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『集団』と『企業』の違い

最近、これの違いについてしばしばよく考える。
そもそも『集団』という言葉と『企業』という言葉の違いはどこなのだろうか…
朝起きて電車に揺られてオフィスに行く、そこで待っているのは集団なのか、企業なのか。

今僕は『企業』に所属しているけど、出向していて出向先のチームは『集団』なのか。
であれば、会社人として常に意識するべき規範や目標とはどこにあるのか。
自身の企業に所属していると誇れるポイントはどこか。
それを作り出せているのか。

そもそも会社人として生きるというのはどういうことなのか。
前職のときのことも反芻しながら書いていきたい

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集団とは

そもそも集団という言葉の意味はなんなのだろうか、改めて調べてみた。

Wikipedia(以下抜粋)

集団は一般的には2人以上の組織のような人間の集まりであるが、厳密には共通の目的を持ち、目的と目標を共有し、目的と目標達成の為に互助しようと努力し、役割の分担が集団の中に定め、振る舞い方の一定の基準が存在し、集団自己同一視する、と社会心理学においては定義されており、その中でも組織関係、コミュニケーション関係、心理関係だけを挙げて人間関係と呼称する。

まずその規模により部分集団と全体集団という分類がある。社会において小規模な集団としては家族集団、職場集団または地域集団などの部分集団があり、これらさまざまな機能を持つ集団が連結した結果生じる大規模な集団が国家のような全体集団となる。

集団には個人の気侭な単独行動を規範、約束、慣習などによって抑制し、一定の枠の中にメンバーの行動を同質化しようとする働きがあるため、集団行動や集団態度といった特有の行動、反応を示す。

コトバンク

一般には複数の人々の集合を呼ぶが,単に個体の集合というよりは,ある特定の複数個人間の相互作用のからまりが一つの機能的単位となるとき,これを集団という。特に K.レビンは人々の間に相互依存関係が存在することを集団の本質的特性と考えるべきであると主張している。後者の意味での集団を前者のそれと区別して心理学的集団と呼ぶこともある。また集団の本質的特性としてこのほかにメンバーの一体感 (同一視) ,集団規範や共通目標の存在などを強調する研究者もいる。さらに集団の構造を成員の間に生み出されてくる役割と地位の分化の体系として説明することもある。

集団というのは、単に人が2名以上3名以上集まったらそれは最早集団と呼称されるものと感じていたが、それだけではないようだ。
そこに一定のルールや共通の目的があったり、所属してるメンバーの役割が体系化している状態を集団というのか。
相互依存、互助というのは共通の目的に向かって集団に所属するメンバー同士が助け合うということなのだろう。

確かにそう言われてみると〇〇クリエイティブ集団という名前の会社や団体を耳にすることもあるが、なるほど頷ける。

企業とは

次に企業という言葉の意味はどういう意味なのか調べてみた

Wikipedia(以下抜粋)

企業(きぎょう、英: business)とは、営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体(経済単位)である。社会的企業を区別するために営利企業とも言う。家計、政府と並ぶ経済主体の一つ。国(中央政府)や地方公共団体が保有する企業を公企業(こうきぎょう)、そうでない企業を民間企業(みんかんきぎょう)という。通常は企業といえば民間企業を指す。日常用語としての「企業」は多くの場合、会社と同義だが、個人商店も企業に含まれるので、企業のほうが広い概念である。

広義の企業は、営利目的に限らず、一定の計画に従い継続的意図を持って経済活動を行う独立の経済主体(経済単位)を指す。

コトバンク

利潤追求を目的として,継続的かつ計画的な意図のもとに,生産,販売,サービスなど各種の営利行為を実施する一個の統一された独立の経済的生活体。広義の企業は私企業と公企業に大別できるが,狭義ではそのうち主体のために収益を上げることを目的とする私企業だけをさす。なお企業と営業とは必ずしも同一の概念ではないが,商法はその規範の対象とする企業を営業と呼んでいるから,両者の間に本質的な差異はない。私企業には個人企業,組合企業のほか,合名会社,合資会社,合同会社,株式会社などの会社企業がある。企業は,これらの組織形態をとって,資本,労働力,技術,原材料などいろいろな経営資源を結びつけることによって,一定の利益を実現すべく消費欲求の充足に応じている。

経営計画や事業計画に沿った経済主体、つまるところ集団のことなのだろう。今後これがAIやロボット技術が発展して行くにつれて人的だけではなく機会的な経済活動を行う経済主体も出てくるのかもしれない。

