【邦画】「砂の女」

1964(昭和39)年公開の、勅使河原宏監督の「砂の女(Woman in the Dunes)」。

安部公房の小説が原作。前から探してたけど、YouTubeにあるやんけ!

世界的にも評価が高いといわれた、この映画、決して、わかりにくい前衛的ATGというわけではないが、設定自体が「不思議」に満ちており、不条理な状況を受け入れていく男を描いた、素晴らしい作品であった。

中学校教師の男役に岡田英次、砂丘の家に住む未亡人役に岸田今日子。

中学校教師の男が、研究の昆虫採集のために、ある砂丘の村に行く。
採集に熱中してたら遅くなって、最終バスを逃してしまう。
そこに漁師らしい老人が現れ、村の砂丘の穴の中にある民家に滞在するように勧められる。
縄梯子で降りたところにある、その家には女が独りで住んでいる。
男は一夜泊まることにするが、一夜明けると縄梯子は取り外され、彼は女と共に、その家に閉じ込められることになった。

家は、砂丘の穴の中にあるために、頻繁に砂掻きをしないと砂の中に埋もれてしまう。食料や生活用品は配給制で、村人が定期的に穴の上から縄梯子で下ろしに来る。

男は、何とか穴から脱出しようともがくが、砂を掻かずにいると、砂に埋もれる他、重要な水が配給されなくなることもあって、女と生活を共にするしか選べないことを悟る。

そして、男は、あきらめに似た気持で穴の生活に慣れていき、女と関係を持って夫婦のようになる…。

人間アリジゴクのような設定だけど、男は徐々に村人との間に連帯感が生まれてくる。そのうち女が妊娠して町の病院へ運ばれていくけど、女が連れて行かれた後、縄梯子がそのままになっていて脱出もできるが、上ることはしない。

それよりも、自分が思い立った砂の中でも水を確保する方法のことを村人に教えたい衝動の方が強くなってる。男は、逃げることはまた明日にでも考えればいいと考えて家の中に入る。外では、男は行方不明者として処理される。

イヤー、恐ろしい。

自分たちが無意識に過ごしている日常は、自分の意思で選択したようであっても、周りの環境に型に嵌められてるようなことを示唆される。ここでの主人公は、すでに人間が主体的存在なのではなく、あくまで砂なのだ。

基本的に人間が求める自由とは一体何なのか?無限に襲ってくる砂の中で、知恵を使って少しでも抗い、もしくは共存していくことが本当に自由なのかどうか。

設定の不思議は最後まで明かされることはない。人間の存在そのものへの疑問である。どんなに異様な環境であっても生きていくために容認し、受け入れていくしかないのが人間なのだ。

砂は、掻いても掻いても、まとわりついてくる。砂まみれの肌のアップが痒みと共に伝わってくる。

若いとはいえ、岸田今日子の笑顔の不気味さと裸のエロスも初々しい。

素晴らしい日本映画を観た。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。