塩谷友香|TomokaEnya

「ひとりひとりの子どもたちが環境や境遇に関係なく自分の可能性を信じてみられる社会」を創…

塩谷友香|TomokaEnya

「ひとりひとりの子どもたちが環境や境遇に関係なく自分の可能性を信じてみられる社会」を創りたい。周囲に頼れる存在を見出せず8歳からヤングケアラーを経験。認定NPO法人D×Pインターン▷一般社団法人京都わかくさねっと▷鬱により療養▷保育園勤務。子育て支援員。岐阜出身🌿

最近の記事

みんなと一緒に、ちょっと休憩してみたら…。

3年前の春に鬱と診断されてわたしはやっていた活動を全て一度辞めた。 ただ、鬱と診断される以前にもインターンやボランティア活動以外のいわゆる一般的な?「仕事」を長く続けられることは私にはとてもハードルの高いことだった。父親からの「正社員として働かなければ大人として失格。」というような言葉とプレッシャーもあり内心いつも働けている人と自分の働けていない状態を比較して自分をさらに責め続ける日々だった。 でもそんな時、にっしーの言葉や、「あわひ」というにっしーの運営する団体の活動の

    • それぞれの、生きる道。

      【トラウマやフラッシュバックがある方は読まないでスルーすることをお勧めします。】 1年間お付き合いしていた男性は表向きは医療従事者、裏ではいわゆる乱交パーティーの主催者だった。匿名のSNSのアカウントでは1万5千人を超えるフォロワーを持っていた。その人の背景にも色々なものがあった。(ここには書かない)彼に出逢った当時、私は鬱になって1年で死ぬためにやりたいことリストを作ってその中のひとつが「自分の子孫を残すこと」だった。だから初めてがその男性。 コロナ禍で人に会いづらくな

      • 「困ったときは、おたがいさま。」

        「困った時は、お互い様だよ。」 そんな言葉をかけてもらったことがある人は、この国の中にどのくらいいるのだろうか。 私はそんな言葉を、一度だけ、ある人にかけてもらったことがある。 自分なりに一人で踏ん張って生きてきて、でも、もつれにもつれてもうどうしようもなくなって、やっとの想いで頼った先で手を払いのけられてしまった時に、そんな言葉をもらったことがある。 あたたかい言葉を自分が使えば、あたたかい言葉が返ってくる。 トゲトゲした言葉を自分が使えば、それもまた自分に返ってくる。

        • わたしの、いばしょ。

          何でも自分でやってみないとわからない性格。 自分でやってみてから初めて、それが自分にとって良いことなのか悪いことなのか納得する。誰かから口頭だけで教わったとしても、なかなか自分の奥そこまで落とし込むことができない。 私には、そんなところがある。 私はずっと、他者に自分の居場所をもとめて生きてきた。最近まではそのことにも気づいてなくて、そしてそのことの何が問題なのかもよく分かっていなかった。 「人間にはどんな人にもそれぞれの持つ可能性があって一人ひとりの人の可能性がどこ

        みんなと一緒に、ちょっと休憩してみたら…。

          ひとの助けを借りながら、自分の命を生きること。

          このまえ、Twitterで、こんな記事をみかけた。 そして、私はその記事を引用してこんな経験をかいてみた。         *** 私は両親から何度も「自立をしなさい」と言われてきた。生活保護を利用することは、「自立をする」状態ではなくなると思っていたから、絶対に利用したくないと思っていた。身近なひとに勧められても、何度も断っていた。 お休みなんてなくていいから、バイトのシフトをたくさん入れて、自分でお金を稼いで自分の力で生きていかなければいけないと思っていた。親や家

          ひとの助けを借りながら、自分の命を生きること。

          つながりのなかで、明日へとこの手を伸ばすとき。

          今日よりも、ほんの少しさきの未来を思い描ける時には、 必ずとなりには自分以外の“誰か”の存在があるものなのだなと思う。 「えんちゃんは、目標さえ決まれば、進んでいける人だよ。」 「友香の帰る場所は、地球でいいやん。笑」 基本的にネガティブでいつも出来る理由よりも、出来ない理由を探す。 口癖は〝むり〜〟。 中学校や、高校に入学したばかりの頃は、自分が大学に進学して、都市部に引っ越して生活をしていることなんて考えてもいなかった。 それを、漫画や、テレビドラマのストー

          つながりのなかで、明日へとこの手を伸ばすとき。

          地域の中に「ただ生きていける居場所」をつくりたい。#リバ邸十三友達100人計画

          リバ邸十三は昨年の5月に大阪の十三(じゅうそう)に、株式会社リバ邸と認定NPO法人DXP(ディーピー)と連携してリバ邸箕面の姉妹ハウスとしてオープンしたシェアハウスです。 『シェアハウス』というものに馴染みのない人も多いのかもしれません。 私は、リバ邸十三に住むまでは一人暮らしをしていました。一人暮らしをした結果、自分の性質上誰にも頼ることができず、食事をとることも出来なくなり、電気・ガスはとまり、セルフネグレクト状態になりました。そんな自分にとってはこのリバ邸十三は今日

          地域の中に「ただ生きていける居場所」をつくりたい。#リバ邸十三友達100人計画

          帰省スルーして、考えたこと。

          私は、19歳の時に認定NPO法人DxP(ディーピー) という大阪にある教育系NPO法人に出逢った。そして、この場所で、3年間活動をしていく中で、様々な価値観やバックグラウンドを持った人達に出逢うことができた。 ひとりひとりとのつながりや関わりの中で、自分の中にあった「〜しなければならない」という重たい鎧のような固定概念が、少しずつほどかれていき、生きづらさを持ったままでも「明日もなんとかなるかな〜」と思えることが、増えていった。         *** 年が明けたこの3

