「根っからの悪人っているの?」

「根っからの悪人」は、やったことだけじゃなく、動機や環境、精神状態など、全てを知った上で判断すべきだろう、本来なら。直情的に判断したとて何の解決も進展も得られないものだ。

「プリズン・サークル」という、“悪いこと”をして刑罰を受ける少年たちを撮ったドキュメンタリー映画を監督した著者と、10代の若者と加害者・被害者側の当事者との対話。

被害の経験が加害につながり、加害は新たな被害を生んで、常に、暴力は連鎖していく。

まず、ほとんどの大衆は、意図的なメディアを通して事件を知るから、想像力を働かせることもなく、感情的に、「死刑にしろ!」と悪人(自分と違う人)を排除するという考えしかない。「コイツは根っから悪いことが好きなのだ。だからしょうがない」というふうに。

例えば、加害者が、塀の中で教育的刑を受けて、更生して外に出たとしても、社会が“排除の倫理”でしか動かないので、結局、居場所がなくて追い詰められて、再犯に繋がってしまうのだ。もちろん例外もあるが。

大ケガを負った被害者との対話があるが、被害者が、加害者と直接会って、思いを聞くというのは、被害者にとっては苦しいことだろうけど、大切なことかもしれない。犯罪自体は決して許せないことだが、そこに一歩踏み出すための理解と共感が生まれるからだ。

排除の倫理だけでは何も生まれないどころか、新たな加害者・被害者を生むことにも繋がるものだ。

多くの大衆は、「被害者のことを考えろ!」「自分が被害を受けたらどうする!」と短絡的なことしか言えないだろうし、わからないし、わかろうともしないだろうけど。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。