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自己紹介 前編

まずは自己紹介をしてみようかと。
書いてみたらものすごく長くなってしまったけど、
自分の生い立ちを俯瞰で見ることができてよかったです!

ご興味ある方はどうぞお付き合いください。


1985年、第一子・長女として誕生しました。
1995年に妹が生まれるまで、ひとりっことして育ちました。

◇幼少期

たいして動きもしないのに
たくさんのお菓子を与えられ、
こたつで寝かせられたためにムッチムチ!

お世辞にもかわいいといえない当時の写真の数々は
後に大人になってから多くの人に笑いを提供することに。。。笑


祖父に連れられて3歳のときにラジオ体操デビュー。
以降、大人になるまで夏休みだけでなく毎日参加

運動全般苦手ながら、ラジオ体操を正しくできることは誇りです。

ラジオ体操で出会った近所のおじさんおばさんたちに
たくさんかわいがってもらい、楽しい日々を過ごしました。


母がベレー帽に憧れたという理由だけでキリスト教の幼稚園へ。

嫌なこともたくさんあったけど、
一生の友達ができたことは大きな収穫でした。
今も月1で女子会を開催。(※現在はコロナ禍のため中止)


水泳・バレエ・ピアノを習い始めました。

水泳は嫌すぎていかにして休むかに注力!
 結果、泳げないまま大人になりました。。。

バレエは塾に入るタイミングでやめました。
 観るのは好きなため、今もよく観ています。

ピアノは唯一大人になるまで続けました!
 レッスンには通っていませんが弾きたい願望はあります。

特に「おかあさんといっしょ」が大好き
歌のおねえさんになりたいと強く夢見ましたが、
見た目でムリだと悟り、早々に夢をあきらめました

それでも歌うことは大好きで歌い続けました。
大人になって、友達の子供の誕生会で
子供の歌をうたって夢が叶いました!


◇小学校時代

引き続きムッチムチで重め前髪ぱっつん
容姿のことでたくさんいじめられました。
それが原因で男子とほぼ関わることなく過ごすことに。。。

最初はいやでいやで仕方なかったものの、
成長とともに気にならなくなり、
陰キャラ代表(自称)として
それなりに小学校生活を楽しみました。


本が大好きで学校や児童館の
図書室にある本をほとんど読破しました。

お笑いも好きでしたが、
母が嫌な顔をしたため表には出せず、
こっそりと録画した番組を見る日々。。。

小学3年生の時に祖父にすすめられ
町内の太鼓の会に入会しました。
地味で目立たないながらもコツコツと練習に励み、
太鼓を叩く楽しさはもちろんのこと、
地元の人と人とのつながりの楽しさを知りました。

まさかこれが自分のライフワークになるなんて
このときは考えもしませんでした。。。

現在もその活動は続けており、
町内の子供たちと太鼓の練習をしています。


小学5年生の時、年の離れた妹が誕生しました。
私の人生は良くも悪くも大きく変わりました。

親に認めてもらいたい一心で
勉強をがんばりはじめました。
成績もメキメキ上がっていき、
それを見た親に中学受験をすすめられました。

「いい学校に行って、いいところに就職しないといけない」

が親の口癖で、それに従うために一生懸命がんばりました。

一般コースとは別に塾の進学コースにも入れてもらい
学力もさらに上がるものの、いざ受験が近づいてくると
地元の中学に通いたいという気持ちが強まり、
親の期待を裏切り受験当日に答案用紙をほぼ白紙で提出。

中学では引き続きいい成績をとり、
高校受験で親が納得する学校に行けるようにがんばる!

と約束し、地元の公立中学へ


◇中学校時代

相変わらずのムッチムチで重め前髪ぱっつん
よくいる、地味である意味目立つヤツです。
卒アルとか見返したときに思い出して笑われるヤツです。

新しい場所でも容姿のことで笑われたりするものの、
もう心もだいぶ強くなってきており、
マイペースに過ごすと決めました。
中学でも男子とはほぼ関わることなく過ごしました。

