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映画感想6  La Note bleue

1991年のフランス映画。90点。
劇中で明示はされないが、1846年の夏、フランスのノアンにあるジョルジュサンド(42歳)邸で過ごすフレデリック・ショパン(36歳)の姿が描かれている。

邦題「ソフィーマルソーの愛人日記」。この邦題は映画の内容に合ってない。そもそもこの映画の中心にいるのはソフィーマルソー(サンドの娘ソランジュを演じている女優)ではない。中心はジョルジュサンドもしくはショパンである。
DVDのパッケージも最悪を通り越して、面白い。

Amazonで表示されるパッケージ画像。
2500円である事を強調して、果たして売れるのか?
ショパン要素ゼロなのが逆に面白い。


なお、原題のフランス語「La Note bleue(ら、の、ぶる)」は、英語でThe Blue Noteで、ジャズ音楽の業界では「ブルース感や切ない感じを曲に付加するための特定の音」を指す言葉である。が、この映画の中でジョルジュサンドは、「最後の一音」という意味で、「La Note bleue」を使っている。その頃ショパンが、家での演奏の際に最後の一音まで弾かないクセを持っていたからである(もしくは弾くことができなかった。当時ショパンはかなり体調が悪く、おそらくは肺結核を患っていた)。
ショパンとの別離が決定的になった日、「今夜だけは、最後の音(ら、の、ぶる)まで弾いて」とサンドは言うのである。

映画が始まると、ほとんど説明なしに、人が次から次へと現れる。みなファーストネームで呼び合うので誰が誰か分からない。そこでいったん映画を止めて、ショパンの伝記本やウィキペディアを高速でリサーチし、誰が誰なのか、そこはどこなのか、その時はいつなのか、特定を進めた上で鑑賞することにした。結果的に、「1846年のショパン」について普通の人よりも少し多めの知識を得、かつ当時の彼や彼の周りにいた人々に実際に出会い、彼らの体臭を嗅いだ感覚を得た。

主要な登場人物を挙げると、

フレデリック・ショパン 1810-1849 
1840年代、すでに大音楽家と呼ばれていた作曲家。何度も喀血する。

ジョルジュ・サンド 1804-1876 
ショパンを「やしなって」いる非常に魅力的な女性作家。すぐに画面にでてきて、よく喋るので、「ジョルジュサンドってこんなによく喋るおばちゃんだったのか!」と驚く。

ポーリーヌ・ヴィアルド 1821-1910
サンド邸によく来る当時随一のオペラ歌手。めちゃくちゃ美しい。

ポーリーヌ・ヴィアルドの肖像画。
演じたNoëmi Nadelmannもかなり近い顔つきだった。

オーギュスト・クレサンジュ 1814-1883
サンドの娘と結婚する彫刻家でショパンのデスマスクを制作した。やることがやかましい。

ウジェーヌ・ドラクロワ 1798-1863
サンドの息子の絵画の師匠でショパンの友人でもある。落ち着きがある。

彼らの人生を1846年夏、という「面」で切り取った映画である。断面図である。

私としては非常に面白い映画体験だった。なにせ非常に説明が少ないので、リサーチが必要だ。しかしリサーチさえすれば、あとはかなりリアルな「サンド邸の日々」を体験できる。サンドの娘のワキ汗が手について嫌がるショパンのしぐさなど、彼の潔癖さがリアルに伝わってきて愉快だった。



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