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Snarky Puppy『Empire Central』:改めてたどり着いたシンプルなコミュニケーション


はじめに

先に断っておくが、何か特定のジャンルを聴いてきたというバイオグラフィーの人間ではない。また、俗に名盤というものを狙って聴いてきたわけでもなく、ディスクガイドを眺める習慣もなく、きっと「知っておくべき音楽」において知らない曲は多いだろう。DIMENSION、TRIX、T-SQUAREなどのJフュージョンからtoe、LITEなどのポストロック、プログレッシブロック系、H ZETTRIOやfox capture planなどのピアノトリオをベースとしたものから、蓮沼執太フィル、坂東祐大、CARATORIUMといった現代オーケストラ、NABOWA、TSUKUYOMI、toconoma…抽象的な表現で申し訳ないが「演奏として気持ちいい」楽曲を渡り歩いている。名盤も何もただお気に入りの音楽を聴いてきた。(それが結果として「名盤」を選んでいたとしても)

プレイヤー同士のコミュニケーションの気持ちよさ。そして、それが「分かる」という喜び。このアルバムのよさを単純に表すならそうなるだろう。

変化を繰り返してきたSnarky Puppy

先にSnarky Puppyのここまでの簡単な歩みをまとめる。13枚のアルバムをこれまで発売してきた彼らは、リーダーのマイケル・リーグを中心としつつ各アルバムでメンバーを柔軟に変化させつつ制作を行っている。マイケル・リーグが指揮者、というよりも「僕ら」とインタビューで彼が繰り返し語る通り、対等にプレイヤーが集まったというのに近い。現在の20人弱の大所帯(それも正規メンバーのみ)には、ソロで活動はもちろん、他のプロジェクトを掛け持ちしているメンバーもいる。マイケル自身もソロでの活動はもちろん他プロジェクトにも参加している。

彼らが多用するのがスタジオでのライブレコーディング。マイケルが主宰するGroundUP MusicのYoutube チャンネルにはこうしたライブレコーディングが多数公開されている。

「同じ演奏は二度とされない」と言われるほど、彼らの音楽は即興性やコミュニケーションを大切にしている。また、本当の意味で“Live”(生きている)。しかし、彼らの演奏は一般的に想像するライブ的なゆらぎ、というよりも正確無比というのに近い。繰り返しテイクを取ったような手触りだが、驚くことに全てライブレコーディング。ライブ自体は繰り返し行われているが、あるパートだけ別テイク…ということはない。実際に、客を入れた上で演奏をしてレコーディング、さらにはミックスまでこの瞬間でやっているというのだから、もはやそのプロセスの段階から彼らの「気合」と技術力の高さが伺い知れるだろう。

映像をみると、レコーディングエンジニア含めて、非常に緊張感ある空間ながらも、プレイヤー同士はにこやかという不思議な空間が生まれている。こうして生み出される作品は、映像も相まって、たいへん生々しく、熱量がある。それでいて、演奏に狂いを見つけ出すのはほぼ不可能。そう考えるとかなり稀有な集団であり、音楽性以前に存在として革新的であることがわかるだろう。さすが、今最も勢いがあるジャズバンドと言われるだけある。

さて、『The Only Constant』から始まり、『GroundUP』などを経つつ、ジャズを下敷きとしつつも、ファンク、ロックなどを自在に調合しながら自分たちの音楽を作り上げてきたSnarky Puppy。『We Like It Here』などで円熟していく中で、マイケルが一時期、民族音楽に傾倒したことでSnarky Puppyの音楽は彩りを増していく一方、『Immigrance』では一聴したときの難解さは増していった。プレイヤー同士のコミュニケーションが高度になったともいえるのかもしれない。

2021年にマイケルはそうした民族音楽に対するリサーチの一つの結果を『So Many Me』という形で発売した。これは、「即興性」を重んじるSnarky Puppyとは全く位相の異なる、エフェクティブなコーラスと個性的な打楽器が印象的なアルバムだった。意欲作な一方、ある種聴き手をえらぶ、極めて個人的な取り組みにも見えた(もちろん、サウンドの質感含めて大変心地よいアルバムではあるが)。さて、これを経て提示されるSnarky Puppyとはなんなのか。

