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鎖骨

「鎖骨というものはこういう場合に折れるためにできているのだそうである。これが、いわば安全弁のような役目をして気持ちよく折れてくれるので、その身代わりのおかげで肋骨その他のも っとだいじなものが救われるという話である。」

寺田寅彦随筆集 「鎖骨」より

令和6年5月2日 加筆訂正


  寺田寅彦の随筆家「鎖骨」を読み色々思い出している。
当然、寺田寅彦のように物理学的考察にはならない、子供の頃の僕はとんでもない嘘つきだった訳ではないが、何かと母上には信用されていなかった記憶が残る。

あれは小学二年生の頃だったか、朝から腹痛で動けなくなり、「病院に行きたい」と言うと仮病など使った事などないのに母上は「仮病を使っても無駄やで、ミヤリサン飲んで学校へ行き」と言われ…

ミヤリサンを飲んで学校へ行くことになった…
しかし…腹が痛む。

2日目やはり腹が痛むがミヤリサンを飲む…

3日目の朝、見かねた祖父が「病院へ連れていっておやり」と助け船を出してくれて、やっと病院へ行くことができた。

 行った病院は我が家の掛かり付け病院

 院長先生様は少年の可愛らしい「キンタマ袋」をいじくりまわし…「脱腸とちゃうね…」と母上に伝える。(これには10年後の後日談がある、10年後かた金が両金になった)
 そもそも「かた金」=「脱腸」と云う方程式は無い。

盲腸炎と診断され、すぐさま入院した、手術そして一週間の入院の後、学校に登校するといきなり担任に「一週間も休んで何をしてた」と叱られた。

母上が連絡をしていなかったようだ、盲腸炎で入院してたと答えると「何で連絡してこんのや」と又叱られた。

家に帰り母上に学校に連絡してなかったから、担任に叱られた事を伝えるも、「病気で入院してたのに、何で叱られるんや」と僕が何故か又叱られた。

中学生のある日、学習塾の帰りにセミドロップハンドルの自転車のハンドルに布の手さげ袋を引っ掛け快調に帰宅する途中、自転車の前輪に手さげ袋が巻き込まれ前輪がロック、そのまま体が羽挙げられ肩を地面に叩きつけた。

物理学的に表現すると、直線運動に対し急激に前輪が停止することにより慣性の法則が働き運動エネルギーが直線的運動から前輪を支点とする回転運動に変化し後輪部が跳ね上がる…そんな感じかな…

頭を打ったかどうだかは記憶していないが(頭をぶつけたから、頭をぶつけた事を記憶していない可能性もある…)右腕は上がらなくなり、その日の夕飯を食べるのも難儀した。翌朝になっても痛みは引かず当然母上は「自転車で転けた位で学校を休めると思うな!」と言い放つ。(この様な言葉はその後…前妻にも同じ様な言い回しで…言われた記憶がある…歴史はやはり繰り返す…)

 学校に登校するも机の上に右手をのせるのに一苦労する教科書、ノートを机の上に出すのも苦労する始末、様子をみていた担任が「帰って病院へ行け」と言ってくれたので帰宅し病院へ行くことが出来た。

 病院ではレントゲンを撮るまでもなく、「鎖骨がおれてるな!一応レントゲン撮るけどね」と言われ撮影、出来上がったレントゲン写真は誰が見ても明らかに完璧に折れた見事な鎖骨骨折レントゲン写真であった。
石膏で肩を固められてしまった。

そして最後母上に「何で折れてるって、もっと早く言わんの!」と又叱られた…

折れてるかどうかはともかく、状況と痛みは伝えたつもりだったが…


 そもそも、僕は「痛みの表現」が下手なのかも知れない、それは肉体的な痛み、心の痛みも隠してしまう…

その様にしつけられたのか、生まれつきのものなのかはわからない。
そんな「自分の痛み」が人に伝わっていないと自覚したのが二度目の「鎖骨挫折」だ。

この肉体はいつ何時どんな変に会わないとも限らない。それどころか、今現にどんな変がこの肉体のうちに起りつつあるかも知れない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしい事だ。

夏目漱石『明暗』

 
早朝、通勤のため原付で1号線を走っていたら丁度、旭区の千林付近で追い抜きをかけてきた乗用車に自分が運転する原付のハンドルと車のミラーが接触した、車のスピードはそこそこ出ていた、僕が乗る原付はコントロールを失い転倒した、地面に肩が着いた瞬間「グシャ」とも「バキッ」とも言える音が頭に響いた、直ぐに鎖骨が折れたと自覚した。

