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世界中で多発する銃乱射事件。ハワイで実銃を撃ったことのあるだけのただの大学生が、米で銃規制が進まない理由について考える。

この記事を書こうと思った理由

こんにちは。

普段noteを書く時は何かしらの商品のレビューばかりしていて、先日は友達に「アフィリエイト絡んでるの?」と聞かれました。ちょっとショック。ちなみに1ミリも絡んでません。

記事を書いても1円の利益も僕には無いので稀に本当に興味を持った事に関してしか書いていません。

僕は大学に入ってから法律および政治について興味を持ったもので、今回は、世界中で起こり続けている銃乱射事件について、何故アメリカではそんな悲惨な事件があった後も銃規制が進まないのか、私事ではありますが一応警察官を目指している身としても、僕なりの視点から考えてまとめておきたいと思います。

毎度の事ですが、長い文章を書くのがヘタクソなので大目に見てください。

ハワイで実銃を撃った経験

自分語りになりますがちょっと聞いてください。

僕の初めての海外旅行はハワイでした。旅の目的は様々でしたが、その中に「銃を撃ってみたい!」というのがひとつありました。

下記ブログ(他者さん記事)に載っている射撃場2つとも行きました。どちらも日本語の喋れるインストラクターさんがいて、うち一方は、日本に2・3年住んだことがあるというインストラクターさんもいました。さすが観光地で働くアメリカ人というだけあって接客は明るい印象がありました。

価格はコースにもよりますが平均2万円、最低9000円くらいはした記憶があります。

ぼくが銃を撃ちたいと思った理由は100%がゲームです。一回だけでいいから本物の銃を撃ってみたいと思ってたのでワクワクしてましたが、実際に撃った感想は「確かに面白い」というバカみたいな感想と、「これで人が殺せてしまうのか」という恐怖です。

銃には様々な種類があります。それはそれは多種多様でありますので、興味のある方は調べてみるといいです。

んで、僕は拳銃(ハンドガン)・突撃銃(アサルトライフル)・散弾銃(ショットガン)・狙撃銃(スナイパーライフル)と一通り撃ちました。

射撃場に入るとイヤーマフを付けます。発砲音を低減させる耳当てです。そんなに大きくない拳銃でイヤーマフ越しでも、物凄い音がします。僕はゲームに憧れてフルオートライフル(トリガーを引いている間、高速で弾が出続ける小銃)を撃ってみたいなと思ってましたが、これは無理と悟りました。筋トレを始める前でガリガリだったのもありますが、一発撃っただけで反動で肩がジンジンするし体が後ろに持ってかれそうになりました。

そんな銃を撃っている間は「やっぱり銃ってゴリゴリの男しか扱えないじゃんか」と思っていましたが、最後に撃った銃はその考えを覆してきました。銃身は一番長く、見た目がスマートな銃だったんですが、反動も音もほとんど無く、なんかオモチャの銃を撃ってるみたいだったんですよ。だけど勿論の事、弾はちゃんと出ていて、目標の的にしっかりと大きな穴が開いている。(グーグルフォトのアルバム漁ってたら写真ありました。これです。)

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何度でも言いますが、子供でも扱えるオモチャのような銃でも、簡単に人を殺せてしまうんだと、実銃を撃てた喜びより、むしろ恐怖を覚えました。

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(オカンも撃ってました。)

本題

さて、ハワイ旅行記(銃撃った感想だけ)はここらへんにしておいて、本題の「銃規制が進まない理由」について語っていこうと思います。

皆さんは、ラスベガス銃乱射事件と、ニュージーランド・クライストチャーチモスク事件についてご存じでしょうか。

どちらの事件も非常に多くの被害者を出した、凄惨な事件です。

詳細についてはここにWIKIを載せておきます。


今思い返すと、どちらの事件も僕が大学に入学して普段からニュースを見始めるより前に起こっている事件なので、それでも知っている・記憶に焼き付いているという事は、それだけ大きな事件だったという事が分かります。