原点回帰としての『Empire Central』

ダラスで録音された今作『Empire Central』も、Snarky Puppyの十八番ともいえる、スタジオでのライブレコーディング形式。観客も入っていたという。ダラスという地を選んだのは、リーダーのマイケル・リーグ曰く「里帰り」。曲の手触りも「原点回帰+α」と言って差し支えない。今作に合わせて行われたRolling Stoneのインタビュー記事には「活動初期の感覚を取り戻しつつ、核をアップデートする」という文言があるが、まさしくその通り。

結論としては、先程の民族楽器的なアプローチなど含めて、彼らは(というか彼は)殊更にそれを主張することもなかったようである。もちろん、リサーチの結果は反映されている曲もあるし、引き続きコミュニケーションとしての高度さは増し、楽曲のバリエーションは豊かになっている。その一方、『Bet』『Portal』『Trinity』あたりの一聴したときのわかりやすさは、前作よりもあきらかに増している。展開としてはっきりしているとも言えるだろうか。

マイケルの楽曲の多彩さ

本作はマイケル以外にもマーク・レッティエリ(彼もまたバリトンギターを用いたソロ作品を発表する等している)など、各メンバーが作曲をしているが、ここでは、マイケルの作品のみの比較を行ってみようと思う。

今作で言うならば、『Keep It on Your Mind』のラインには先述のマイケルの民族音楽に対するリサーチの片鱗が見える。その一方、マイケル曰くRCウィリアムスにささげたという『Bet』などではインプロビゼーション性も保ちつつも、『We Like It Here』収録曲『What About Me?』のような口ずさめるようなメロディーラインを構築しており、絶妙なラインである。

もう少し『Bet』について書く。Snarky Puppyの魅力はくり返しいうがプレイヤー同士の対等なコミュニケーション。本楽曲で印象的なのはトークボックスによるソロを演奏するショーン・マーティンだと思うが、終始CP70をプレイしている、ビル・ローレンスというプレイヤーについても書きたい。Snarky Puppyには複数の鍵盤プレイヤーが存在する。マイケルなどにも言えることだが、ビルもまた、ソロプロジェクトでは全く違った顔を見せている。ビルは『After Sun』にみられるアフロビートなどを中心としたダンサブルな楽曲を発表する一方、近年の作品ではアンビエントの要素を取り入れているようにも見える。彼もまた変化に意欲的なプレイヤーである。

こうした様々な要素を内包したビルによってよりバンド全体の都会的なクールさが引き立ち、全体が引き締まる。マーク・レッティエリやラーネル・ルイスなど全メンバーに言えることだが、そもそも、マイケル・リーグの音楽性に賛同して集まった集団、というよりそれぞれがそれぞれのバックグラウンドをもち、それを出し合って調合していくようなバンドである。

もちろん、ある程度の一貫したカラーはあるものの、それゆえ非常に多彩な手触りの楽曲が並ぶのがSnarky Puppy。今作で特に衝撃を受けたのは『Portal』の冒頭。なめらかなウッドウィンドセクションから始まるオーケストラのような風合いは今まであまり見られなかっただろう。その多様性はますます『Empire Central』では増している。

総括

初期の頃のSnarky Puppyを彷彿とさせる、シンプルなわかりやすさを追求しつつも、とプレイヤー同士のコミュニケーションの深化を感じさせるアルバムだった。各プレイヤーの持ち寄るもの材料が変わった結果、鍋の味が変わったという感じ。そして、それはたいへん美味であるということ。

多くの曲が5分オーバーかつ18曲入りという本作は、現代のサブスク大時代から比較すると、ややボリューミーすぎると感じる人もいるだろう。しかし、私はこの1時間41分、退屈することがなかった。

参考文献

まことに勝手ながら、本記事を書くにあたり、下記の記事を参考にさせてもらった。あわせてお読みいただきたい。


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