出戻りロリータ




 ロリータファッションという世界を知ったのは高校生の頃のこと。同級生がゴスロリ服を所持していて、衝撃を受けた私はどこで売っているのかと必死で聞いた覚えがある。彼女によると大宮アルシェの中にいくつかお店があるとのことだった。アルシェといえばMOUSSYなどのギャル御用達ブランドが集まっているイメージしかなかったので半信半疑でエスカレーターを上ったら、そこには別の世界があった。
 当時その辺りにはprettyを扱うセレクトショップと、BPN、そして王道のロリータファッションブランドBABY, THE STARS SHINE BRIGHTが並んでいた。中でもBABYは赤い絨毯の敷かれた店内に金色の什器が鎮座しており、まるでお城のような雰囲気だった。フリルやレースがたくさん付いた洋服がたくさんあり、まるでお姫様のクローゼットを見ているかのよう。店内を明るく照らすライトが熱く、ほんのり汗をかきながら時間をかけて真剣に端から端まで見て回る。店員さんにも話しかけてもらい、ロリータ服を身に纏った人が実在することに改めて衝撃を受けた。服はすぐに買えるような値段ではなかったがその店の何かが欲しくて仕方がなく、数日悩んだ結果3000円ほどのアリスが描かれた白いキャンバストートを買った。

 そこから友人を誘いラフォーレ原宿へ足を運んでみたり、オークションサイトを覗いたりと徐々にロリータの世界のことを学んだ。当時流行っていた少しパンクっぽいファッションにも手を出したりしつつどんどんその世界にハマっていった。文句を言うのではと思っていた両親は、意外なことに「露出度の高い格好をしたりするよりは余程良い」と理解を示してくれた。PINK HOUSEが流行っていた世代だったこともあるかもしれない。そんなわけで高校を卒業する頃にはBABYの服で全身を揃え出かけることもできるようになり、20歳の頃にはほぼ全財産をつぎ込み毎日をロリータ服で過ごした。ロリータの仲間もでき、本当に楽しい毎日。この頃の日々は今でも私にとって一番の宝物だ。

 こんな具合に見事にロリータに染まった私だったが、20代半ば頃に転職をすると日々仕事に疲れ休日にロリータを着る気力体力がなくなっていった。周りも段々とロリータから離れてゆく。親もそろそろフリフリはやめた方がいいね、などと言いだし、クローゼットにパンパンに詰まったパステルカラーの服たちがなんだか自分から遠く離れた物に感じてきた。もう私はロリータじゃないんだ、という気持ちになった私は友達にまとめて譲ることにし、ほぼすべての服を手放した。何かがぷつっと切れてしまったのかもしれなかった。

 次第に所謂「普通の服」を着ることに慣れていった。街中から浮かない格好は楽だった。親もそっちの方がいいよ、と言うのでそうだよね、と流していた。最初はまだチェックだけしていたBABYのホームページも次第に見なくなっていった。

 そして数年後。
とあることをきっかけに初めてひとり暮らしをすることになった。実家から電車で一時間ほどの所に部屋を借た。ひとり暮らしは自由で快適だったが、何かが足りなかった。うん、ロリータが着たい。唐突にそう思った。若い頃のように勢いのある買い方ではないが、また少しずつ買うようになった。手にするからには今度は簡単に手放したくないと思うようになり、吟味して買うようになった。やっと少し大人になった出戻りロリータだった。

 ロリータ服が全てだったあの頃に比べると、ロリータ服は私のちょうどいい一部になった。クローゼットに普通の服と一緒に納まるロリータ服のように、ちょうど良く私の中に納まった。振り返るとあの頃の私には他に何もなかった。ロリータ服と、それで繋がった友人だけが私の全てだった。
 ロリータから離れている間に、仕事を覚えて自信もつき、新しい人間関係を構築し、他の趣味もいくつか見つけることができた。人として大きくなるために、きっと必要な時間だった。
 その間にだいぶ大人になってしまったし世の中ではオバサンと言われても仕方のない年齢になってきた。ロリータが似合っているかどうかで言ったら若い頃の方がきっと似合っていたとは思うけれど、そもそもロリータ服は似合うかどうかを基準に着るものではない。着たいから着る。ただそれだけでいい。
 パーソナルカラーや骨格診断が流行している今、勿論自分をより良く見せるための服を着るのもいいが、私は「事故」「年相応」を必要以上に恐れることなく好きなものを身に纏って生きていきたいと思う。

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