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【第6回/本の紹介】戦争プロパガンダ10の法則/草思社文庫

みなさん、こんにちは。堀さんです。
今日は、本の紹介をしようと思います。

この本 ↓ ↓

皆さん、歴史は好きですか?
私は大好きです。
不登校、ひきこもりのときも何故か歴史だけは手放さず、色々と渉猟しておりました。
この部分が数学の人もいるでしょうし、イラストや漫画の人もいるでしょう。ゲームの人もいるかもしれません。
ひきこもり生活の中でわかったことは、孤独でも、一人ぼっちでも何かに熱中している重要性です。
それは、「主体的に何かをする」という態度のことです。 
「ぼっち・ざ・ろっく!」のぼっちちゃんこと後藤ひとりさんもその一人だと思います。
彼女の場合はギターでした。

ひきこもりは長期化するにつれて、自立への意欲が減退していくという話を精神科医の斎藤環さんは仰っています。
私にはこの話、よくわかります。
ひきこもりにとって自発的に何かをすることは生きる意味に直結すると思うのです。
それが、減退していくというのは本人から毎日、生命力が吸い取られていく感じでしょうか。
最後には、「死」が待っているのかもしれません。

うーん、現実的な話をすれば、別にギターじゃなくても良いわけです。
不登校、ひきこもりにだって得手不得手というのはあるわけですし。

色々な「好き」があって良いと思います。

まあ、(今から思えば、)私の場合は「歴史」によって生かされていたなと思いました。
全部がそうではないのですが、ひきこもり生活の3割くらいは「歴史」なんじゃないかな。
というか、「歴史を知ってたってなんの役に立つんだよ、マジで……」とは心の底でいつも思っていました。「これからは理系」、「これからはIT系、情報系」などと声高に叫ばれている中で、「歴史」に意味を見出せなかったです。
それでもやめなかった、否、やめることができなかった。
この執着心には我ながら驚くばかりです。

ひきこもり生活からなんとか抜け出した現在も、当時より熱意は下がりましたが、二週間に1冊程度は読んでいます。

閑話休題。

本題

始まりの挨拶が長くなりましたが、早速始めたいと思います。

「戦争プロパガンダ 10の法則」

いやぁ〜、なかなか面白かったですよ、この本。

地元の駅前の紀伊國屋で立ち読みしてたら面白すぎて、気づいたら購入しておりました。全部で200ページくらいしかない本ですが、プロパガンダについて徹底的に書かれております。

章構成もしっかりしており、著者が主張する10の法則を掘り下げる形です。

読了後、「たしかに政府やメディアはこのように振る舞っているなぁ。良い勉強になったぞ」と思いました。

得るものに確信が込められると読者として嬉しいですね。

紹介には、自分の考えというか、ツッコミみたいなものを織り交ぜていけたらと思っています。

それではよろしくお願いします。

※この記事では、字数や読み易さを踏まえて、第2章までしか載せていません。
続きは、近いうちに投稿します。

第1章「われわれは戦争をしたくない」

はい、来ました。
いきなりこの法則です。
読者の方にも「むむ?」と思うところがあるのではないでしょうか。
政治家の口から何度も飛び出してくる言葉の一つですね。
「絶対に戦争はしない。戦争を望みません」と言いながら、ズルズルと戦争に向かうというアレです。
高校生の頃の私は、「政治家が戦争をしないと公言してんだから、まあ平気やろ」と、かな〜り楽観的に考えていましたが、実際はそうではないようです。
今でも殆どの学生はこんなスタンスなんじゃないかな、と思います。

第一次世界大戦直前(1914年)のフランス
「徴兵は戦争のためではなく、平和を維持するための最善策である」

p12

同じ頃(1915年)の敵国ドイツ
「我々は決して戦争を望んでいない…〜…国家の繁栄は平和の中にこそある」

p13

結局戦うことなるフランスとドイツですが、戦争に発展するまで両国が同じ言葉を国民に投げかけているのは興味深いですね。

「第二次世界大戦も例外ではない。連合国が平和を目指していたと聞いてさほど驚かない者でも、枢軸国側も実は全く同じことを言っていたとなれば少なからず驚きがあるのではないだろうか」

p13

これらの引用を自分の根底に据えてみると、「勝者=正しい」という安易な結論を回避できるような気がします。
勝者も敗者も戦争をおっ始める前に同じことを叫んでいたとなれば、両方とも本質は同じということでしょう。
どっちが良いとか、悪いとかじゃないんだね。
君はどっち派?
はー、嫌いな言葉です。
いやいや、どっちも最初から腹黒いじゃん(笑)

