描写以外、他のどんなことも、ぼくを満足させられないのだ。
しかし今や、描写をするためのぼくの力は、まったく当てにならず、
おそらく永久に失われてしまったようなのだ。


昨日も読んだ"絶望名人カフカの人生論"という本からの引用です。


絶望名人カフカの人生論

今日も同じ本を読んだのですが、この言葉なんとも言えません。

特に「他のすべてのことを二の次にしてしまった。
という言葉がかなり印象深いです。

ただ、このカフカの他の全てのことというと
「勤め」「結婚」「家庭」これらを含める全てのことです。

生涯独身で、結婚しようとしましたが、3度同じ人と婚約破棄をしています。

もう僕からみたら、絶望でありながら、自らこの絶望を望んでいるようにも思えました。

でもこの「他のすべてのことを二の次にしてしまった」からこそ、この日記以降に多くのカフカとして今有名な小説などを生み出しているそうです。

そう考えると1つに集中する、そこに自分の全部を注ぐからこそできるものがあり、他の人とは違う何かを生み出すことができたのかもしれません。

僕は結構ポジティブな目線で見るように心がけているので、この日記の言葉からすると「内面生活の描写」は最高に満足のいくものになっていたのでは?と推測しています。

ただ、「描写をするためのぼくの力は失った」とありますが…

全てが全てずっとうまくいって、全部が良いものになるとは限りませんからね。

そして、この日記の言葉を引用した箇所で、この著者(カフカではなく、この本の著者のこと)は、このカフカの言葉からこう考えていました。


人は絶望からも力を得ることができるし、絶望によって何かを生み出すこともできる。ということです。


僕はこのカフカまでの絶望は味わったことがありません。

でもよく聞く逆転劇や、借金〇〇千万してそこから今は成功しています!みたいな話からもそう考えることができるのだと思いました。

絶望してもそこから何にでもできる力が人にはあるという勇気をもらえました。

今日はなんだかかなりふわっとした内容になってしまいましたが、ここまでです。

読んでいただい方はありがとうござます。


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