ラスベガス銃乱射事件については、今でもYouTubeなどで当時の銃撃の様子を見ることができます。バンドか何かのライブ中だったので偶然カメラを回している人が多かったらしいですが、一瞬見ただけじゃ何が起こっているのか分からないし、花火の音なんじゃないかとも思えてしまいます。

NZモスク事件については、犯人がボディカメラで襲撃を中継した映像が一時期Facebookを中心に流れました。僕は、グロ耐性は結構ある方だと思っていたんですが、この映像を見た時は生々しすぎてちょっとトラウマでした。(現在はNZ当局の規制により動画は出回っていません。一部の怪しいサイトでは見れますがセキュリティの意味でも精神的な意味でも閲覧注意。)

NZ事件の詳細について多くは語りませんが、容疑者は日頃からニュージーランドに流入するイスラム系移民に反発するかなり強い感情があったようで、一度教会に入り銃を撃った後も、死んだふりをしてやり過ごそうとしている人たちをわざわざ戻って殺しに行ったりなどしています。

そんな事件を受け、やはり日本人なら「早く銃規制をして取締ればいいじゃないか」という考えが浮かんできます。

残念ながら、今のアメリカではそれができないだろうと思われうる理由がいくつかあるので、語ります。かなり僕自身の私見が入りますがご容赦下さい。

アメリカ人と日本人との銃に対する認識の違い

皆さん、上に述べたような悲惨な事件を起こさないためには何をするのが良いと思いますか。

大半の人は、「銃規制を強めるべき」と答えると思います。これは日本人だろうと欧米人だろうと同じです。でも、「すぐにはできない」が答えです。

僕は、ラスベガス銃乱射事件の遺族会メンバーに、銃規制についてインタビューをした動画を見て、衝撃を受けました。

この動画の中で、銃撃事件で息子を亡くした母親は、「銃の問題だとは思っていません」と語るんです。

息子を亡くした母親がそう語るんです。それどころか、「銃を所持する権利が保障されていることに敬意を表します」とまで言うんです。

そのインタビューの続きはありませんでしたが、僕ならこういう思考はできないと思います。もしそんな立場になったら、真っ先に銃規制強化を主張すると思います。

詳しくはないので大雑把に語ると、これにはアメリカ人が銃を持ち続けてきた歴史が関係しています。なんと、合衆国憲法修正2条でも、「人民が武器を保蔵しまた携帯する権利は侵してはならない」と、国民が銃を持つことを権利として保障しています。ここは、詳しく知りたい方は参照記事の方へどうぞ。

何故「銃を持つこと」が正当化されるのか

僕なりに、アメリカは何故銃の所持を公に認めているのか考えてみました。

武装には武装で対抗

これは要は核兵器の考え方と同じだと思います。皆が潔く手放せば核排除なんて簡単にできるけど、そうはいかない。僕は法学部なので国際法の講義を取っていましたが、「全ての国が核を同時に手放す」なんて、何かの奇跡でも起こらなければ無理な話なんですね。それは、持つ武器が強くなるだけ、より手放せなくなるという性質も持ち合わせていると思います。1996年にWHO、国連総会が国際司法裁判所(ICJ)に判断を求めた核兵器使用の認否の裁判でも、「国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論を下すことができない」とされています。つまり、ここでは所持を前提とした裁判が行われているという事です。
この点については、「世界中で核不拡散交渉が行われているのに、ICJがこのような司法判断を下しては元も子もない。」という批判もあります。

日本は刀狩りができましたが、銃はその特性上、小さなものでも形があれば人を殺せるだけの機能があり、弾が沢山あれば単独犯でも容易にたくさんの人を殺せてしまいます。銃所持を認める諸外国は、そんなものが見えないだけで常にそこらじゅうに存在しているんですよね。恐怖でしかないんです。凶悪犯にそんな物を持ち出されたら対抗できない。死を待つのみ。このような状態を回避し、反撃の糸口として用いられたのが銃です。自分も銃とその知識を持つことで、やっと他人と同様の立場になる。

