【古典邦画】「太陽の季節」

1956(昭和31)年の、石原慎太郎の短編小説が原作の作品「太陽の季節」(古川卓巳監督)。Amazonプライムにて。

主演は長門裕之と南田洋子で、後に2人が結婚するキッカケとなった映画だ。

脇役で、コレがデビューとなる石原裕次郎も出てる。長門裕之よりは、彼の方が背も高くて、全然カッコいいと思うけど。

いわゆる“太陽族“(慎太郎カットに、サングラス、アロハシャツ)の映画だな。

裕福な高校生である津川は、拳闘部に入り、ナンパと遊びに明け暮れる毎日。
ある日、友達と銀座に出た彼は、英子をナンパして、逗子にある津川の家で肉体関係を結ぶ。
初めはクールだった彼女だが、デートを重ねるうちに、津川への想いを募らせていく。
そんな彼女を津川は煩わしく思うようになってくる。
彼は、兄に英子を5000円で譲ろうとするが、それを知った英子はお金を送ってくる。
英子は津川の子供を身籠って中絶手術を受けることになるが、腹膜炎を併発して死ぬ。
津川は、英子の自分に対する命をかけた復讐だと憤慨して泣く…。

当時、称賛と批判(三島由紀夫は一応、称賛)と話題になった慎太郎の出世作だが、小説では書かれた、津川がお勃ってたイチモツで障子を破る場面が、ハッキリとは描かれないのはちょっと不満だけど、それは仕方がないだろう。映倫もあるし。

戦後生まれの新世代の若者の、裕福ゆえのインモラル、無秩序、無軌道ぶり、自暴自棄ぶり、ドライぶりを表したものかもしれないけど、結局、欲望以外で女と対等に向き合えなかったという点では、今のオタクやニートに繋がるのかもしれない。

夏の陽が眩しい海で、ヨットを駆って、シャレた格好でクールに決めて、女の子をナンパして遊ぶ…あくまで太陽の下での明るい健康的な戯れであって、閉じこもった場所で、夜遊びしたり、独りでネクラに戯れてた、不健康な俺の世界とは全く違うねぇ。インモラルであっても、そこにはカッコよさが加わるし、実は俺も憧れてはいた。

昔から、時代ごとに、若者のアナーキーぶりは話題になるものである。大人は必ず眉をひそめるけど。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。