          帰省スルーして、考えたこと。

          ‪主な交通手段は車。不登校肯定云々以前に学校行っても行かなくてもどちらにしろ孤立する場合がある。学校へ行かないという選択をしたとしても家庭内に居場所が無ければ孤立。行く場所と移動手段。人。‬

          ‪主な交通手段は車。不登校肯定云々以前に学校行っても行かなくてもどちらにしろ孤立する場合がある。学校へ行かないという選択をしたとしても家庭内に居場所が無ければ孤立。行く場所と移動手段。人。‬

          その夏、一本の木を植えた。

          2016年夏、私は東北のボランティア活動に参加した。 ただ何も分からないままに、日頃からボランティア活動に力を入れながら、防災教育についても学んでいた大学の先輩にくっついて、宮城県気仙沼市へと向かった。 正直に話すと当時の私は「ボランティア」はただの偽善だと思っていた。そんなことをして何になるのか、現地について当時のことを話してくださる方のお話を聞いても、どんな顔をしたらいいのか分からなかった。 見るから「大変でしたね」というような顔して同情しているような顔をすれば簡

          その夏、一本の木を植えた。

          教師としてでなく、ひとりの人として。

          こんにちは、塩谷友香です! いきなりですが、そろそろバレンタインということで私の偏愛を語ります。ご存知の方もみえるのではないかと思いますが、私は一度決めたら誰の言葉も一切耳に入りません。 笑 回りくどいのは好きではないので、単刀直入に言います。「チョコレートの代わりに、私に寄付を下さい!!」 私は2017年春からこの認定NPO法人D×Pで企画運営インターンとして活動しています。D×Pでは、多様なオトナとの関わりを通じて定時制・通信制高校の高校生が、人と「つながれる場

          教師としてでなく、ひとりの人として。

          ゆきどけと、桜の花びらが舞うころに。

          その人たちに出逢ったとき、 私は限界だった。 天井の電気のオレンジ色の常夜灯の光を延々と見つめ続け、そんなに、どこから湧いてくるのかもわからない涙を、ただただ目から流し続けた。繰り返すうちに、カーテンの隙間から光が差して夜が明ける。 ただ、「生きていても、仕方がない」「価値がない」その言葉を何十回も何百回も来る日も来る日も来る日も自分に、刺し続けた。 「絶望」ってこのことを言うんだなって初めて、腑に落ちた。そして、ひどく胸が締め付けられた。 そんな中で、私は

          ゆきどけと、桜の花びらが舞うころに。

          春のおとずれを、感じながら。

          俳優・大杉漣さんがある番組の中でお話しされていた言葉が、深く自分の中におちた。 『例えば年間10本の仕事をしたとして、色々考えたら10分の1になるのかもしれないけど、でも、その瞬間っていうのは1分の1なんだと思う。これでなければいけないという条件が揃わないと出来ないということよりも、その条件にどうゆう風に自分が合わせるかっていうことの方が大事なんだと思う。』 その瞬間、瞬間の、ひとりひとりとの関わりを、どこまで深く尊く丁寧に繋ぎ紡ぐことが出来るか。 そのために、どこ

          春のおとずれを、感じながら。

          薔薇の花束よりも、淡い記憶。

          あなたの心の中に深く残っている、暖かい記憶 それは、どんな記憶だろうか。 「敬愛する人からかけてもらった言葉 友達と日が暮れるまで夢中になって遊んだこと 家族と過ごしたなんでもない時間…」 もしかしたら、思い出してみてと言われても、 なかなか浮かんでこないことかもしれない。 なのに、なんでもない時に「ぽつりぽつり」と、淡く、ゆっくりと、思い出されることもあるように思う。 *** 私の場合、生まれていちばん最初に出逢った身近な人との繋がりは、自分の「家族」だった。その

          薔薇の花束よりも、淡い記憶。

          風邪ひきさんの日に、想うこと。

          ここ数日、 「ひとりひとりの存在を大切にする」って どうゆうことなのかと考えていた。 *** 私はよく、誰かと自分を比較することがあって 落ち込むことがある。そして、深みにどんどんはまっていく。 「(あの人と)比べて、ジブンは…」 「あぁ、全然ダメだ…」 そして、その比較は、その人と自分自身の、人間としての幻の価値の差の比較に変わっていく。 *** ただ、そうなっている時が、私の場合、一番、その目の前の人を、「ひとりの人として」大切に出来ていない瞬間だなぁと思う。

          風邪ひきさんの日に、想うこと。

          ひとつひとつに愛を込めたくて。

          自分に、忠実に在ろうとすればするほど、 表現によってその〝誰か〟を傷つけてしまう。 でも、表現することをしなければ その〝誰か〟に届くこともない。 どうしたものかと、悶々とおもいながら 届け続けている人たちの姿を見ていた。 書くことのスキルでも、なんでもなくて 今の自分に必要なのは「覚悟」なのかなぁと。 表現をした先にいる、ひとりの〝あなた〟を 想像し続ける「覚悟」。 (あなたが) 身を置く、場所ひとつひとつ (あなたが) 抱いている、気持ちひとつひとつ すべ

          ひとつひとつに愛を込めたくて。