アメリカ政府も、もし国内に巨大なテロ組織が確認されたとして、彼らから平穏に銃を回収しようとは試みないでしょう。近づいたら殺されて終わりだからです。だから、「やられる前にやる」のが、常識になっているのでしょう。

政府は、勿論の事、専ら国の治安維持を図るため警察や軍隊の武装を認めていますが、国民までその権利を保障するのは、「自分の命は自分でしか守れない」という考え方が基本だからです。最終的にはそうかもしれないですが、日本なら、命を守ってくれるのは自分ではなく周りの人やお巡りさんだという考え方もありますよね。容易に分かる、価値観の違いのひとつがここにあります。

「誰でも扱える」こと

日本でも、例えばまだ銃が存在していないとして、日本刀による刺殺事件などが目立っていたら、「じゃあ自分も刀を持っておこう」となりますが、刀を持っていても、ある程度の筋力と振れる場所が無いと使えないので、あらゆる場所で自分を守る事って難しいと思います。

でも、先に述べた通り、今は子供でも使えるオモチャみたいな実銃が大量に出回っていて、入手も簡単。場所も選ばず、トリガーに指をかけ引くだけで自衛ができる。力が強くない女性や子供でも誰でも使えてしまうという所が、日本の刀狩りのようにはいかないひとつの理由だと思います。

本当に自衛は可能なのか?

この点は、多くの説があると思うのですが、僕の答えは、「場合によって可能」です。

まず、不可能な場合から。

ラスベガス銃乱射事件の映像を見てもらえば分かるように、犯人がどこにいて、どこから撃たれているかも分からない状況の時、銃は無力です。事件について語っていた元米軍人さんは、「とりあえず撃ち返せばいいじゃないか。運が良ければ当たるかもしれない。」と大真面目に言っていましたが、銃の専門家は完全にこれを否定しています。

まあ、そうですよね。逃げるしかないですよこんなん。反撃なんて、ゴルゴとか漫画アニメの世界しか無理です。大体、撃ち返した弾が一般人に当たってしまう可能性すらありますしね。

でも、銃の扱いに長けた人が発砲音や跳弾の音から犯人の場所を特定することはできないことはないらしく、その人が銃を持っていれば犯人のいるであろう方向に空砲を撃つことで、パニックに陥っている人たちがどこに逃げ隠れればいいかの指標になる。という意見もあります。これはたしかに一理あるかもしれないです。

この事件は、「銃で危機が回避できる」つまり「相手を倒すことで自衛ができる」ことへの一つの反証になったのではないでしょうか。

ちなみに、この事件の犯人の特定は、銃を撃った際に出る硝煙に火災報知器が反応し警報を鳴らしたことにより早まっていますが、それが無かったらどうなっていた事でしょう。もっと多くの人が亡くなっていた可能性もあるかもしれません。


次は可能な場合。

説明しなくてもいいと思いますが、強盗にあった場合などです。

目の前に犯人がいて、ナイフや銃をこちらに向けている。元軍人や現役軍人などであれば犯人が素人なら反撃できる可能性ぐらいはありますけれども、それでも先に出された銃に対して抵抗するのは至難の業だし、相手が脅迫するだけで殺意は無いと思うのなら、金でもなんでも渡して去ってもらうのが自分の命を救える一番の解決法です。

