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憂いのふるい

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マガジン

  • 台湾(2023.11.1~11.4)

    一人旅の記録です。

  • ソウル(2023.8.28~8.31)

    一人旅の記録です。

  • 広島・呉(2023.8.2~8.3)

    一人旅の記録です。

  • 香川・愛媛・高知(2022.11.27~11.29)

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  • 山形・岩手・秋田(2023.5.1~5.3)

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最近の記事

ブラチスラバ③[2024.2.24]

しばらく世界史の年号パネルに見とれていた。まだ展示は続いているので、奥に続く部屋に入った。土器がたくさん並んでいる。壁の説明を見ると、旧石器時代の説明がある。どうやら、旧石器時代から振り返りながらスロバキアの歴史を描こうとしているみたいだ。この博物館の気合いの入りようには脱帽する。せっかくだから、最初から見ていこう。 まず、旧石器時代。旧石器時代は人類の歴史の大半を占めている。最初に人類が現れたのは240万年前の東アフリカだった。彼らは次第に別の大陸に移っていった。彼らがヨ

    • ブラチスラバ②[2024.2.24]

      大聖堂を出て、灰色の石畳の坂を上った。坂道はブラチスラバ城へ向かう観光客であふれている。アーチをくぐって城の中に入る。弧を描くように道が続いている。右手の看板によれば、ブラチスラバ城に人が住み始めたのは紀元前のことらしい。1526年に城はハンガリー王の住居となる(1526年といえばモハーチの戦いだ。ハンガリー王兼チェコ王ラヨシュ2世がオスマン帝国に敗れたため、ハンガリーとチェコはオーストリア・ハプスブルク家の支配下に入ることになる、ということは今回の旅行記で何度か言及している

      • ブラチスラバ①[2024.2.24]

        朝、ブダペストのホテルを出てブダペスト中央駅に向かう。駅は大通りに沿っているので、道を間違えることはない。この日も空はどんよりと曇っている。夜の間に雨が降ったのか、道にはところどころ水溜りができている。だが、空気はそこまで冷え込んでいない。 スーツケースを引きながら歩いていると、不思議な形をした建物が道路を挟んで右手に見えてきた。向こうから手前に弧を描きながら反り上がる形をした建物と、それに対をなすように向こうからさらに奥へ反り上がるような形をした建物だ。地図で調べると、こ

        • ブダペスト②[2024.2.23]

          独房のようなホテルに閉じ込められてから、一晩が過ぎた。あともう1日、ここで寝泊まりすればこのホテルから解放される。そう自分に言い聞かして、身支度をした。 何も最悪なホテルに泊まっているわけではない。共同のシャワールームは温水がちゃんと出るし、同じ階に泊まっている人はすれ違えば挨拶をしてくれる。ただ、自分の部屋がサラミのような妙な匂いがするのと、あまりに簡素な作りであることに嫌気が差しているだけだ。   今日は丸一日自由に使えるので、ブダペストをのんびり見て回ることにした。

        ブラチスラバ③[2024.2.24]

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        • 台湾(2023.11.1~11.4)
          6本
        • ソウル(2023.8.28~8.31)
          6本
        • 広島・呉(2023.8.2~8.3)
          3本
        • 香川・愛媛・高知(2022.11.27~11.29)
          3本
        • 山形・岩手・秋田(2023.5.1~5.3)
          4本
        • 鎌倉・上野・日光(2023.2.12~2.14)
          3本

        記事

          ブダペスト①[2024.2.22]

          2月22日の朝は、まずコインランドリーで洗濯をした。コインランドリーはホテルから歩いて40分ぐらいのところにある。イメージしていたより遠かったのと、スーツケースごと持っていったのとで、疲れてしまった。洗濯を済ませてそのままウィーンを発つ予定だったので、荷物ごと持っていく必要があった。洗濯を待っている間、本を読んで過ごした。時折、人が入ってきてはドア近くの紙媒体を取っていく。近づいてみると、地域の広報誌みたいなもののようだ。 1時間ほどで洗濯と乾燥を済ませ、ウィーン中央駅に向

          ブダペスト①[2024.2.22]

          ウィーン②[2024.2.21]

          前日にシェーンブルン宮殿のチケットを買っておこうと思ったのだが、カード決済がうまくできずにいた。当日の朝早くに行けばそれほど並ばずに済むということなので、朝の7時頃にホテルを出た。ホテルから宮殿までは1時間半弱。朝から良い散歩になった。8時半開館で、8時20分頃に到着した。幸い、まだ5組ほどしか並んでおらず、すぐにチケットを購入することができた。 シェーンブルン宮殿はマリア・テレジア以降のハプスブルク家が夏の離宮として用いたとして知られている。音声ガイドを聞きながら、皇帝や

          ウィーン②[2024.2.21]

          ウィーン①[2024.2.20]

