見出し画像

「ベン・ハー」

サイテー映画を続けて観て疲れたので(笑)、アカデミー賞各賞をたくさん受賞した名作中の名作で大作の「ベン・ハー(Ben-Hur)」を。

同作品(原作は小説)は3回映画化されてるが、観たのは、最も面白いといわれる59年制作のウィリアム・ワイラー監督版。チャールトン・ヘストンが主演だ。

3時間42分とこれまたクソ長いのだが、さすがアカデミー賞受賞作(「タイタニック」で破られるまでアカデミー賞史上最多受賞記録作品だった)だけあって退屈しなかったよ。DVD2枚組でまーた間違えて2から観ちゃったけど問題なし。

最後まで一気に観て、この映画で描かれたようなことが、世界でも、主な欧米などのキリスト教圏の精神的支柱になってるのではないだろうかと真っ先に考えた。理解するには聖書を再度じっくりと読んでみるかとさえ思った。

大国ローマの属州となって国を失ったユダヤ人のジュダ・ベン・ハーが、ローマ軍の司令官となった旧友メッサラに再会するも、ローマへの協力を要請するメッサラに反発して彼と絶交。
ローマの新総督を迎えた日にベン・ハーの家の瓦が隊列に落ちたことで母、妹と共に逮捕されて、旧友だったメッサラに罪人として辺境行きを命ぜられる。さらに奴隷として船の漕ぎ手になるなど過酷な運命に翻弄される。
メッサラとローマに対する復讐心と憎悪と怒りを保ちながら、なんとか故郷に戻って馬車レースでリベンジを果たすが、最後にはキリストへの信仰に回帰していく…。

ベン・ハーの苦難と共にナザレスのイエス・キリストの生誕から受難、磔の処刑までが描かれており、迫害されたユダヤ教からイエス・キリストの教えに到る信仰の変遷がストーリーの根っこにある。キリストの磔刑とベン・ハー家の新たなスタートでエンドだ。

有名な、この映画の最大のクライマックスシーンである馬車レースでのメッサラとの闘いは画面に熱中するが、全編を通してとても宗教的意味合いの強い聖書のプロパガンダ映画のようだった。最近ではメル・ギブソン監督の映画みたい。

復讐心に燃えるベン・ハーが「汝の敵を愛せよ」というイエスの教えを自ら悟る。

メッサラから幽閉されて業病となって“死の谷”に堕ちた母と妹がイエスの磔刑の日の夜、風雨に打たれて不治の病が治る。

業病とは多分、顔にまでアザができて皆が伝染すると忌み嫌うことからハンセン病(らい病)のことだと思われる。

ベン・ハーが磔刑の時にイエスの「父よ彼らをお赦しください。彼らは自分でも何をしているのかわからないのです」との声を聞く。そして、「その声が、私の手から剣や憎しみをも取り去ってくれた」と話す。

憎しみが消えて穏やかな顔になったベン・ハーは母と妹、恋人らと抱き合って、魂の安らぎを取り戻した喜びを噛みしめる…。

これを若きチャールトン・ヘストンが演じたというのはどうしても示唆的に思えてしまう。魂の安らぎを得るのも、自らの意思で銃を持って闘い勝ち取るというわけだ。何もせずにただ待っていても安らぎは来ない。闘い勝ち取ることに大きな意味がある。そこには当然負けた犠牲も大勢いる。誰かがリーダー、ヒーローとなって正義を実現しなきゃならない。

だけど、憎しみも闘いも人間の本質だよね。確かに人間の活動を停滞させるけど、人は神ではないのだから。不完全だからこそ様々なエピソードが生まれる。表現も生まれる。

つまりは人間は“正しく愛に生きる”という完全なる神を目指すのを宿命付けられた存在だけど、一方で永遠に未完成で不完全であることも宿命付けられてる矛盾した存在であるということだ。

映画を観ながらそんなことを考えたけど、俺が生まれる前の映画でもこんなに楽しめた。やっぱり名作といわれたものは名作なんだね。

関係ないけど、馬車レースでメッサラが乗る馬車の車輪に飛び出た武器のようなものが付いてて、他の馬車を破壊するけど、初期007でボンドの乗るジャガーに同様のものが付いてたけど、ここから来てるのか?

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7

画像8

画像9

画像10


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。