【邦画】「この子を残して」

木下惠介監督の晩年の作品。1983(昭和58)年公開の「この子を残して」。

木下監督らしい、ハッキリとしたメッセージ性を持った反戦映画で、珍しく長崎市への原爆投下を扱った作品。

原作は医者・永井隆 の随筆。長崎版「はだしのゲン」みたいなものかなぁ、違うか。

長崎医大の放射線科で自らも白血病を患う医師・永井(加藤剛)が、1945年8月9日午前11時2分に長崎市に投下された原子爆弾によって被曝、妻(十朱幸代)を亡くす。

疎開してて無事だった10歳の息子と5歳の娘、妻の母(淡島千景)の4人で、全てが吹き飛ばされた焼け野原に、小屋を建てて、逞しく生きる姿を描く。

永井一家は敬虔なクリスチャンであり、永井は医者として、被爆した重症患者を診る中で、「こげん人がどんどん死んでる時にごまかしばかり言っとられるか。神を信じて死を受け入れとる人に、つまらん嘘ば言うてどうもならん」と、患者に天国に行けることを説く。そして、自らの体験を書き留める。

焼け野原での永井と子供たちを写真に収める米軍兵士に、永井は「帰国したら、この土地と私たちの姿を広めてほしい。原爆の恐ろしさを伝えてください」と英語で話す。米軍兵士は、永井が大学の医者だと知って敬礼する。

被爆で顔に大きなヤケドを負った女性(大竹しのぶ)の告白を聞いて、「肉体の傷は見えても心の傷は見えない」と思う。

「神の御心によって召された…」というクリスチャンの言葉に対し、義母は、「娘は平和のための犠牲ではない。原爆に殺されたとです。負け戦を承知で戦争をやめなかったヤツらに殺されたとです。なんもかんも遅過ぎたとです」などと呪詛の言葉を度々発する。

ヨハネ・パウロ2世の長崎訪問時のスピーチで始まり、ラストは原爆投下直後の地獄絵図(演者が知られた写真などを再現してる)で終わる。

永井は、原爆症もあって43歳で亡くなり、翌年、義母が後を追う。息子は成人して、世界の紛争地域を回る記者になり、娘は多くの子供を持つ母になる。息子は、決して争うな、という父の教えを守りつつ。

木下監督お得意の、人間の感傷によってメッセージを伝えるのではなく、ダイレクトに地獄を見せることによって、反戦のメッセージを伝えている。ある意味、木下監督の“結末”を感じる映画であった。

人間は、どんなに愚かな行為であっても、必ず繰り返すものだ。使ってないとしても、いつも手元に用意はして。実は、滅亡が人類が目指す最終形態なのかもしれない。愛を説くクリスチャンが最も人間を殺しているし。
確かに、ダイレクトなヒューマニズムは、感情を揺さぶるがそれだけで、事態が好転するには程遠い。それは人間の本質を見てないからだ。
よって、木下監督の“終わり”を感じるこの映画は、衝撃的ではあっても、俺には面白くはなかった。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。