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「死」という劇薬 ~「別れなど、少年少女に恐れなし」を見て~

  初めましての人も、久しぶりの人も、昨日ぶりのあなたも、こんにちは。ともちんです。

 カンザキイオリ「別れなど、少年少女に恐れなし」を見て、カンザキイオリさんの新たな旅路の始まりを見て、思わず何か書きたくなってしまいました。一夜明けてもこう思っているのですから、中々なものですねw

 ライブは「最高だ」と言えばすぐに感想は終わってしまいます。だってそうなんだもん。最高なんだもん。別にそれでいいじゃん。
 でもやっぱりそれだけで終わりたくないんです。みんなに一方的に伝えたいんです。あわよくば、共感してほしいんです。
 カンザキさんが文章や言葉で伝えるのが苦手なのなら、僕の言葉なんてゴミクズだと思いますが、読んでいただければなと。


 僕は、カンザキイオリさんが好きです。大好きです。「知ってるよ」と思ってくれた人は、ありがとうございます。「知らなかった」人も、僕の名前はいいのでカンザキさんの名前だけでも覚えていっていただければと思います。




 カンザキイオリさんは、本当に「死」という劇薬が持つ力を最大限引き出している人だと思っています。少なくとも、僕が知っているこの世界の誰よりも。
 人の「死」とは、物語の劇薬だと僕は思っています。命が消える、そこから人が一人消えるというのは、物語の転換としては本当に大きな役目を果たします。思い出してみてください。今まで感動した物語の中で、何人の人が死んでいるでしょうか?

 逆を言えば、「死」というものを使えば簡単に物語へアクセントをつけることができるんです。簡単に人の感情をどん底に落とすことができるんです。だからこそ、「死」を使うと物語は一遍通りにもなります。
 演劇をアマチュアながらやっている自分にとって、それはよく思います。何度自分は物語で人の死を見てきたでしょうか。人の死が自分の中で軽くなっているような気さえも最近しています。

 もしかしたら、カンザキさんの作品も「死」や「命」を使って感情をぐちゃぐちゃにしてから、何か新たな物語を展開していくという形は、「テンプレート通り」だともいえるのかもしれません。
 でもこの「テンプレート」ともいえるこの形な中から「カンザキイオリ」の形を作り出し、劇薬の力を最大限まで引き出しているのが、私のあこがれの人なんだと思います。


 今回のライブは、「カンザキイオリワールド」全開だったなと。それこそ、今回のライブのなかで「死」や「命」という言葉は何度出てきたでしょうか?本当に何度も繰り返されていましたね。歌の中でも、小説の中でも。どれも受けての感情をぐちゃぐちゃにしてくれるような。そして、あなたの想いを心の深くまで差し込んでくれるような。

 でも、それを「美しいな」と思うんです。人が感情を思いっきり揺り動かされるものが、その瞬間が。だからこそ僕はあなたを尊敬するんです。本当にもう、嫉妬するほどに。

 自分の創作から、自分の大切な人へ、みんなへ思いを伝えることができる。それがどれだけすごいことか、僕はよく知っているつもりです。


 本当にあこがれる、あなたが作る世界の一端を見ることができて、本当にうれしかった。また、私の感情を、あなたの劇薬でぐちゃぐちゃにしてください。


別れなど、少年少女に恐れなし。

怖くなんかない。恐れるものなんか、ない。
ただ、寂しいだけ。

でも、うつむいてなんかいられない。ただ、前に向かっていこう。

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