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【子どもの悩ましい行動】親が自分を肯定できると「矯正」から「尊重」の子育てになる。

小6になった息子。
無邪気さだけだった息子の中に自己に対する葛藤がうまれている様子をたびたび目の当たりにするようになってきました。

親の関わりも悩ましさが増えていくのですが、親が自分自身を肯定できていることで、子供の態度に右往左往せず、構えていられるようになると感じています。

親が自分や自分の人生を否定していると、我が子は「そうなってはいけない」という思考になり、子供を矯正しようとして抑圧させたり否定したりしかねません。私は、長年、この思考に陥っていました。だから子どもは可愛くて愛おしいのに子育てに苦しさがありました。育児本を読み漁り、「こうすべき」がたくさん思考を巡らす状態。

でも、今は、子供に何があってもいい、この子の中にある感覚は全てが願いに繋がっていて、さらには、全ての体験が気づきと学びをもたらす大切なことであるということを自分の体験から理解しているので、不安や焦りにのみこまれず関われていると感じます。


息子の怒りの奥底にあった葛藤の正体

息子の葛藤の表現としては「怒り」になることが多く、怒りの矛先はその時々で違うのですが娘(妹)に向けられることが多いです。怒りの矛先が娘にむくことが私にとってはとても辛いのです。

先日も、「妹のベッドで寝たい」と言い出し頑なに妹のベッドから動かない息子。

(この言い分の背景にはいろいろあるのですが)娘は自分のベッドをお兄ちゃんに取られ暴言まで吐かれて悲しんで怒り泣きをしている状態。

私は「夜に勘弁してよ」というのが正直な感想でした。

娘は周りを優先して譲る性格なので娘が我慢することが多い我が家の兄妹ケンカ。その結果、息子に対する親の対応が厳しくなりがちに。

このケンカの際も、娘がやられて泣いていたので私が娘をなぐさめていると、息子がさらに怒りをあらわにしてくるいつものパターンになっていました。私は息子にうんざりして、いい加減にしてほしい、と怒りがこみあげてきていました。

怒りをぶつけそうになる自分を抑え、その場から少し距離をとってみたときにふと、「私の小学校時代と似ているな」という思いが出てきました。
親が喜ぶ子や大人が可愛がる子の「態度」は、頭では理解しているけれど、それができない自分がいる
自分はなんて性格が悪いんだ、なんでこんな人間なんだと責めていた小学生のころ。その当時のことが思い出されました。

私は三姉妹の長女として育ちました。親はいい子である妹たちはには優しく(見えて)、一方の私は抑圧しきれない怒りを抱えた思春期で、親からのあたりが厳しく、「私は愛されていない」という思いを抱えていました。

「親は妹たちはかわいけど私は可愛くないんだろうな。私は人から愛されない存在なんだろうな。」という感情を抱いていた小学生当時の感覚がわきおこってきました。


息子はきっと、妹が「いい子」で、「いい子でない自分は愛されない」という不安が怒りとなって出てきたのかもしれないと思い、息子に聞いてみると「うん。」という答えが。


そこから「お母さんも同じ思いを抱えていたよ」ということ、

そして幼少期の自分は気付けなかった大人の都合の「いい子」になる必要はないということも伝えました。

大人の都合で子供に「こうしてほしい」はあるから、それをしてくれると助かるのは事実としてあるけど、従わないあなたを嫌いになることはないこと。

子供時代は大人の都合で「言うことをきく子」が歓迎されるように見えるけど、それをしないあなたがダメな存在ではないこと。

周りに屈せず貫き通せる強さは宝であり、自分の意思が強くあることも宝であること。そしてそれだけ強く願いがあるんだから、大きくなったら必ず自分の力で道を切り拓いていけるから安心してほしいこと。

そんなことを伝えていくと、強い怒りを出していた息子が落ち着き「ありがとう」と言いました。

息子の怒りは、自分は愛される存在ではないという自己否定と不安からきていたんです。そして私も同じような感覚を幼少期に抱いていたんです。

親自身が体験を肯定しているからこそ子供を受容できることに気が付いた

息子が最後に「ありがとう」と言って眠りについたのですが(結局娘のベッドで(苦笑))、私自身が自己受容をして、その体験を昇華してきた体験があったからこそできた会話だと思ったんです。

私は、長年、自分の幼少期の体験から「そのままの自分では愛されない。ダメな存在」というレッテルをつけてきました。

自分のままでは愛されないと思ってきたから、愛されるために自分を抑圧して、自分ではない何者かを目指すことにエネルギーを注いできたので生きにくさを抱えていました。


今もこの状態だったら、息子の怒りを抑圧させることを強いて、私が長年抱えていた「自分はダメな存在」「こんな自分は愛される存在ではない」という葛藤を息子に投影して、息子の中にある葛藤を助長させてしまっていただろうと思いました。

暴言をはく息子、小さいことで頑なになっていうことをきかない息子、それら表面的な言動にとらわれて「ダメ」としていたのだと思います。そして、これらを矯正すべく、あの手この手を試して、どんどん息子を「親に矯正されている。俺はダメな存在なんだ」という気持ちにさせていっていたんだろうなと感じます。(実際はわかりませんが)


自分と丁寧に向き合い、それらすべての体験の奥に何を願いとして持っていたのか、幼かった自分は術がなくて未熟な表現になってしまっていたけれども、大人になってそれがいい形で生かしていけるということを学んできたことで、息子の怒りはあっていい、葛藤もあっていい、必ず昇華していけるから、と信じられる自分になっていました。

子育てをしていると、過去の自分と対峙する場面にたびたび遭遇すると感じます。

その時に自分の体験がダメなものではなく、そこに自分のどんな願いがあったのかを理解していると、子供自身を抑圧させたり、否定することなく信頼し受け止められるようになると感じています。

全てがこの子に必要な体験であり、そこから必ず気づき、学んでいくということを信じられるようになり、いろいろなことに動じなくなった自分に祝福の気持ちがあります。

子育てはまだまだ道半ばで、これからも予想外のこともいろいろあるのだとうと思いますが、我が子が何を願い、何を表現したかったのかを丁寧に寄り添いたいと思った出来事でした。

最後まで読んでくださりありがとうございました。


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