【短編小説】連続事件には発見者を【ワンライ】

 見たくないものを見るくらいならばいっそ視力が完全に壊死してしまえばいい──そういうことを考えるのは、まぁ誰しも回数の多かれ少なかれ、機会としてはとにかくあると思うのだけれど、ところに僕がそう思ったのは、これが四回目の経験だった。
 回数をちゃんと覚えているのにはもちろん理由がある。というのも、僕、静寂慧は、「見たくないもの」の定義をただ一つに定めているのだった。それは今、僕の目の前にある。見たくないなぁ、と思いながら、見ているところだ。
 それは人の死体である。
「……警察呼ぼ」
 僕はポケットからスマートフォンを取りだし、110番に通報をする。この動作も慣れたものだ。手が震えるといったこともなく、ただ淡々と、電話する。
 事件か事故か聞かれ、そんなもんまだわかるわけないだろと思いつつ、話を早く進めるためにとりあえず「事件」の方向性で話をさせてもらった。まぁ十中八九間違えてはない。
 とにかく、僕といえば、足立区の路上、コンクリートの、こうこうこういう場所に人の死体があるということだけを、電話口のお姉さんに伝達できれば十分なのだ。住所は電柱に書いてあるものを参照した。これも、慣れの一部といえよう。
 ひとつため息をついて、スマートフォンを再度しまう。目の前には、背中に小ぶりのナイフが刺さった少女が横たわって──横になってくたばっていた。母親が教えてくれる朝の占いで、ラッキーアイテムがトマトだったことを、脈絡なく思い出す。
 益体のないことばかり考えた後、僕はその場を離れるべく歩き出した。またも厄介ごとに巻き込まれるのはそろそろ勘弁で、だから、これより先は「あいつ」に任せよう──そういう他力本願を前提に置いて。
 
 
「それで、また死体を見つけたわけだ」
 家に帰ると、妹の比々はテレビゲームをやっていた。
「まぁ……そういうことだね」
「お兄ちゃん、ほんと死体に愛されてるよね。犯罪に愛されてるのか、犯人に愛されてるのか、どっちだろう? まぁいいや、警察に通報は?」
「比々の名前でしたよ」
「それは重畳でした」
 比々は中学生なのだが、高校生の僕の世代で昔流行っていたゲームばかりをやっているので、周りと話が合うのだろうかと少し心配になる。
 聞けば、意外に今どきの中学生はレトロ趣味なので問題ないらしい。プレステ3をレトロと呼ばれる筋合いはないので、僕はそう言われる度に若干むかついている。
「じゃあ、今回も行ってこよっかな」
 比々は、画面内のソニック・ザ・ヘッジホッグにポーズをかけて立ち上がり、外出の準備を始めた。やっていたのはメガドライブじゃなくてプレステ3とかで出た新しい方のやつなのだが、まぁ伝わる人間は少ないだろう。
「現場まで案内してよ」
 部屋着のきもかわいいキャラが描いてあるスウェットにトレンチコートを羽織り、比々は僕の長袖の裾を引っ張って一緒に部屋を出る。ボタンを閉じれば内着は見えないので問題ない、といつも正当化するわけなのだが、きもキャラの頭が普通にコートの合間から覗いていた。
 普段滅多に部屋から出ず、カップ麺ばかり食べては胃と体を壊している比々の腕や胴体は、安物イスの脚くらいに細く頼りない。
 プレステ3の電源はつけっぱなしで、だからたぶん、帰ったら続きをやるつもりらしかった。
 