 ぶつけた乗用車の運転手は車から降りてきて「大丈夫ですか?」と言う

僕は「大丈夫な訳がない」と答える。

明らかに大丈夫では無い相手に「大丈夫ですか?」と言うのが確かに定型ではあるのだが、いつも違和感を覚える。

運転手は「どうすれば、良いですか?」と尋ねてくる…

僕は「警察と救急に電話して」と指示をした。

運転手に指示をしながら「運転手は明らかに混乱しているが、俺が被害者で怪我人やんな?混乱したもの勝ちか?」と独り言を言いながら、目の前のコンビニの公衆電話で勤め先に連絡をした。電話口に出た勤め先の上司は呑気に「了解!また、後で電話してきて!」と言う、交通事故で怪我をしていると確実に伝えたはずなのに…また、後で連絡してこいとな…

どうかしてる…

勤め先に連絡してから事故現場に戻り運転手に「警察に連絡した?」と尋ねると「まだです」との返事、運転手は混乱してしまい、何をどうしたら言いか判断力が無い状態だが自分が起こした事故なのだからしっかりして欲しい…
 仕方がないので先ほどのコンビニの公衆電話に戻り110番に電話をする「事故ですか事件ですか?」事故ですと答え、怪我人もいてると伝えた…と共に僕が怪我人であることも伝えた、それが110番先の話者には「不信感」に感じたのかもしれない。

交通事故の怪我人が電話をかけてきて、自分が怪我人だと申告する、そんな話し聞いたこと無い…と僕も思った。

現場には案の定パトカーだけが到着した、降りてきた警察官は「怪我人は何処?」と尋ねる、僕は右手を挙げて「ここ」と答える、警察官は「元気そうやん」と言い放つ、確かに見た目は僕よりもぶつけた運転手の方が顔面蒼白になり怪我人ぽい。

「大丈夫?大丈夫そうやな?」と警察官

「大丈夫な訳がない、転倒して肩が上がれへんしバキッと音がしたから間違いなく折れてんねん」と答える。
警察官は「でも顔も怪我してないし…」

僕は「フルへイス被ってたから助かったんや」と地面との擦り傷とバイザーがぶら下がった状態のヘルメットをひらって動く右腕で差し出した。
警察官は「しゃーないなー救急車呼んだろか~」
「110番に電話した時確実に伝えたのに…やはり疑われてたか…」

救急車をやっと呼ぶ気になったようだが、まだ…半信半疑だ。

暫くして救急車が到着した。

救急隊員が降りてきて「怪我人は何処?」と尋ねる。
僕は右手を挙げて「ここ」と伝える。

警察官がきた時のやり取りをもう一度そのまま再現した。

救急隊員は「何処を怪我してる?」と尋ねてくる。
「せやから~路面に左肩を激しくぶち当てて、鎖骨が骨折してるって」と伝える。
救急隊員は「胸張ってみて」と言う。
僕は痛みをこらえて胸を張った。
救急隊員は「できるやん、鎖骨折れてたら痛くて無理やで~」と言う。
「胸張れって言うから、我慢して胸張って、折れてる言うてんのに折れてないってどういう事や!」と救急隊員に向かって呟いた。
救急隊員は「しゃーないから載せたろ」と言い、やっと救急車で病院に連れて行って貰える事になる。

救急車が出発しサイレンを鳴らす、少しの安堵感を覚えるも、すぐさま停車する。

又なんか言われるのかと思い身構えると救急隊員はドアを開けて「着いたで」と言う…
事故現場から歩いて数分のところに救急病院があったのだ「こんなことなら、歩いて来れたやん」と思い待合室で待たされる。

医師もレントゲン技師も未だ出勤してきていないので、二時間程待たなければならない旨を当番の内科医に伝えられる。

「ここ…救急病院やんな? これ、普通に交通事故の怪我人の扱いか?」と心の中で呟いた。
その後現れた看護師は「交通事故と伺っているので、気分が悪ければ教えて欲しい」と言い立ち去った。

