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日本語勉強用の記録 2

わたしは生存欲求が人一倍強いと思う。まだこの世界でやりたいことが沢山あるからだ。でもこの理由はわたしを少し悲観的な気持ちにもさせる。わたしが死ぬまでにやりたいことを全てやり切るのは人間の寿命を考えると到底不可能と分かっているからだ。優先順位をつけて今のわたしがやりたいことを順にコツコツとこなすより他はない。わたしはそういう機械のようだ。

なぜ生存欲求なんてことを書いたかというと、これまた妄想だ。
もしいつか自分が瓦礫の下に埋もれてしまい、自力で地上に這い上がれない時に、茹でたトウモロコシがポツンとわたしの目の前に現れたら、どうやって食べるべきなのだろう。たまにすごく器用に根っこごと粒を外して食べる人がいるが、わたしにはあれがとても気疲れしそうに見えてしまう。
根っこごと粒を外すで意味が伝わるのだろうか。これだ↓

本当に面倒くさい食べ方だ。

しかし、極限状態の中で限られた食べ物をわたしがいつもするようにガツガツと食べてしまっては、根っこの部分の栄養を無駄にしてしまうことになる。
つまりは食べるという行為に消費する体力と、体内に取り込める栄養の量とのバランスが問題だ。
いつまで助けを待たなければいけないかも分からない状況で、長期的に物事を考えずガツガツと食べてしまうのは、後から根っこの部分を食べるのは至難の業だということを加味すると、やはりチマチマと一粒一粒根っこから外して食べるのが正解のようにいまのわたしには思える。
何れにせよ、このように妄想していれば時は過ぎるので、瓦礫の下に埋もれてもなんとかやっていけそうだなと、ふと思った。


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