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良い子を少し卒業する

ごめんなさい。
ふと気がつくと、よく謝っていた。
たいしたことなくても
あ、私のせいかもと頭の中の独り言が
つぶやいて、咄嗟にでることもあった。

人間関係でゴタゴタあると、
その場の空気が悪くなると収めたくて
「私が余計な一言いったかな、ごめんね」
自分が謝ることで、
誰かの気持ちが楽になって
その場がおさまるなら
誰かの機嫌がなおるなら
不穏な空気を打ち破れるなら
大したことない
ちょっと我慢すればいい。
私の言い方が悪かったかもしれないから。
そう思って、行動して収まって
ほっとしたのを覚えている。

そうやってやるうちに
それは、私の成功体験となった。

人間関係は50:50と思って生きてきた私は
自分が必ずしも正しいわけじゃない
相手がどのように受け止めるか分からないし
本当に逆撫でたり傷つけてしまうことがある

そう思うと、自分への反省や
私が悪かったかもしれないと思うことは
普通になり謝ることが普通になった。

でも、謝るうちに
いつも自分が悪い
そんな自分はよくない
だんだんと自信もなくなるし
謝らない相手にイライラしてみたり
私ばかりと思ったり
だんだん苦しくなった。

謝らなきゃ
その場をおさめなきゃ
相手の要求に応えなきゃ
私さえ我慢すれば

そうやって勝手に良い子になって
誰かの分を勝手に背負って

謝っていても
解決できない場がでて
収まらないことに出会って
成功体験もうまくいかない
爆発して涙が止まらなくなった

そうして、投げかけられた言葉にハッとした

「謝りたくなければ謝らなくていいんだよ」

謝りたいかどうか?
考えたこともなかった。

それから、私は「ごめんなさい」が出た時に
本当に謝る必要があるのか
客観的に見るようになった。

そうすると、収めるためだけの
咄嗟のごめんなさいもあって
ごめんなさい、じゃない言葉に置き換えられ
こともたくさんあることに気づいた

ごめんね、と、ありがとうは言える人でいたいそうは思うけど、

謝らなきゃでやる、ごめんは減らせるし
必要な時に自分が悪いと本当に思った時に
謝れる自分でありたいなと思う。

もし、「ごめんなさい」が癖の方がいたら

客観的にみて、謝る必要があるのか
ごめんね、以外に置き換えられる言葉がないか
相手の分まで、空気を読んで、収めるために
行動していないか

一度見つめてみてあげてください。
過度なら、謝る自分を手放したっていいんです。

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