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わたしと音

記憶メディアにすべての音が収められていると思うのは大きな間違いだと思う。

ああ、、でもこれ紛らわしい言い方だな、「すべての音」ってなによ、と自分自身に突っ込む。では。

演奏者の手が楽器を奏でる音、楽器が発する音、楽器から発せられる音、演奏者本人が聴いている音、共演者が聴いている音、客席に届く音、録音機材が拾う音、記録メディアに留められる音、再生のために加工される音、再生機器から発せられる音、再生機器から私たちの耳に届く音。私たちの耳が聴く音。

全部違う。

こう思い始めると、うかつに「良い音」とか口にできない。少なくとも、自分がそう言うときには「どこの」「誰の」「何の」をはっきりさせなくてはと思う。

音にまつわるエンジニアリングを仕事にしていなくても、ちょっと丁寧に耳を使えばすくなくとも「違う」ことは聴き分けられる。 そのはずだと思う。

とここまで書くと、まあ、しおんはなんてクドく細かくうるさくイヤな奴と想像されるかもしれず、別にそれでもいいんですが、違うものは違うし、「違うことを前提に聞いてもらえる話」がちゃんとできるようになりたいと今年は思うのだ。切実に。

今日もまとまってなくてすいません。毎日投稿の目標を落とすくらいだったら、と思い、書き残します。