『僕はバックパッカーになりたくて世界一周の旅に出た』アジア編をnoteに!

はじめまして!

世界を約三年半かけてバックパッカー旅したトモと言います。
旅の素晴らしい経験を一人でも多くの人に共有したい思い、自身の旅を振り返って記した紀行文を6冊に分けて電子書籍にて出版しています。

この度、アジア編のペーパーバック版も完成し、なんと紙の本も出版できました!

そこで、紙の本の出版を記念して、noteでもアジア編を読んでいただけるようにしました!note出版!
元々縦書きの書籍で、フォーマットとかも違うので、章ごとの空白が少し大きめだったりしますが、そこはご愛嬌で見ていただければ嬉しいです。。
その分、Kindleで買うよりもお安く読んでいただけるようにしています!
ボリュームは10万字を超えているので、普通の文庫本くらいになりますかね。

ど素人出版ですが、僕の信念として「プロでもないのにみんな人前でカラオケ歌うんだから、アマチュアだからってしたらいけないことはない」根性で書籍を出版しています。都度編集再販し(電子だからできる)、できるだけ読みやすいように、誤字脱字も無くしてと頑張っていますが。完全では、、ない。

それでも、読んでやろうと思ってくださる方がいれば読んでいただければ嬉しいです。
ちなみに、写真は載せていません!というのも、頭の中で想像して物語を追って欲しいなって思ったからです。
書いてあるのは僕の旅のストーリーですが、なるべく皆さん一人一人の頭の中でオリジナルな描写を楽しんでもらえたらと思います。

すべての始まり

 二〇一二年九月八日、僕は世界一周の旅に出た。

 ここから僕の本当の人生が始まった。

 僕は子供の頃からずっと、いつか世界中の隅から隅を自分の目で見てみたいと考えていた。それは今考えてみると、ほとんどテレビの影響だったと思う。

 ある日、見ていたテレビ番組で、アメリカの若者達が切符を買わずに線路に侵入し、走行中の列車に並走して飛び乗り、自分達の好きな場所で降りるという、あてのない旅のスタイルがある事を知って僕は興奮した。うまく飛び乗れずに怪我をすることもあるし、警官に見つかって逮捕される若者もいた。これは立派な犯罪であるということはわかっている。だけど、若者達が自分の心が感じるままに列車で移動していくその旅のスタイルに『自由』というものを深く感じた。

 子供の頃の自分を思い出し、何に興味を持っていたか、心惹かれていたかを考えてみると、昔からそういった旅や放浪という、あてもない流浪に心惹かれる性格だったように思う。

 そんな僕の人生初の海外旅行は中学一年生の時だった。当時習っていた中国武術の関係で一週間程上海へ行くことになった。十三歳の時のことなのでたくさんは覚えていないのだが、僕が驚かされたのはいつも路上でのことだった。上半身裸の男性が街中を平然と歩いている。狭い歩道橋の真ん中で何度も何度も頭を下げて施しを得ようとする女性。日本では見たことがなかった光景に目を丸くして見入っていたことを覚えている。それからは僕が大学二年生になるまで海外旅行とは無縁であった。

 大学二年生の時に家族で初めて海外旅行に行こうという話になり、行き先はいくつかある候補地の中からギリシャに決まった。ギリシャ旅行自体はすごく楽しかったのだけど、初めての長距離フライトで、一週間のギリシャ旅行中ずっと僕は時差ボケに苦しめられることとなった。そのために旅行中は飴が手放せず、常にお腹をさすっていた。

 その後大学を卒業するまでにインドネシアと中国へも家族旅行で連れて行ってもらった。当時はあまり英語を話せなかったけど、それぞれの国を旅行することで、日本と全く違う人種や文化、風習があるのを知るうちに、自分の視野がどんどん広がっていくようで、僕は海外旅行に夢中になっていた。

 他には大学の友人とイタリアとグアムにも旅行した。思い返せばこの時のイタリア旅行が僕の全てを変えてしまった。僕の人生で何かのスイッチを押してしまったのだ。

 今までの海外旅行は全てツアー旅行だったのに対して、これらはどちらもフリープランの旅行だった。朝は綺麗なホテルの部屋でゆっくりと好きな時間に起きて、軽く朝食を済ませた後、ベッドで歯を磨きながらガイドブックをめくり今日の観光プランを考える。そうして地図を片手に街中に飛び出し、ゆっくりと歩いて観光する。一日中クタクタになるまで歩き周ったらホテルに帰ってシャワーを浴びて、ふかふかのベッドで寝る。今まではツアー旅行特有のせかせかとした観光でしか海外旅行の方法を知らなかった。僕は初めて味わうこのフリープラン旅行の自由さに、まるで世界が自分を中心にして回っているかのような錯覚に陥った。これこそ僕がしたかった旅のスタイルだと気づいた。そして、全ての荷物を一つのバックに詰めて持ち歩く旅のスタイル、いわゆるバックパッカーの楽しみをここで初めて知った。

