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自分のことを認められたことで得られたのは心の平穏かもしれない

最近休みがない。
出不精で休日もほぼ家から出ない引きこもりの私だが、最近は休日も用事があり、毎週出かけている。


普段からの引きこもりと持病の影響で体力もないため、休みがないのはとてもきつい。



昨日も子どもたちの授業参観と保護者会に出席し、買い物をして帰ってきてからの記憶が断片的である。
おそらく寝落ちしていたのだろう。


年度初めだから仕方がないのかもしれないが、何とかならないものだろうか。
noteもすっかりご無沙汰となってしまった。


私にとってnoteは、心の整理をするためのアウトプットの場所だ。
だから、心の整理をする機会が奪われるのは、案外辛い。


頭の中が常にパンパンで何も考えられないし、新しい情報も頭に入ってこない。
noteを始める前はそれが当たり前だったのに、アウトプットの場所を得た今、それを活用できないのは何と不便なことだろうか。


アウトプットが重要だと、頭ではわかっていた。
しかし、ここまでとは思ってはいなかった。


ただ、以前までと違うこともある。
それは、今までに記事でだいぶモヤモヤを吐き出してきたおかげで、心のなかに溜まっていた重石がかなり減っていることだ。



だから、身体的な疲れは溜まってはいるが、精神的な疲れがそこまでではない。
疲労感はあれど、どこか心に余裕がある。
心に余裕があると、精神的なストレスが溜まりにくいと感じる。


参観日のため人がたくさん集まったので、以前もあった嫌な視線を感じることもあった。
遭遇したのは買い物帰りで、荷物が重かったのもあり、会釈だけしてさっとその場を離れたが、疲れのせいか、すぐにそのことを忘れてしまった。


以前は、嫌なことがあってストレスだったと、記事を書いてしまうほどだったのに、今回はすぐに忘れる程度のものになっていた。
同じようなことでも、ストレスに感じなくなっているのは、とても良い傾向だ。


自分軸で生きることが完全に出来るようになれば、きっと、嫌な視線や人の悪意にさえ、心を煩わされることがなくなるのだろう。



今の私は、以前よりはましになったとはいえ、まだ完璧に自分軸で生きているとは言えない。



人の意見に左右されることもあるし、迷うこともある。
人がどう思うか心配で、ネットで検索してしまったこともある。



その度に、そうだ、自分軸で生きるんだと思い直す。
そうすると、不思議と迷いが吹き飛ぶ。
自分で決断するのは大変ではあるが、自分が自分を認めていれば、それも苦ではなくなる。


自分が自分を認めるというのが、以前はできていなかったように思うが、今は、当たり前のように自分を肯定できるようになった。
それがとても嬉しい。



思考が現実化すると引き寄せの法則ではよく言っている。
現実化とまではいかなくとも、思考によって、人生が変わるのは確かなのかもしれない。


話は変わるが、最近娘は楽しそうだ。
良いクラスを引き寄せたことで、ストレスが溜まりにくくなっているのかもしれない。
授業参観でも観てきたが、なかなか平和なクラスっぽい。


息子のクラスは割と活気があって、とても良い刺激をくれそうだ。
今まで、こんなに穏やかに新年度をスタート出来たことがあっただろうか。


これは、私の心持ちが変わったせいなのか、ただの偶然かはわからない。
ただ、幸運な環境を得られたのは間違いない。


身体的な疲労感は否めない。
しかし、心は穏やかだ。
穏やかな毎日を過ごせていることに、今は、ただただ感謝したい。


久しぶりでまとまりのない文章になってしまったが、今回はこの辺で。

皆様の生活も穏やかでありますように。




関連記事はこちら。
以前あった悪意のある視線の話。




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