幸い?30分程でレントゲン技師が到着しレントゲン撮影が始まる、最初に2時間と聞いていたので、何故かほんの少しだけ得した気分になる、その後、医師が到着した。

レントゲン撮影が終わった直後から病院内の様子が変わった、ストレッチャーに載せられICUと掲げられた部屋に運ばれた。

 皆が思っていた以上の重症者だった様だ、再度レントゲンやMRIや検査をしたのち、今度は二人部屋のICUへ運ばれた「二人部屋のICUって?」と正直思ったが、重症患者の二人部屋だ、もう一人は危篤状態の高齢者だった。

数日間その二人部屋ICUにいたが、運ばれた時の先住者はその日の晩に天に召された。

一通りの検査が終わり医師からの説明を受けた。
 簡単に言えば鎖骨がグシヤグシヤで専門用語で「粉砕骨折」と言うらしい。
 巷ではこの「粉砕骨折」と「複雑骨折」を混同し「粉砕骨折」の事を「複雑骨折」と多くの人が勘違いしているが「複雑骨折」とは骨折した骨が表皮を突き破った状態で別名「開放骨折」とも呼ばれる。この「複雑骨折」の場合、骨や筋肉の損傷が同時にあるため、手術が難しいとの事、今回の「粉砕骨折」はそれに比べるとプレート固定で治癒すると考えられるからまだ、たやすいらしい、鎖骨骨折は珍しい事ではなく、特に競輪選手は多く鎖骨の無い人もいるので、安心しろと、それに付け加えフルへイスのヘルメットを被っていたから頭部挫傷もなく、命が助かったと言っていた。

買ったばかりのフルへイスのヘルメットと冬の早朝で二枚重ねで着込んだ革ジャンが僕を助けてくれたんや。
入院中に喫煙スペースで知り合った若者は自身で「僕、大腿骨の複雑骨折なんです!」と自慢気に話していた…

「ここにも、複雑骨折と粉砕骨折を混同している一般人が…早速現れた…」と思いながら話を聞く…

僕「開放骨折?」
若者「そう開放骨折なんです…詳しいですね複雑骨折ですよ!」
僕「複雑骨折なんかどうやったらなんのよ?」
若者「金属バットでしばかれました」
僕「…」
その後…彼とは喫煙ルームで…何度かあった…
が…その後の消息は知らない…

「鎖骨」に話を戻そう…
寺田寅彦が言うように、鎖骨が粉々になったことで、頭部が守られたと言っても良いのかもしれない。

 その日の昼過ぎに訪問者が現れた、朝の警察官だった、警察官は満面の笑みを浮かべて言う「ほんまに折れてたな~今レントゲン見せてもろたわ~グシヤグシヤやん!」
警察官は人のレントゲンも勝手に見れるし、朝のアノ扱いを悪びれる様子もなく笑う。

僕「せやから、折れてるって言うたやん」
警「ゴメンゴメン、そんなん言うたかって、メッチヤ元気そうやったから、今も元気そうやけど」

「早朝の1号線で当たり屋位におもってたんやろ…」「お前は連れか?」と少し苛立ちながら心の中で呟いた。

 粉砕した鎖骨をプレートで固定し暫く入院し一年がたち、様々な経緯から別の病院を受診しレントゲンを撮った、結果…
医師「薄いね」
僕「はぁ?」

医師「骨がスカスカ」
僕「はぁ?」

医師「正常な骨と比べて、このプレート付近の影が薄いでしょ、軽石みたいにスカスカになってるようですね、再手術します?」
僕「はぁ?」

医師「プレートを抜いた時に骨が出来てなかったら、骨盤の腸骨を切り出して移植するの…
「骨芽細胞がやる気なくして骨作る気なくなってるから、やすりかけて目をさましてやるのこの骨芽細胞の加減と破骨細胞…の加減を巧くコントロールするのが外科医の腕の見せ所やね!移植した骨は暫く金属で串刺し固定ですね」医師はかなり自己肯定感の高い説明で悦に浸る…

僕「わかりました…」

この手術は成功し、完治迄は事故から二年かかった、この事故にまつわる話し、保険会社の話し、その頃の勤め先の話し、彼是あるがそんなこんなを話したら恨み節になりかねないし、此ぐらいが笑い話に丁度いい。

あれから二十数年、今もガタガタだけど鎖骨はある。

天気が悪いと鎖骨は痛むし、左肩の方が肩こりは酷いし肩甲骨の動きも悪いが左右の鎖骨は今も健在だ。

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