 当時はスーツケースを使用していて、しかもイタリア到着時にスーツケースの持ち手が壊れてしまい、イタリアの石畳をずっと手で押して歩く羽目になった。ここに自分の生活用品のすべてが収まっている。このスーツケース一つあれば世界中どこにでも行って生きていけるのだ。僕は今までの人生で感じたことのない自由をイタリアで感じていた。初めて外国での添乗員のいないトランジット――飛行機の乗り換え――も経験した。それに英語が話せなくても切羽詰まった場面では何故か相手の言っていることが意外とわかるものだということもわかった。旅行中は沢山の人が助けてくれた。多少のトラブルもなんとかなるものだとわかった。こうした経験を重ねたことで、旅行会社に頼らなくても、自分たちだけで海外を旅することは可能だとわかったし、この小旅行をつなげれば世界一周ができてしまうということに気づいてしまった。

 もう一つ僕を駆り立てたのは双子の弟の存在だった。僕がイタリアやグアムを友人と旅行していたのと同じ時期に、双子の弟は大学卒業祝いに一人でイギリスに十日ほど旅行していた。弟は全てを一人でやってのけたのだ。弟の帰国日に僕は関西国際空港まで車で迎えに行った。その帰りの車の中で、あきらかにイギリスに行く前と後で、弟の顔つきや口調が自信に満ちたものに変わっていることに気が付いた。嬉しくもあり、双子として兄として負けられないという気持ちを抱いたのを覚えている。こうした学生の時の海外の経験が、僕の心をバックパッカーになりたいという夢で満たしていった。

 昔から僕は人と変わったことがしたかった。それがなぜなのかはわからない。僕は身体を動かすことが何よりも好きだった。しかし、自然と興味を持つのが何故か人があまりやらないマイナースポーツだったりした。高校生までずっと中国武術を続け、大学ではヨット部に入った。人がやらなければやらないものほどなぜか魅力を感じた。僕が世界一周という人があまりやらないであろうことに心が惹かれていったのも僕の性格からするととても自然なことだった。

 このようにして子供の頃から惹かれた『放浪』、自由というものを感じた『バックパッカー』、人と違ったことがしたい『世界一周』という要素が混ざり合って、いつからか僕の頭の中には、いつかバックパッカーになって世界に旅に出るといった気持ちがずっと燃え続けるようになっていた。

 そんな想いを胸に抱きながらも、大学を卒業した後は普通に会社に勤めた。就職する前、二、三年社会人経験を積んだら会社を辞めて旅に出ると考えていた。しかしいざ勤め始めると、自分のポジションに対しての責任や、日々積み上げていくキャリアを捨てることに対しての恐怖なども感じるようになり、僕はもしかしてこのままこの会社で生涯を終えるのではないかと思うようになっていた。毎日真面目に朝五時に起きて出社し、夜遅く帰ってきて夕飯とシャワーを済ませて寝るだけの生活が二年続いた。転勤もあったりしたけど、代わり映えのない生活に慣れ、自分の中に無意識の習慣が出来上がっていた時に、その日は訪れた。

 二〇一一年三月十一日 東日本大震災

 今まで一所懸命積み上げてきた全てのモノを一瞬で失うことが人生にはあるのだと知った。

 僕は当時大阪で働いていたので震災を直接経験したわけではないが、それでもこの教訓は僕の心の奥深くにしっかりと刻まれた。この長い人生のほんの一瞬、一点で、自分の家族や大切な人達を、家や車という資産を、仕事で積み上げたキャリアを、何より、自分の命、自分の人生、その一切合切を一瞬で失うということが本当に起きるのだ。震災が起きてから自分の命や人生について今まで以上に深く考えるようになった。よく、臨死体験をした人が命の儚さと大切さに気づき、一日一日を大切にして生きるようになるという話があるけど、僕にとって震災はまさにそれだった。この人生で自分が本当にしたいことは何なのかをよく考えるようになった。

 それでも直ぐには会社を辞めはしなかったが、震災が起きた前と後ではあきらかに自分の中で何かが変わっていた。

 それから一年して別のきっかけで会社を辞める事になった。転職をふんわりと考えていたある日、預金通帳に結構な残高が残っているのを見た。働いていた時はそれなりにお給料をもらっていたけども、一円も使う時間が無くて自動的に貯まった貯金だった。それと同時に、僕は今行くべき学校も会社も無く完全にフリーなんだということに気付いた。今僕の手の中には、ある程度の固まったお金と拘束のない自由な時間が握られていた。今こそ、長年の夢を叶えるタイミングなのではないかと思い至った。そして僕は世界一周に出ることを決意した。

 一度決意が固まると、それからはもう一気呵成に世界一周に向けての計画と行動を開始した。

 三ヶ月間で旅の荷物を揃え、予防注射を打ちまくり、役所の手続きを終わらせ、海外保険に入り、航空券を買った。

 ただ西周りに世界を放浪するという漠然としたプランと、大きな好奇心と恐怖心を持って、僕は世界一周の旅に出た。

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