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ライター講座を終えて

今年1~7月の半年間、宣伝会議の編集・ライター養成講座に通った。

小さいころから、文章を書くのは嫌いではなかった。
小学生の作文は、どんなテーマでも書くのに困ったことはなかった。
中高6年間のうち3回、年一回あるクラス代表選出の弁論大会で演説した。
全校生徒1,200人を前にして話す内容は、自分で考える。弁論よりも原稿を考えている方が楽しかった。
大学の卒業論文は、4万字目安のところを7万字ほど書いた。

しかし、書くことを仕事にしたいと思ったことはなかった。
本や書くことが好きな人なら誰でも憧れる、自分の本を出版するという夢もなかった。
新卒で営業の仕事に就き、それなりに成果も出るようになり、満足していた。
ただ、人間の欲は深いもので、稼げるようになると今度はどうやって稼ぐかに興味が移る。
社会人10年目はちょうどそんなタイミングだったのだろう。
コロナ禍も手伝って、人生を考え直したこともある。

実は、5年ほど前にライター講座を受けようと思ったことがあった。
でもそのときは、自分に書く才能がないと突きつけられるのが恐くて、二の足を踏んでしまった。
今回講座に申し込めたのは「諦めるために挑戦しようと思った」からである。

書く才能が眠っているかもしれない。
そう自分に言い聞かせているうちは、可能性の中で夢を見られる。
だが、そうしているうちに確実に死は刻一刻と迫ってくる。

一流のライターに「君には書く才能がない」と言ってもらえれば、諦めもつく。
そのときは、また別のことを探せばいい。

なんとも消極的な理由。
だけど、諦めたからこそ一歩踏み出すことができた。

ライター講座の内容は、文章術ではなく、企画の立て方が中心だった。
これまで営業しかしてこなかった私には、その内容は難しすぎた。
毎回、講義についていくのに精一杯。
しかし通っているうちに先生方や同期と仲良くなり、分からないことを教えてもらったり、自分には思いつかない刺激をもらったりした。

なにごとも継続するのが苦手で飽きっぽい自分が、気づけば講義を皆勤していた。
平日はフルタイムの仕事、土曜日は一日中講座、日曜日は講座の課題に追われる。
本当に、忙しかった。
だが不思議と、体は疲れていたが、心は満ち足りていた。

先生方の厳しくもあたたかい言葉の数々、そしてなにより、自分より才能もセンスもある同期と切磋琢磨できたことが、楽しく幸せだった。
紋切り型の表現だが、半年間の講座と仲間は、自分の宝物だ。

そして大変ありがたいことに、執筆した卒業制作の記事を優秀賞に選んでいただいた。
ただ、この受賞は決して自分の力ではない。
インタビューさせていただいた方々が素晴らしい取り組みをされていること、先生方が的確なアドバイスをくださったこと、そして書くのが辛いときでも同期もがんばっているのだと同じ境遇を感じられたことが、記事の完成につながった。

プロのライターからみれば、取るに足らない記事だと思う。
だから、ここで止まるのではなく、書くことを継続していく。

面白く、楽しく、ワクワクすることを伝えること。
自分のコンテンツで周囲のハッピーを少しだけ増やすこと。
それが、自分のやりたいことだ。

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