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良い写真とは何か(まとめ)



良い写真とは何かについて、種々検討してみましたが、このあたりで、一応の結論を出しておきたいと思います。

良い写真とは何か・・その1 撮影技術と技能

ここでは、以下のようなことを考えてみました。
良い写真には、
1)撮影技術の問題
2)撮影技能の問題
3)撮影センスの問題
が関係し、撮影技術や技能にすぐれ、センスの光る写真は良い写真と言われそうです。
4)被写体の問題・・決定的瞬間を捉えている写真、見たことのないレアな被写体、社会問題に関連する写真、構図や色のバランスが良い写真(これは上記1〜3にかかわる)、芸術的な写真、思いが伝わる写真、など
5)評価主体の問題・・写真の評価は評価主体自身がもつ世界観・価値観によって相対的に変わってしまう。
ここでの結論:良い写真とされる判断基準は主観に頼らざるを得ず、良い写真を撮るための普遍的な客観的基準は存在しない。
その結果、一見して客観的でわかりやすい撮影技術や技能の良し悪しで良い悪いが判断されることが多くなる。

撮影技術や技能の良し悪しと「良い写真」


撮影技術や技能について考えたとき、この記事を書いてみました。
最近のカメラは誰が撮っても上手く撮れます。そこで、写真が上手になった、良い写真が撮れるようになった、と勘違いする人が多々いるようです。
しかし、そのような写真はカメラが撮影技術・技能を補ってくれたカメラが撮ってくれた写真です。
良い写真と言われるには撮影技術は当然、撮影技能とセンスを磨き、さらに、それ以上の何かが必要になりそうだ、というのがここでの話でした。「それ以上の何か」が問題ですね。


場面で異なる写真の評価基準

次に、さらに、「ファインアート写真の見方」:福川芳朗を参考に、「良い写真とは何か」について考えてみました。
福川芳朗氏によると、写真は、「パーソナルワーク」、「商業写真」、「ファインアート写真」に別れ、それぞれの価値基準が異なるといいます。

それぞれ、何をもって「良い写真」となるかというと

「パーソナルワーク」・・撮影者の価値観と見る者の価値観との間で決まる相対的価値観によって左右される。良い写真の客観的基準は定まらない。

「商業写真」・・クライアントの求める価値に合うか否か

「ファインアート写真」・・現代アートに共通の「問い」がそこにあるか否か

ということでしたね。

良い写真とは何か・・その2 何を写すのかが重要

ここでは、良い写真とは伝わる写真であるとの前提での議論であった。昨今の写真界隈では、良い写真とは伝わる写真であると言われることが多いので、それを前提に考えてみました。
ただ、伝われば良いというものではないでしょうから、「写真の良し悪しは、伝えたいことが伝わるか、そして伝わったコンテンツに人が感動するか」ということになります。

「何を写すのか」が重要で、これは被写体自体だけでなく、その被写体の背景にあるコンテキストの問題となるのでしょうね。

良い写真とは何か・・その3  「誰でも撮れる写真」はダメ


ここでは、写真については素人ではあるが、主人の吉田亮人さんに転職して写真家になることを勧めた奥様の意見から・・
良い写真とは、そこに行けば「誰でも撮れる写真」じゃだめ
で。どんな苦労も写真の良し悪しに関係ない、
ということを明確に言ってます。

良い写真とは何か・・その4 写真は哲学

最後に、これもまた、吉田亮人さんの体験からの学び 

まずは、バングラディッシュ、シブさんが言うには「100年前に作られた詩が今でも多くのバングラディッシュ人に読まれているんです。なぜ、今でも読まれているかわかりますか」・・「彼のあらゆる哲学が彼の詩の中に生きているんです。」「写真は哲学だと思って、これから写真を撮ることを考えていってみてください」(しゃにむに「写真家」より)

そう、写真は哲学なんですね。先に、伝わる写真が良い写真で、その伝わる内容に哲学がないと良い写真とはならない、ということでしょう。

キュレーター・後藤由美さんは、「あなたの写真を私たちがみなければならない理由は何なのか。わざわざ他人にあなたの写真を見せる理由は何なのか。」を考えないといけないと言います。(しゃにむに「写真家」より)

結論・・自身の哲学を磨こう

写真の良し悪しは、撮り手と受け手の相対的価値観で左右されてしまうことは前に述べました。
しかし、写真の撮り手は、自分の持つ価値観を相手に伝えようとします。そこには見せたい理由を考えなければならないでしょう。その情熱が伝わればそれに受け手である見る側が感銘する。そして、そこに哲学があれば、普遍的な価値として多くの方々の共感が生まれ、歴史に残る写真になる。共感が生まれるには、「問い」が必要となるのでしょう。

良い写真とはそういうものなのでしょうね。

以上からすると、良い写真を撮るには、撮影技術・技能を磨きつつ、何をなぜ撮影するのか、自身の持つ哲学をよく考え、写真を通して何を伝えないのかを考える必要がありそうですね。そのためには、写真以前の問題として、自身の哲学を磨かないといけないようです。

なお、以上は個人的見解です。価値観は人それぞれですので、その人ごとに「良い写真」が存在して良いと思います。

続編

上記結論は、現時点でのまとめの結論で、自分の中で固まっているわけではありません。
まだまだ、模索は続きます。


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