家計や政府と並ぶ経済主体というところがミソだと思う。
つまるところスモールスケールで考えると、例えば父母長男長女の4人家族がいたとして、父が正社員、母がパートで生計を立てている時もし子どもたちが学生であれば自分たちの子供を独り立ちさせる為家族全員が満足に飯を食べていけるようにという明確な指標に向かって父と母が経済活動を行っているということになる。

これのスケールが大きくなったらそれは企業になり、それらが更に繋がって国家や世界経済とかに繋がっていくのかもしれない。

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集団と企業

それぞれ言葉の意味は改めて腹落ちできた気がする。
一個面白いなと思ったのは、結局どちらも何か共通の目的を持ってそこへ向かって活動する集まりなのだということだが、集団は互助的であったり社会的心理学やコミュニケーション関係と行った属人的なキーワードが多く出てくる。
対して、企業という言葉はもっとドライに利潤追求を目的とした独立の経済生活体。という表現になっている。

これは実際に勤めていても感じ入ることが多分にあるところだけど、ドライに判断し実行するべきところと情に溺れて人に寄り添いながらすすめるところの明確なボーダーの判断がまだできないなとすごく感じる。

Wikipediaとかコトバンクに書いてある様に分かりやすくそれが利潤追求目的に反すること、あるいは集団としての体裁を維持するために明確に不要である事項であれば適した判断を下すことは経験値や知見を駆使してできると思う。
けれど、例えば利潤追求を目的とした活動をする集団の中でエラーを出しているのが一人や二人ではない、ましてやその事項が一つ二つじゃないときつい僕は判断に困ることが多い。

特に集団という言葉その中に含まれているあらゆる事柄が隠されていてとても恐い。
Wikipediaにもこう記載されている。


集団には個人の気侭な単独行動を規範、約束、慣習などによって抑制し、一定の枠の中にメンバーの行動を同質化しようとする働きがあるため、集団行動や集団態度といった特有の行動、反応を示す。

これが非常に怖い。
個人の自由は尊重されるべきだと思うし、個人が個人として認められて然るべきだと思う。
が、会社人…社会人として生きていくなら最低限のモラルやマナーといった暗黙の守るべきものものも存在していてそういったものはある種個人の裁量に任されている。
裏を返せば、ここに記されている規範、約束、慣習も作る側守る側の最良に委ねられているからとても恐い。

一元管理できるものでもないから、それで当たり前なのだがこれの怖いところはこれ自体の優先度や熱量というのが個人によって想像以上に疎らだということ。

例えば、電車に乗っていても未だに股下にかばんをおいている人がいる。
些細なことだが、例えば電車に乗っていてもカバンを股下に置いている人は今でも目立つ。
気にしなければそれまでだけれど、時間帯によっては乗車率によっては周囲へ本望ではない影響を与えてしまうこともある。

これは企業でも、家族でも同じでそのスケールが大きいか小さいかの話に過ぎない。
そういった部分が集団という言葉の定義の中にはふわっと隠されている気がして言葉の怖さを感じる。

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価値観の違い

前職のとき、5Sを提唱していた。
なまじ形ばかりになっていたとはいえ、その実践と浸透に向けて同期一同で試行錯誤したあの時間と実績は無駄ではなかったと思っている。

あの当時、全席フリーデスクであるがゆえに個人の私物から始まり会社所有の機材、宣材物、果ては機密書類と様々なものが朝出社すると置きっぱなしにされていた。

口頭で注意し、当人に届け、最終的にはゴミとして処理してもそれは変わらなかった。
今思えばあの人たちにとってはそのものひとつを元あった場所に戻すことよりも自身の業務を片付けることが優先度としては上だったのだろうと思う。

ただ、使ったものをもとに戻す。自分が帰宅するときは使用した箇所を整える。漏洩危険のあるものの取り扱い、こういった事は本来学生時代に学ぶことでもある。
それが不思議とできなくなるのだから不思議でたまらない。

でも、事実できないのだ。

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集団における共通の目的や目標というのは企業で言えば経営理念やMVVがそれにあたるのだろう。
その上で個人の気侭を規範や約束で最低限守る必要がある。
これは集団であるのだから仕方がなくて、ましてや企業であれば当たり前仕方がない。

気が合う仲間だけでやっているわけではないのだから、みんなで我慢して揃えるのが好ましいのだと思う。
が、それを何かルールや規約といった形で拘束しなければいけないのもまたつまらない。
モラハラなんてものが一番つまらない。
そもそもハラスメントしないと揃えられないのは多分揃わないし良い結果につながらないと僕は思う。
そうじゃない形で率先していい環境づくりができればそれがとても本望だと思う。

こういった当たり前のことは当たり前にこなして、本来の目的に皆がコミットできる環境をデザインしていきたいと説に思う。

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