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アメリカ激闘記① (仮)

さて、今のこの時期を借りて少しでもプラスに、過去の自分を少しずつ詳しく、改めて(思い出しつつ)紐解いていく、、なんてことを試みてみようかな、なんて思います。ご興味ある方はお付き合いを是非。♪

まずはアメリカ時代①。


僕が初めて海外に降り立ったのは1999年、28歳の時。この時はこの後の"改めて"の渡米のひとつのきっかけに過ぎなかったことになるけど、決断したには沢山理由があった。正直行きたくなかった。もともと腰の重い僕は、無理矢理背中を押した。というより蹴飛ばした。笑

一番最初の海外のお仕事のオファーとなったのは、「Power Rangers World Live Tour ("Lost Galaxy")」。全米をまわる(はずだった…)大がかりなライブショーです。

もちろんパフォーマーとして。結果的に最終地はラスベガスとなった。

生活は、寝台バスと(移動の際の寝泊まりは全てここ)、各地のホテル・モーテル(むろん相部屋)の半々となる。向こう3ヶ月間、プレーヤーとしては日本人は僕一人、ここで過ごすことになった。

ドキドキと少しの期待と、使命感のようなものが入り混じった、空港を降りた時の初めてのアメリカの匂いは、正直、僕は嫌いではなかった。


当初、(後からメンバーとして来られるはずだった)まだビザが下りない、僕のもとに集まってくれた、日本人パフォーマー達の思いや期待を、きっとどこかで、いや、半分以上は背負っていたと思う。(家を引き払った者も何名かいた。)

ちなみに、この経験と生活を共にしたアメリカ人パフォーマー達は、今は各々それぞれの道に進んだが、今もまだ、連絡を取り続けている。(僕は変わらず辞書片手に。笑)
未だ僕が滅多に口にしない、そう、きっと"仲間"ということなのだろう。


ここで少し戻ります。

まず、"観光・旅行"。 と "仕事"。 で行く(生活の拠点を置く)のは大きな相違があるということ。そして、外国内の"日本人コミュニティ"の中に居るのか、そうでないか、ひとりの"外人"としてそこに組み込まれているのかでは、大きな違いが生まれてくる。と思います。

しかしいずれにせよ、この経験がなければ、そして自らこれに身を投じなければ紛れもなく"今の僕"はなかった、ということ。だから良かったと思ってます。全てが。

さて、言葉もわからず、初めての海外の飛行機を一難二難乗り継いで、(ビザの関係上、実質Tourへの途中参加となる"外国人"僕が、)
場所によってはまだまだ人種差別のある片田舎の空港にひとり降り立った先は…?!

迎えも遅れ、空港の電気も消えシャッターも降り、両脇に荷物沢山、心細さMax、、やっと現れた、酔っ払った迎えのメンバー達の車に乗り込み、、疲れ果てすぐにでもホテルのベッドに倒れ込みたかった僕に待ち受けていたものとは…?! …笑。。


(*こうやって文章にしてみると、過去のこととはいえ、やはりはっきりと、それだけ強烈な印象・経験だったと、改めて思います。支離滅裂だったら失礼!笑)

ご興味があれば、この先続きます。笑

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