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「写真の創作」って何?(7)・・「額に汗」と写真の価値・・写真のような細密画と写真の比較から

写真のように見える超リアルな細密画・・スーパーリアリズムと言われる絵画をご覧になったことはありますか?
スーパーリアリズムで検索すると、作例を見ることができます。ここ。

このような作品をご覧になったとき、皆さんはどう思われるでしょうか。

1)おおすごい。と感動する。
2)なんだ、カメラで撮影した写真でいいじゃないか。

どちらでしょう。
私は、1)なんですね。すごいと思うのです。
では、1)と同じ対象を撮影した「写真」を見たときどうでしょう。同じ被写体なのに、絵の場合と比較すると、感動の大きさはそれほど、大きくならないのではないでしょうか。

このように、スーパーリアルの絵と、同じ被写体の写真とを比較した時、どういうわけか、絵の方により大きな感動が湧くというのは私だけではないと思うのですが、いかがでしょうか。

それって、どうしてなんだろうと思っているわけです。
1)の感動って、「これって、本当に人間が描いたの?」っていう思いがすぐに浮かびます。その労力と技術の凄さに感動している自分がいます。

これに対し、写真はというとどうでしょう。「すごく綺麗な景色だね」とか、被写体への感動はあるものの、どこか潜在的に「あ、シャッター押しただけね」みたいな思いがあって、絵に比較して簡単に得られたかのように思われているような気がします。本当は撮影に至るまでの創意工夫とか労力とかがあるはずですが、カメラのシャッターを押せば写るという認識が勝ってしまうのでしょうか、写真撮影の労力は伝わりにくいもののようです。

著作権法の解釈理論に、「額に汗理論」というのがあります。額に汗をかくぐらい一生懸命頑張ってお金や労力をつぎ込んだものは著作物として保護すべきであるという考え方です。しかし、我が国著作権法ではこのような理論は認められていません。

創作性の有無に、汗は関係ないということですね。

しかし、上記のようなスーパーリアルな絵画を見た時、どうも、作者の努力とスキルを磨いた経験等が頭をよぎり、そのような要素が絵画の価値を決めているように思えてなりません。

写真でも、すべてが簡単に撮れるわけではないですよね。そのような写真を撮るためには相当な苦労があったろうと思わせる写真や、修得に相当な努力と鍛錬が必要だったろうなと思われる技術を駆使した写真には、やはり感動を覚えるのではないでしょうか。前人未踏の極地に行かなければ見ることのできない風景とか、誰も思いつかない撮影技術で撮影したような写真には驚かされます。

「額に汗理論」・・著作権法上では認められてはいませんが、人による作品の評価には、潜在的な価値基準の一つになっているように思えてなりません。





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