「『心豊か』に生きるヒントは古典にあり。」

思わず手にしたけど、版元がアレだから、これも一種の自己啓発本?

確かに、俺も、観る映画は古典邦画が多く、最近は、読む本も開眼したように古典に接してる。学生の頃はあんなに古典を嫌ってたのにさ。

古典は、ただ、単に古いというだけではなくて、歴史の洗礼を受けて、なお生き残ってきた価値があったということと、新たに読み継がれ、読み直されてきたからには、やはり、そこに何らかの“真理”が潜んでいるはずだと考えるから、読みたくなるのである。

徒然草の兼好法師がいう。
「この世の全てはまことのものではない。語る価値もなければ、願う価値もない」。
また、「生きている間に、この在命の喜びを楽しまないで、死期を迎えて死を恐れるならば、本当に一貫した在命の喜びとは言えない」、
さらに「人が皆、生を楽しんでいないのは、死を恐れていないからだ。いや、死がすぐ側にあることを忘れているからだ」。

先日読了した「源氏物語」でも、ちょっとした一節の中に、死生観など、無常を感じる、深遠な意味を見出す事が多かったものだ。

アチコチに揺れ漂う、ためらって定まらない…“たゆたふ”という事であるが、そういう「自己同一性の拡散」の中でも、真理への関心を保ち続けて、生きる糧にしようと苦悩する人間の姿が、余すことなく書かれているのだ。それは仏教にも繋がってくる。

あと、江戸時代の国学者であり小児科の医者でもあった本居宣長の「物のあわれ」だな。
「月や花を見て、キレイだなぁと心が感動することが、物のあわれを知ること。つまりは、月花のあわれたるゆえんを、心の内に味わうことで感じるものだ」。
さらに「世の中のあらゆる事に触れて、それぞれの風情や本質の違いを理解し、嬉しい事は嬉しい、面白い事は面白い、悲しい事は悲しい、悲しい事は恋しい、と個々の出来事に対応するように心が動く事が、物のあわれを知るという事である」。
以上。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。