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「質素」に暮らしたい。

「質素な暮らし」と言うと、惨めで、貧乏な生活をイメージするでしょうか。

昭和に子ども時代を過ごし、イケイケドンドンを取り戻そうとやっきになった平成に青春を過ごしてきた僕は、好きな物を好きなときにどんどん買えることや、自分にしか価値がわからない嗜好品に囲まれた暮らしこそが豊かさの象徴のような気がしていました。

とんねるずの、男気ジャンケンとか、高級車を買って落書きしちゃうとか、それこそが成功者の証であるという世界線。
だけど、見ているだけですごく疲れてしまう。

最近「感動」とはコントラストではないかと思うようになりました。

普段から華やかな暮らしをしていると、華やかなことへの感動のハードルはどんどん上がっていくでしょう。職人が握る時価の寿司屋で食べるのが当たり前になっていれば、回転寿司に喜びは感じないかもしれません。
あっちの高級車の次は、もっとすごい高級車。
あっちのタワマンの次は、こっちに別荘。

そうやってどんどんステージアップしていく楽しさもあるのかもしれませんが、なんだかとても疲れそうです。

それより、身近な生活の中に、たくさんの感動を感じられるようになるほうが、よっぽど豊かな気がしています。

「質素な暮らし」とは、べつに貧乏を礼賛するわけでもなければ、みすぼらしい暮らしをしたいわけでもありません。
ただ、ハレとケのメリハリがしっかりある暮らしの方が、感動の閾値を下げることができるのではないかと思うのです。

久しぶりに、家を整理し直そうと計画しています。
衣類も、家具も、使ってない物が少しずつ増えてきたように感じるから。

サブスクや使っているサービスなど、お金の面も改めて見直してみます。

noteを通して、またそんな様子を紹介していきます。

では、また。


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