逃れようのない「銃社会」

上記までの内容は、主に心理的肉体的に各個人が銃を手放せないと思われる理由について述べました。

ここからいう「銃社会」とは、主に政治の面での「銃社会」というお話です。

僕は政治経済については詳しくないので大雑把に、私見が入るので間違った情報もあるかもしれませんのでご了承ください。

銃の歴史

民主主義が強く主張された建国当時のアメリカでは、警察が武装化し治安の維持にあたることですら圧政の可能性になるとして、公安は各自治体に委ねられました。

農村部では広大な土地に少数の人々が住んでいたためひとつのまとまった組織を作ることが困難で、自警団が発達し、銃を持ちました。

日本のような「上から」の治安維持ではなく、個々の住民・世帯単位の「下から」の秩序形成が基となっています。

広大な土地なので警察を呼んでも来るのが遅く、自衛のために銃が必要であると。たしかにそうですね。

現在の全米ライフル協会(NRA)とアメリカ政府

きな臭い政治の話は僕自身も嫌いなので手短にいくと、まず、トランプ率いる共和党は銃規制反対の意見が強く、バイデン率いる民主党では銃規制賛成派が多いという事です。

現在はバイデン政権ですが、民主党も共和党も、議員候補に対して公にNRAからの献金を受け取っています。つまり、NRAの意図に沿う候補には献金がある、という分かりやすい手段ですね。

ここらへんの詳しい事情については最後に参考記事を載せているので、興味のある方はそちらへどうぞ。

おわりに

すみません。毎度の事ながら、思い立って書こうと思ったことは徹夜で書いて疲れたら終わるという適当っぷりなもので、最後に自分の考えをまとめておきたいと思います。

アメリカの銃規制については、歴史的なしがらみもあり、銃社会の根絶というのは100年単位で行っても難しいものでしょう。そもそも少なくとも200年以上かけて根付いてきたものを今更取り除くのは無理に等しいです。それが一つの文化になってしまっているからです。

ですが、参考記事によると、銃規制を訴える政治家が「違法銃器に反対する市長の会」などで大きく活躍し、その結果コーヒーショップ「スターバックス」をはじめとした数多の大企業が銃持ち込み禁止に乗り出すなど、草の根レベルでの活動が進んでいるそうです。このような地道な活動が、後に称えられるようになることを願うばかりです。

ちなみに、記事では紹介していませんでしたが、NZはクライストチャーチモスク銃乱射事件を受けて銃規制の法案を即可決し、自動小銃・半自動小銃の大量破壊に取り組んでいます。アメリカの様な、100年単位での長い年月をかけた銃社会が根付いていない国だった結果、かなりのスピードでライフル銃を規制することに成功しました。


今回は銃規制について考えてみましたが、日本で暮らす分にはこんな事は考えなくて良くて、むしろ治安的な問題としては、特殊詐欺とか投資詐欺とか、身近に潜む犯罪のことを学ぶべきであると思います。

しかし、銃規制問題は、誰でも考えられる大きい論点で見てみると核規制問題にどこか繋がったりします。

今身近ではなくとも、戦争とか核兵器とかになってくると、他人ごとではないなと思ったりしませんか?しますよね!(圧)

そんなあなたにおススメするのがこちらの作品!進撃の巨人!(!?!?!????)


このアニメ(原作は漫画)、北欧神話やナチスが深く関係していますが、誰の中にでもある憎悪の感情や、(紛争・世界大戦レベルのどちらでも)戦争が無くならない理由などをアニメを観ながら多角的な視野から面白く学べます!しかも、泣けるし面白いし、ある回で人間不信になってしまうほど感情移入できる作品でもあると思うので是非観てください!うん。

今週からアニメ最終章も始まっています!(シリアスすぎるシナリオです)※追記、来年最終章Part2やります。

本当に、僕がお金持ちだったら進撃の巨人を観たことがない人向けにAmazonPrimeのサブスクを大量にプレゼントしたいくらい良いアニメです!


…失礼しました。興奮してしまいました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。さようなら。


追記…無理矢理進撃の巨人と絡めてごめんなさい
実は、大学のゼミは刑事訴訟法を専門としているのですが、米国銃規制について少し研究する予定です。
報告が終わり次第、こちらの記事も加筆するか、新たな記事を書く予定です。




以下参考記事











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