『悪意』より『好意』や『愛』を人に向けたい私が願うこと
身近な人に悪意を向ける人がいる。
それは、話しかけないでオーラを放っている場合や、マウンティングなど種類は様々だが、向けられたほうが傷つくのは変わらない。
そのようなことをする人は、どうしてするのだろうか。
以前は、悪意を向けられたとき、嫌な感じだなとか気にしないようにしようというように考え、なるべく傷つかないように自分を守ってきた。
しばらく人に会わない生活をしていたので、最近はそのような悪意に晒されることはめったになかった。
しかし今日、久しぶりに悪意の視線に再会した。
以前までは心をごまかし、耐えてきた。
人間関係の悩みがなくなる本を読んだ私が思ったのは、彼らは恐れているのだなということに加え、私を凄く意識しているのだな、ということだ。
正直、こちらとしては、顔見知りとか知人くらいの関係しかないと思っている。
だからこそ、いちいち彼らを思い出すこともない。
会えば挨拶くらいは交わすが、それだけである。
それなのに、いちいち悪意を向けてくる。
しかも、私の居ないところで私の悪口を言っているのだろうと思わずにはいられないほどの悪意をだ。
私に何かされるかも、と恐れて警戒しているのだろうか。
そんなこと、いちいち時間をかけてまで私はしない。
先程も書いたが、こちらは挨拶だけだ。
その後、用事がない限り、話しかけに行ったりはしない。
だって、悪意を向けてくる人と関わるのは嫌だから。
悪意を向けたり、私を気にして悪口を言ったりする時間、無駄じゃないか?
挨拶だけすれば勝手にいなくなる人である。
それなのに、わざわざ注意を引きつけるかのように悪意を垂れ流す。
それはもう、私が気になって気になってしょうがないってことだよね?
自分が嫌だと思っている人のことを考えるなど、私にとっては無駄な時間でしかないと思うが、そういうのが好きな人もいるのは知っている。
いちいち否定しようとは思わないが、軽く軽蔑はしている。
日本には古来から『言霊』というものがあるとされる。
だから、発言には気をつけないといけないと思っている。
そして、『神は心に宿る』という言葉もある。
自分が発した言葉を、自分の心の中に宿る神が聞いている。
神に知られてはまずい発言は、控えたほうがいいように思う。
彼らはいったい、何がしたいのか。
そう、例えば、一体感を感じたいとかなら、まぁ、分からなくもない。
でも私なら、ネガティブなことで一体感を感じるより、ポジティブなことで感じたい。
共通の敵がいるとチームはまとまると言うけれど、共通の目標を達成しようとすることで、私はまとまりたい。
きっと根本的に考え方が違うのだろう。
私は残念ながら、人を貶めて自分たちを上げるような考え方が苦手だ。
人を蔑み仲間から外して優位に立つなどもってのほかである。
おそらくそういう考え方をする人とは、一生わかり合えないと思う。
それはそれで良いと思うが、どうにも女の世界では、そこを合わせられないとうまく生きられないことが多いのかもしれない。
そうずっと思ってきた。
しかし、今日、男同士でもそのような悪意を向けている人を目撃してしまった。
あぁ、性別は関係ないんだ。
そう残念に感じた。
2人のときは悪意を向け、3人以上になると悪意を隠す。
そんな光景を目の当たりにしてしまった。
彼は第三者に見られていたことなど、気がついてもいないだろう。
3人以上になったときは笑顔になった彼だが、笑顔になったということは、その悪意を隠したいことだと思っているのだろう。
隠したいと思うようなことなのに、なぜ悪意を人に向けるのか。
もはや彼の笑顔は胡散臭く感じ、私の中では信用できない人として認定された。
私に認定されたところで痛くも痒くもないだろうが、積極的に彼を助けることは、今後一切ないだろう。
無駄な悪意を人に向けない。
皆がそれを意識するだけで、この世界はとても平和で生きやすくなると思う。
しかし、それでは都合が悪くなる人も居るのだろう。
残念ながら私は、自分が幸せになることで忙しい。
人の悪意など、相手にしていられない。
どうせ向けるなら、好意や愛のほうが望ましい。
今後も挨拶くらいは大人としてすると思うが、悪意を向けられてもかまってやることはできない。おそらく悪意を向ける人たちのご期待には添えられないと思うので、彼らにも大人の対応をお願いしたい。
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人間関係の悩みがなくなる本の話。
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