 
「はぁー、死体だね。そういえばお兄ちゃん、今日のラッキーアイテムがトマトだったんだっけ」
 あんまり僕と同じことを言うのでぞっとしない気持ちになったが、そんな僕のことはほっといて、比々は路上の死体を観察し始めた。
 ナイフの刺さった背中の傷口からは当然血がだらだらと垂れており、日本庭園もかくやという、美しい流れを生み続けている。傷口そのものは膿み続けており、だからおそらく犯行時刻はついさっきだ。
 僕ら兄妹はもとより寒がりなので長袖やコートを着ていたが、死体は七分丈のシャツを身につけている。九月末の気候を考えれば妥当で、不自然なところは何もない。至って一般的な──僕と同じくらいの年齢の──女の子の死体である。
「死体に『一般的』なんて言えるのは、刑事か探偵かお兄ちゃんか、わたしくらいのものだろうね」
 比々にはそう言われたが、どうも賛成はしかねた。四回、という数は、それほど多いものではない。それに、初めの一回はともかくとして、あとの三回はごく最近のものだ。
「比々。いちおう聞くんだけど、何かわかることはある?」
「ん……いや。言葉を借りるけど、これも、一般的な死体としか言いようがない」
 比々は、僕よりひとつ少ない数の死体を見てきている。それは、僕が二度目に死体を見た時、比々に相談したことがきっかけだった。比々は僕の代わりに「第一発見者」を名乗り、警察の聴取を受けてくれたのである。そのことは僕も感謝していて、だから──。
 その聴取で話したという内容が、僕が見た事実に多少「食い違い」があっても、あえて追求するようなことはしなかった。
「……お兄ちゃん」
「ん、何?」
 比々の不安そうな声に反応し、僕は死体から目を外して妹の顔へと顔を向けた。
「悲しく、ない? この人が死んだことに関して」
「……え?」
 僕は何を聞かれたのか一瞬わからず、少し硬直する。
「いや、べつに。だって、こう言っちゃ悪いかもしれないけど、この人と僕は関係ないしね」
「でも、この人はお兄ちゃんのこと知ってたみたいだけど」
「僕も知ってはいたよ。でも、知ってるから関係があるってことにはならないよね。確かにこの人にとっては僕が『何か』だったかもしれないけど、僕にとっては、この人はなんでもない人だよ」
「……そう」
 僕の妹は少し息を吸うと、
「──よかった」
 と、何ともなしにこぼした。
 比々が続けて観察を続ける。この死体について、多少でも変わったところがあるとしたら、それは、彼女が僕の通っている高校の制服を着ていて、利き手に僕宛てのラブレターが握られていることだろう。
 比々はそれを見つけると、
「……お兄ちゃん、ちょっとあっち向いててね」
 と言った。
 僕が比々の言う通りに体ごと塀の方に向けると、マッチを擦る音が聞こえた。
 死体がものを握っている時、その手は、強く硬直したままになってしまうことがあると、推理小説で読んだことがあるのを、ふと、何の脈絡も何の関係もないのに思い出す。それなら、何か握られているものを消失させたければ、燃やすかどうかしないといけないな──なんて、何の役にも立たない非現実的な妄想をした。
「にしても、こんなに連続で事件が起きるなんて、犯人はよっぽどお兄ちゃんのことが好きなんだろうね」
 そうだろうな、と僕は思った。僕が遭遇した初めての死体──あれは、確か僕の恋人だった。それも、今この場に何の関係もないのに思い出した。
 マッチの音がボウボウと、比々の転がるような声に重なって響いている。
「……じゃあ、悪いけど今回も聴取の方、よろしくね」
「うん、わかった」
「じゃあ、僕は帰るから」
「うん、わかった」
 僕は死体の方を見ないまま、塀に沿って家に帰る。警察には、比々が僕の代わりに、事情を説明してくれることだろう。電話口だから、名前さえあっていれば、通報者と実際の発見者が違っても、あまりバレないものである。
 一連の殺人事件は全て未解決だ。だから今回の出来事も、未解決の連続殺人が、一件増えたというだけに過ぎない。もしかしたら、比々がいずれ全ての事件を解決してくれるかもしれなかったが、おそらくそれはないだろうと僕自身は考えている。
 だって、比々は探偵ではなく──
 と、この先は、今は何も関係ないことだ。そう思って、僕は自宅の玄関を目指した。長くなりそうだから、ゲーム機の電源は切っておくつもりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?