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何を完成とするか

「完成」は自分次第、良くもそこそこでも、
OKの出し方がある。

「金継ぎ」を例に取ると、
直したい器がうまくまたカタチになった時の感動。

少し慣れて、見えるようになると、
自分の好みやもっとこうしたい。という方向にトライできたりする。

それを制限がなければ「やっても良いし」「やらなくても良い」
自分の直したい器なら自分がOKを出せば良い。

少し目を離して、
「見立て」という考え方を紹介したい。
お茶の世界では「亭主」がその「お茶会」の全てを決めていける。

お茶碗でもお軸でもお花でも、あつらえて「見立て」でどうぞお楽しみください。という一席の時間。そのひとときを楽しんでもらう。

10年以上も習ってるけど、人前では手前ができるほどではないので、
あまりお茶時のことは語れませんが、考え方を応用したい。

「見立て」ればなんでもその「見立て」通りなので、
金継ぎだとしても、料理だとしても、どうしたいか。そのイメージで作り出していく。

なんであっても「愉しむ」こころをご紹介したい。

お茶にはなぜかよく宇宙の話がでてくる。
お茶碗と棗と水差しを並べても、
お茶碗を清めても
所作ひとつひとつに「宇宙」的な美しさとつながる話を私のお茶の先生はしてくれる。

余韻や残響を楽しんだり、
何もなくても、間を汲み取ったり、
お水やお湯を落とす音だったり、

ほんのちょっとしたことのテンポや音の大きさが、
「心地よさ」「美しい」かどうかを考える問いかけだったりする。

「何を完成とするか」
考え続ける問いでもあるので、
完成はないのかもしれないけど、
ボーダーを自分なりにうまく調整していきたい。

先日、同業の建築家の方と話してて、
「つくるものやことを誰よりもずっと考えてるのに、うまくなかなか伝えきれない。」ずーっとずーっと何かプロジェクトがあるとそのことばかり考えてしまう話を職業病的ですよね、私たち・・と笑いあった。

「何を完成とするか」

一旦完成しても、手を加え続けることもある。
完成させて次々と進むやり方も、
完成とアップデートを繰り返すやり方も、
実験と検証をしつつ、選び取ることも・・
未完成とするか、完成とするか。

それはそれで愉しい。

そんなことを考えつつ、目の前のプロジェクトに向かい合う日々です。
少しでも良く、愛されるものやコトを作り出せますように。

お読みいただきありがとうございました!


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