親と約束した通り、勉強を猛烈にがんばりました
その努力が実を結び順位は常に上位をキープできました

しかし親は結果のみを重視するタイプで
私が本当に認めてほしかった
「がんばり」を認めてもらえず
悶々とする日々を過ごしました。

陰キャラながらもひょんなことがきっかけで
3年間学級委員を続けたこともいい経験となりました。

部活動は全員強制で
入りたい部活はなかったのですが
近所の先輩の熱烈な勧誘と
顧問の先生の策略により弱小吹奏楽部に入部しました。

消去法により3年生の時に部長もつとめました。
その年、諸事情により2大イベントの1つである
夏のコンクールは不参加となってしまいました。

この悔しい気持ちと共に
大編成バンドで合奏してみたいという気持ちが強まり、
高校で吹奏楽を続けたいと思うようになりました。

結果、自分の中で志望校は吹奏楽がさかんな高校一択に。、
それを告げると両親・学校の先生・塾の先生に猛反対されました。

進学校の見学にたくさん行かされるも、
自分の気持ちは変わることなく、
再び期待してくれていた大人たちを裏切るかたちで高校を決定


◇高校時代

都内の吹奏楽強豪校に入学しました。
さすがに高校生にもなると
容姿のことでいじめられることは減少。
部活で出会った男子と交流するようになりました。

もちろん吹奏楽部に入部
部員は100名近くおり、
大編成で合奏できることに
わくわくしたことを今でも忘れません。

入部したときはそこそこ強豪でありながらも
都大会にはとどかないくらいのレベルでしたが、
2年生の時には都大会初出場、
3年生の時には全国大会初出場金賞と、
真の強豪へと成長していく真っ只中だったため、
ほぼ休みなく朝から晩まで吹奏楽にすべてを注ぎました

現在、母校は東京都の強豪として有名になり、
テレビなどでも見かける機会が増えました。


言い訳にしてはいけないけど、
部活に没頭した結果、勉強がおろそかになり、
成績はどーーーんと下がりました!!
担任との面談時、メモ欄に「理数がパァ」と書かれたことも。

成績優良者だと思い込んでいた親は
初のお呼び出しに驚きを隠せなかったことでしょう。

辛いこともたくさんあったけど、
部活を3年間やりきれたこと、
憧れの大編成でハイクオリティな合奏に参加できたことは
卒業してだいぶ経った今でも貴重な経験だと思えるし、
部活で学んだことは何一つ無駄ではなかった
と自信をもっていえます。

反対しながらも受験・入学・入部を認めてくれ、
楽器やユニフォームを買ってくれ
高い部費を払ってくれた親には本当に感謝しています。

また高校では素敵な出会いもたくさんありました。
その中の1つが旦那との出会いです。
これについてはまた別記事にて。。。


付属校のため、付属推薦で大学へ進学する。

◇大学時代

文学部日本文学科。
社会に出て役に立つとは思えないけど、
特に夢や目標もなかった私にとって
4年間没頭できそうな学問はこれしかありませんでした。

4年間、片道2時間半の通学は毎日が旅行のようで、
それはそれで楽しかった思い出です。

ゼミに恵まれて、思いがけず楽しい大学時代を過ごしました

副ゼミ長でありながら、みんなにたくさん支えてもらいました。
今でもゼミの仲間とは不定期ながらも交流は続いています。

サークルには入りませんでしたが、
中学の部活の顧問が所属している
一般の吹奏楽団に入団し、
休日は細々と楽器演奏を続けました。

バイトは主にコンビニと結婚式の介添え
平日の早朝と夕方はコンビニ、
休日は結婚式の介添えとバイト三昧の日々でした。

特に結婚式の介添えは大変ではありましたが
学ぶことも多く、私の人生に大きな影響を与えました。

これがきっかけでブライダル業界に憧れる
土日休みではないため、その時自分が打ち込んでいた
祭礼や楽団の活動に参加できないことが
最後の最後までふんぎりつかず、あきらめることに。


就職活動も時期がよかったのもあって、
複数内定をもらうことができましたが、
最終的には土日休みの地元の企業に就職しました。

何度も裏切られたからか、就職に関しては
親が口を出してくることはありませんでした。


こうして書いてみると、
中学まではほぼ「親の言うこと絶対!」で、
親の引いたレールを走り続け、
親を喜ばせたり、親に認めてもらうことに
必死だったことがよくわかります。

しかし親に認めてもらることはありませんでした
(本人たちは認めていたと思っているようですが)

それに気が付いてから、いい子になるのはやめて、
「自分の人生、自分のために生きていこう」
と強く思うようになりました。


親には本当によくしてもらったと
心の底から感謝していますが
精神的な面ではわかりあうことができませんでした。
親との関係性は、自分が悩んでいる一番の悩みでもあり、
向き合わないといけない大きな課題でもあります。
これについても別記事にて。。。


THE陰キャでありながら、
様々なことにチャレンジし、
たくさんの人と関わりながら
ポジティブな性格に変わっていき
あまり表に出せなかった
本当の自分を出すことができるようになったことで
つまらなかった人生がとても楽しいものに!

長々と読んでいただきありがとうごさいました!


次回は社会人編~

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