第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

え、ゼレ○スキーいつも言ってない? この台詞。
いや、プー○ンも言っているな。

なんかすげぇ怖くなってきたんだけど……。

1914年、参戦直前のフランス
「フランスが参戦するのは、非常に不本意でありながら、ドイツ側からの突然、卑劣で、陰険な、想像を絶する敵意の表明があったからに他ならない」(太字は筆者)

p22

これは、「参戦するのはしゃーないよ、私のせいじゃないよ。ぜ〜んぶドイツが悪いんだよッ♡ テヘッ(๑˃̵ᴗ˂̵)」と言っているに等しい。
社会にこんな奴がいたら、「うーわ、何でも他人のせいにするタチの悪い奴。お近づきにすらなりたくない」で片付けられるだろう。

だが、国家同士になると話は別なようです。

またまた、おフランスのプロパガンダから引用です。

フランスの歴史学者エルネスト・ラヴィスは、1914年11月5日、パリ大学の入学式で演説した。
「ドイツが自ら望んで宣戦布告しなければ、戦争は起こらなかったはずだ。ドイツが一方的に戦争を望んだのだ」

p23

こんなことを頭の良い大学の歴史学者がマジな顔で新入生に言うんだから、全部ドイツが悪いって信じちゃうよな、そりゃ。
え、今も同じ構図が展開されてるって?
うーん、そうかもしれないね。
今もーー(登場人物は当時と全員違うのに)ーー学者、政治家は同じように振る舞っているなぁとつくづく感じます。
視点を在野に動かすと見抜いている人もいるようだけど……。
権力中枢にポストがある人はどうして時代を超えても同じように振る舞うのかなっていつも思います。
世論を支配するには、頭の良い大学からの御言葉(まるで神の一声)が兎に角重要みたいですね。
これが昔は教会だったわけか……。

1914年8月1日付、フランスのル・マタン紙
「戦争を回避するために必要なことは全て手を尽くした。だが、それでも戦争が起こるのならば、我々(フランス人)は大いなる希望をもって戦争を讃えよう

p23

戦争に希望を持つ。どう希望を持てと。
これは言い方を変えると、「殺すことを讃えよう」になる。
平時なら絶対不可能なことでも、プロパガンダという宝具はそれを可能にするようだ。
Fate だったら、これはどういう類の宝具になるのかね。いや、魔法級かもしれない。
オーバーロードだったら間違いなく世界級アイテムの効果だと思います。しかもその中の「二十」のレベルでしょう。なぜなら、世界全体を呑み込むからですね。そしてどんな人間も誰一人として取り残さず、全てを影響下に置くからです。プロパガンダから逃れたければ、地球外に行く必要がありそうですね。

妄想全開ですね。

えーと、は・な・しを戻して……。

私は、戦争を讃えるという文言を聞いて、ジョージ・オーウェルの二重思考(ダブルシンク)を思い出しました。
二重思考とは、相反する二つの事柄を同時に信じ込むことで物事を深く考えさせないように仕向ける言葉のトリックです。
オーウェルの代表作「1984」の中では、
「無知は力なり」、
「自由は隷従なり」、
「戦争は平和なり」が有名ですね。

うーん、分かり易く言い換えるとどうなるんだろ。

「力を得たければ無知でいろ」
「隷従とは、自分は自由だと信じ込むことだ」
「平和を求めるための永遠の戦争状態」
になるのかな。

え、意外に筋通ってるよね。よくよく考えてみると、現代に通じているような気がしてきませんか?

実際、これは「1984」に登場する超権力(ビッグブラザー)が市民に要求する言葉ですね。

同じようなことが、現代の「自由」と「平等」という概念にも言えるのではないかと私は思います。
自由を貫こうと思ったら平等はあるラインから抑圧されていきますし、逆に平等を貫こうと思ったら自由はやがて無くなっていくでしょう。
この2つの言葉は同じ土俵で扱ってはいけないと私は思っています。レベルが異なるのです。
それこそ、二重思考のような気がします。
まあ、権力にとっては都合の良い言葉たちと言えますが。

今回はこの辺にします。
ありがとうございました。

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