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その土壌に生きるもの

自分で農耕の世界に飛び込んでみて。土。空の天候。季節。動植物。機械。人との繋がり。営業。段取り。全ての勉強が必要と思い知りました。
勿論、合間に考える、本を読む、調べる、識者に聞く。と限られた人生の時間の中で自分に落し込むには、実践にも生活にも研ぎ澄ませた集中力と自分への律する厳しさも必要。
朝早くに起きる。静寂の時間にある、力が抜けた零の時間に始まる時は「今日も使いきれば明日もこの至福快感」というある意味術に掛けられます(笑)

土は全部が土。
違います。その場所場所の土に生息している生物も微生物も全く違う。
うちは幾つもの畑がありますが、例えば耕耘機を掛けて、効率的に次の畑に流れ作業をするかと思えば違います。一度洗い直してから他の畑へ。。。面倒に思えるでしょうが、その機械に付着した別の畑に住んでいた微生物が、その年の野菜を病気にしてしまう可能性が大なのです。
微生物、細菌であっても「悪気」などはない。ただただ生きて生命体の繁殖によって子孫繁栄しているだけです。その生存に適した土を人間が運んでしまった喧嘩だけ。
人間だけは人間だけの都合を考えてしまいますが。その人間だから考えなければならない。

同じことが人間社会そのものにあります。
農業経済学者の鈴木宣弘先生の言葉。
「今だけ金だけ自分だけ」
正しくここを脱却の時に向かっているように、日々の時局見ながら自分はどうするべきかを考え動く時に、どうしてもこの土壌に住まう微生物の事を考えます。
今だけ金だけ自分だけはその土壌があって成立する。各国のインフレに対する利上げや政治基盤の揺るがしによって、時代でなく、この土壌が変わり進む。「あの国が」「政府が」「あいつが」と何かと誰かのせいにしている暇があるのだろうか?
病んでいき、その生態では生きられない同じ土壌に居座って、同じその土壌でそこに居座る生物同士で罵り合う。。。生存と繁栄の基礎を考えた時。どちらも生物として進化も繁栄もない失格者でしかないのでは?と思います。
今だけ金だけ自分だけの生物のせいにしていても、その生物によってあった土壌の恩恵を受けて少なくとも生きてはこられた。
その生物の悪行を終らせても、今もその土壌に自分がいるって事を特に日本人は見直してみるといいのではないだろうか。
誰かが別の土壌作ったら誰かがその土壌に連れていってくれて、住みづらければ今まで通りに文句だけなのだろうか。
僕だったら新しい土壌に踏み入る前に洗い流してしまいます。
新しい土壌でも、全体に善い役割に進化しないとなれば同じが繰り返すんです。

自分がだけでなく、自分はどんな土壌に生かされている生物でどうしたらこの土壌と共に成長と進化をできるのか。
この時なんあだと思います。

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