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反転するメルカトル\\\\ショートアニメーション&ショートノベル

 この巨大なビルには何でもある。どこかの国の有名な建築家が設計したらしい。うねうねとしていて何かの生き物のようにも見えるそのビルには銀行もあるし病院もあるし洋服屋だとか玩具屋だとか家具屋だってある。図書館も映画館も遊園地もゲームセンターもカジノも住居もホテルもオフィスも世界中の飲食店も入っている。このビルが一つの街のようになっている。

 でもこのビルの最上階に行ったことのある人には会ったことがない。噂では最上階に行くためのエレベーターがあるらしいが、それはいつも同じ場所ではないらしい。エレベーターの位置が常に移動していてなかなか見つけられない。テロ対策とかそういうことらしいが本当のところはわからない。そしてそのエレベーターの最上階のボタンには「animal」と書かれている。他のフロアーに動物園も水族館もあるのでそれとは違うらしい。そんなことをこのビルの喫煙所で清掃員たちが話していたことを思い出した。

どうしてそんなことを思い出したのか?

 俺は喫煙所を探していた。いつも使っていたあの電話ボックスくらいの狭い喫煙所が空調の故障か何かで閉鎖されていたからだ。俺はこのビル内のオフィスで無限に流れてくるデータをインフォグラフィックに変換するAIやらの監視をしている。つまり何もしていないということだ。俺がいてもいなくても特に問題はないので適当にサボっている。煙草が吸いたい。いつもの喫煙所が閉まっているのであちこち探してみたがなかなか見つからない。別の階に行こうとたまたま乗ったエレベーターの最上階のボタンに「animal」と書かれている。それを何となく押しながら清掃員が話していたことを思い出した。


 エレベーターには他に誰も乗っていない。動きが静かすぎて本当に上昇しているのかわからない。随分ゆっくりと登っているのかなかなか到着しない。この待ち時間はどこへ行くのかを考えた。全人生でどのくらいこういう何かを待つ時間を消費するのかとかを考えるくらいに待って、やっと扉が開いた。


 扉の向こうはジャングルのようになっていた。湿度が高いし薄暗い。木で覆われているせいで照明の光が遮られているようだ。あちこちから聞きなれない動物の声が聞こえた。微かに煙草の匂いがした。やけにでかい葉っぱを掻き分けながら奥へ進むと曇りガラスでできた20フィートコンテナくらいの部屋があった。曇りガラスから漏れる光が夜のコンビニくらい明るい。引き戸がついていてそこに「喫煙所」と書かれていた。中に入ると中央に円形テーブル型の灰皿があった。煙草を吸っていると後ろの扉が開いた。ずしずしと歩く音がして毛に覆われた大きな足が見えた。人間の足じゃない。ゆっくりと顔をあげると2m以上はある大きな猿のような獣がいた。こんな動物は見たことがない。長い毛の隙間から赤い目が見える。驚きすぎて声も出ない。そいつは毛の隙間にデカくて分厚い手を突っ込んで煙草の箱を取り出した。長細いメンソールだった。20本を全部口に咥えてこちらを見た。逃げ出したいが体が動かない。でかい手がこちらに向かってきた。円形テーブルの上に置いてあった俺のジッポライターを手にとってそいつは火をつけた。一吸いで20本の煙草が全部灰になった。喫煙所は煙で充満した。視界が悪くなった。バリバリと縫い目の荒い布を破るような音が鳴った。「ヴァフリヴァフリ」という奇妙な音が獣の方から聞こえる。鳴き声なのか?どさりと何かが落ちる音がする。息を吸い込むような音がして喫煙所内の煙がなくなる。先ほどよりも毛が短くなった獣が煙を換気するように吸い込んでいた。歯が黄色い。口を閉じた。目から涙が出ている。上を向いている。そのまま喫煙所を出て行った。一体何なんだよ?床には大量の毛の塊があった。よく見るとさきほどの獣の外皮のようだった。脱皮したのか?


 いつの間にかエレベーターに乗っていた。下降する階数表示を見ながら思考が停止している。床には何かが落ちていた。拾い上げて広げてみると自分の抜け殻だった。


 「あの獣は人間が住み着くよりもずっと前からこの土地に住んでたんだよって言ってたじゃないですか?」何やら顔の曖昧な男がモカフラペチーノ白玉タピオカドリンクだか何だかよくわからない飲み物をやけに太いストローで啜りながらそう言ってきたがそんなことを言った記憶は全くない。ここはカフェのようだった。カエルの卵のようなタピオカをストローで吸い上げながら曖昧な顔の男が何かを言おうとすると気管が詰まったらしく世界と混み始めて口を押さえて咳き込みながらトイレへと向かった。男は会社の後輩だったような気がするが思い出せない。というより俺は何でここにいるのかもわからない。気分が悪くなって俺は男が戻ってくるのを待たずに店を出た。床にタピオカが落ちていた。

 何がどうなっているのかを考えなければいけないのに考えたくない。急いで「あれ」を探した。巨大なビルの中を歩いているとすぐに見つかった。開いたエレベーターに飛び乗った。このエレベーターには「animal」という階はなかった。俺はとにかく扉を閉めたかった。適当にボタンを押すと扉が閉まってエレベーターは動き出した。俺は安堵した。エレベーターに乗っている限り人は何かを考える必要がない。


 どのくらいエレベーターに乗っているんだろう?まぁどうでもいいか。不意にエレベーターの扉が開いた。誰か乗ってくるのか?違った。扉が開くとまた扉があった。それが開くとまた扉があった。そうやって永遠にエレベーターの扉は開き続けていた。最早エレベーターは上にも下にも行くことはなかった。



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