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暗く重たいところへ落ちそうな時には...

東京では大雪が溶けて風はまだ冷たいのですが日差しが暖かく柔らかくなってきました。
梅の花が香気を放ちながらはんなりと美しく咲き、街路樹には新芽が力強くぐんぐんと芽吹き春の始まりを感じます。

そんな春の成長のエネルギーを感じながらも、プライベートで起きたことやニュースで見た悲しい出来事を思うとギュッと胸が苦しくなり暗く重たい方へとスーッと落ちていきそうになります。

決してそちらへ行きたいわけではないのに、吸い込まれるように暗く重たい方へとスーッと落ちていく感覚や、胸がザワザワとする感覚は味わいたくはないのですが、暗く重たい方へと実際に落ちないための大切なシグナルのように思えていて。
これを感じた時はこのままだと落ちていくと焦ったり、そのまま感じ続けるのではなく「今こんなふうに感じているなぁ」とふわりと受け止めるのが私にとっては一番の方法なようです。
受け止めてしまうと少し客観的にもなれるのかすぐにその気持ちがなくなるわけではありませんが、ゆっくりじんわりと雪が溶けていくかのように流れていってくれます。

実際に暗く重たいところに落ちたことがあるからこそ、その苦しさを悲しみを私は痛いほど知っている。
だからもうそこにはいかないと決めて、少しずつ私なりの「幸せな心のあり方」をずっとずっと探してきて、今も探し続けている気がします。

私が暗く重たいところに落ちていたときに母が「ともみちゃんが3歳の時に『フランダースの犬』をテレビで見せていたの。見せていると大人しくて家事が捗るからいいと思ってね。でも最終回の時に『ネロがかわいそう』って突っ伏して大泣きしたのよ。それを見てびっくりしてね。だってまだ3歳だからそんなに話の内容を理解しているとは思わなかったから。しかも話の内容を理解して主人公の気持ちを感じることができるなんて。その時にあぁ、きっとこの子は人の気持ちがよく分かるんだなぁ、感受性が強くて繊細なのかもしれないと思って、悲しい内容のテレビは見せないようにしていたのよ」と話してくれました。

「三つ子の魂百まで」と言いますが本当にそうなのかもしれません。
きっとそれは一生消えることはなくわたしの個性でもあるのでしょう。

感受性の強さや繊細さは、暗く重たいところへ落ちてしまう可能性も孕んでいますが、一方で私は自然の美しさや、人や動物たちの生きとし生けるものの美しさ、音楽や絵画、彫刻などの芸術も大好きで見ていると感動で心が震えます。
その美しさに共鳴し、生きている素晴らしさとありがたさを感じ、自分の中に明るい光と軽やかさが拡がっていき、生きていく力が湧いてきます。

暗く重たいところも明るく軽やかなところも私の心の中には両方がある。
できれば明るく軽やかなことばかりを感じていたいけれど、生きていれば色々なことがあるから暗く重たい気持ちになることもある。 
時にはその気持ちに押しつぶされそうになることも。

けれども夜空の暗闇が深ければ深いほど月や星たちが明るく光輝いて見えるように、そのコントラストが私の人生を造り輝かせてくれているのかもしれません。
そう思うと暗く重たいところも大切な私の一部で必要なものなのだと思います。

自分の中にある全てをありのままに受け止めながら、暗く重たいところも明るく軽やかなところもその両方を大切にしながら、私なりの「幸せな心のあり方」をその時々で感じていこうと思っています。




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