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ブラチスラバ③[2024.2.24]

しばらく世界史の年号パネルに見とれていた。まだ展示は続いているので、奥に続く部屋に入った。土器がたくさん並んでいる。壁の説明を見ると、旧石器時代の説明がある。どうやら、旧石器時代から振り返りながらスロバキアの歴史を描こうとしているみたいだ。この博物館の気合いの入りようには脱帽する。せっかくだから、最初から見ていこう。

まず、旧石器時代。旧石器時代は人類の歴史の大半を占めている。最初に人類が現れたのは240万年前の東アフリカだった。彼らは次第に別の大陸に移っていった。彼らがヨーロッパに移ってきたのは120万年以上前とのこと。アフリカ大陸を出てヨーロッパに行くまでおよそ100万年の月日が経っているというのは、驚きである。人々は狩猟と採取で生活に必要な物資を集め、やがて火を使うようになったし、服をつくるようにもなった。

続く新石器時代。人類の歴史にとってターニングポイントとなると書いている。地球が暖かくなったことで人々の生活スタイルは狩猟・採取から農耕・牧畜へと移っていき、多かれ少なかれ定住スタイルの生活が始まった。いわゆるドメスティケーションである。この時代を象徴するものは金属、銅、銀、金であり、銅は武器として使われた。金や銀は装飾品に使われた。

紀元前8世紀あたりまでは、銅の時代(The bronze age)であった。地域間の交易などが持てる者と持てない者の格差を作り出し、支配階級が生まれてきた。銅を使った武器が作られるようになり、戦争の技術が発展した。精神世界にも発展が見られ、埋葬の儀式などが更新された。やがて、銅製品は鉄製品に置き換えられていく(The iron age)。

そして紀元後。スロバキアの地にはゲルマン民族がすんでいた。当時ローマ帝国はドナウ側の中流域まで進出しており、ドナウ側は自然国境の役目を果たしていた。つまり、川の西がローマ、東がゲルマン民族であった。両者は交易によって平和を維持していたが、ときおり戦争が起こった。そのうち最大のものは、マルクス=アウレリウス期のものである。

4世紀末(395年)に中央アジアからフン族が進出してきて、ドナウ側を超えてローマに入ってきた。それに押されてゲルマン人が西へ移動。中央ヨーロッパにはアッティラによるフン帝国(The Hunnic Empire)ができたが、彼の死後、帝国は瓦解。ゴート族やランゴバルド族といったいくつかの民族が争う時代となった。5世紀にスラブ民族が中央ヨーロッパにやってきて、民族移動の時代は終わりを迎える。しかしながら、6世紀半ば(568年)のアヴァール人の進出によってスラブ民族の経済的・文化的発展は遮られることになる。

アヴァール人は7世紀前半(628年)にコンスタンティノープルに遠征するも、失敗。アヴァール人の勢力が弱まり、ボヘミア(チェコ)とモラヴィア(スロヴァキア)がスラブ人の最初の国家を建てる契機となった。この後アヴァール人は再び勢力を取り戻すのだが、8世紀末の796年、カール大帝によって滅亡。この地のスラブ人が自立し、モラビア王国が建国された。しかしながら、10世紀初頭にマジャール人の侵攻を受け、モラビア王国は滅んでしまう。歴史博物館の最初の展示で見た、スロバキアが10世紀にハンガリーの支配化に入るという説明はここでつながった。

それにしても、7ユーロでこれだけ楽しめるというのは素晴らしい。すっかり満足して、博物館の外に出た。あたりは暗くなりつつある。駅周辺はお店も少ないし、早めにホテルにチェックインした方がよさそうだ。

1Lの水を買った。駅まで戻ってきたときには日はすっかり沈んでしまい、あたりはすっかり暗くなっていた。駅の周りで夕食が食べられそうな店はない。きっとホテルの周辺にもないだろう。仕方がないので、駅構内の店でケバブを買った。

これが駅構内とは思えないほどおいしい。量は少ないが、これぐらい食べておけば大丈夫だろう。

とりあえず腹は満たされたので、駅を出てホテルに向かい始めた。もう少し明るい時間にホテルに向かうべきだったと思う。橙色にぼんやりと光る街頭を片目に、少し不安な気持ちになった。

Googleマップによれば、ホテルは駅から歩いて20分ほどのところにある。スーツケースを持って歩道橋を渡り、車道にそって登り坂を歩んだ。スーツケースを引っ張るのに適した道ではない。ときおり地面は凸凹としており、その度にスーツケースを持ち上げなければならなかった。

15分ほど歩いた。そろそろ右に曲がる道が出てくるはずなのだが、そんな気配は全くない。道は延々と前方に伸びていく。おかしいと思ってGoogleマップを見ると、本来いるはずの道より一本左の道にいるではないか。そして、正しい道に移れる手立ても思いつかない。どこで道を間違えたのだろう。間違えるような複雑な道ではないのに。

とりあえず来た道を戻ると、横断歩道がある。とりあえず反対車線に行ってみた。とはいえ、ここからどうすればよいのか分からない。再び登り坂を登ってみた。

すると、途中から歩道がないではないか。ここまでの舗装された道は、雑草が生い茂った道に変わってしまった。ここを進めというのだろうか。日本では考えられないが、外国ではそういうこともあるのかもしれない。そう思ってスーツケースを持ち上げ、雑草の中を進んだ。

でもやっぱり1つ右の道に行けるような気がしない。だいたい、なぜ自分は膝丈ぐらいまで伸びた雑草の中を歩いているのか。さすがにおかしくなって、来た道を引き返した。

どうしたものか。午後は大いに楽しんだのに、ここに来てホテルに到着できないとは。最終手段はバスだ(というか、はじめからそうしておくべきだったのかもしれない)。

来た道をずいぶんと戻った。角を曲がって真っすぐ進めばブラチスラバ駅、というところでバス停を発見。とりあえず券を購入した。不安なので、周りの人にホテルの最寄り駅まで行くバスを確認した。幸いにも高齢のカップル(なぜか夫婦のようには見えなかった)が丁寧に教えてくれた。

数本のバスを見送り、ようやくホテルの最寄りを通過するバスがやってきた。中に入ると、ほっとした。ホテルの最寄り駅まではすぐだった。夜に知らない街を移動するときは、公共交通機関を利用するに限る。

バス停を降りると、それこそ街灯ひとつないところに投げ出された。再び不安に襲われたが、マップに従ってホテルにたどり着くことができた。ブラチスラバは今回の旅行の中でも非常に印象に残った都市となった。


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