          リュブリャナのホテルで朝食を取る。簡単なサンドがエントランスにあったので、購入した。 決して美味しくはないが、噛みごたえが合って朝食には十分だ。このホテルは本当に素敵だ。部屋は綺麗だし、エントランスにはテーブルがいくつもあって、来客がカフェを楽しめるようになっている。長テーブルではパソコンを広げて作業をしている人もいる。センスの良いBGMも空間に彩りを加えている。 緑茶のセルフサービスがあったので、ポットからお湯を入れて飲んだ。一日でリュブリャナを去るのが惜しい。 チェ

          ウィーン①[2024.2.20]

          リュブリャナ[2024.2.19]

          14日から5日間滞在したイタリアを離れ、スロヴェニアに向かう。バスは10時半頃にヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港から発車する。 30分前に空港に着いたものの、バスの乗り場がわからない。空港のインフォメーションで訪ねたが、round cornerにあると言われただけで、よく分からなかった。 空港を出て、他のバスの係員に聞いてみると、「あそこにiマークが見えるだろ、普段はあそこに停まってる。まあ、自分のバス会社じゃないからわからんけど」と教えてくれた。 そこは、ロータリーの

          リュブリャナ[2024.2.19]

          ヴェネツィア[2024.2.18]

          今日はヴェネツィアへ。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅で7時20分頃出発の電車に乗り込む。 これから乗るのはフレッチャロッサ。昨日、ローマからフィレンツェに行く電車で車窓から見えていた、真っ赤な赤い高速列車だ。かっこいいと思っていただけに、これに乗れて嬉しい。 旅行の記録を書いて過ごした。途中、ボローニャあたりで窓の外に目をやると、霧で何も見えない。中部イタリアあたりは霧が深いみたいだ。 眠気に襲われて、気づいたらヴェネツィアまで来ていた。9時半前にヴェネツィ

          ヴェネツィア[2024.2.18]

          フィレンツェ②[2023.2.17]

          ミケランジェロ広場からフィレンツェの町並みを眺め、再びアルノ川を渡ってフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅まで向かった。 もう少し見て回っても良いのだが、観光地はどこも人でいっぱいなので、ホテルにチェックインしよう。駅に預けておいたスーツケースを受け取り、Googleマップで地図を確認し、だいたいの感覚で歩き始めた。 フィレンツェの中心部を離れるや否や、歩いていると少し暗い気持ちになった。道がさびれているとか、汚いとか、そういう訳ではないが、どこか寂しさを感じてしま

          フィレンツェ②[2023.2.17]

          フィレンツェ①[2024.2.17]

          今日はフィレンツェに向かう。テルミニ駅7時2分発の電車だ。まず、ホテルのあるトッレ・アンジェラ駅からテルミニ駅まで行かなければならないが、これが40分ほどかかる。したがって5時過ぎに起きた。ローマ中心部から遠いホテルをとってしまったことが悔やまれる。もっと近ければもう少し寝れていたのに。 なんだかんだ記憶に刻まれることになったトッレ・アンジェラ駅。改札を通り抜けたときは1人しかプラットフォームにいなかったが、ぞろぞろと人がやってきた。 電車に乗ってから数えたが、サン・ジョ

          フィレンツェ①[2024.2.17]

          ローマ⑤[2023.2.16]

          ローマ2日目。昨日は怒涛の1日を過ごしたので、今日はゆっくりスタートしよう。昼間はコートいらずの暑さなので、今日はホテルに置いていくことにした。身支度をして、ネットで明後日のテルミニ発フィレンツェ行きのバスを予約し、トッレ・アンジェラ駅に向かった。 坂を登ると細い道に出る。そこからまた坂を下ると駅校舎が見えてくる。昨日は手前の非常口から乗り降りできたので、今日もできるだろうと思って非常口まで行ったが、朝はまだ閉まっていた。仕方なく、ホームの向かいまで回り込んだ。朝でもあまり

          ローマ⑤[2023.2.16]

          ローマ④[2024.2.15]

          ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の前で写真を撮った。ぼちぼちホテルに向かおう。来た道を引き換えし、30分ほどかけてテルミニ駅まで戻った。 どの電車に乗ればよいかよく分からなかったので係員に尋ねると、メトロのA線に乗り、サン・ジョバンニ駅でC線に乗り換えだと教えてくれた。礼を言ってメトロの方に向かった。 メトロの入口を発見し、階段を降りていった。地下鉄の駅校舎内は薄暗くて汚い。決して気持ちの良い空間ではない。 みんな駆け足で階段を降りていく。電車の発車が近いのだろう

          ローマ④[2024.2.15]

          ローマ③[2024.2.15]

          指定された時間になったので、コロッセオの内部に通された。コロッセオは75年にウェスパシアヌスが造営を開始、80年に完成した。コロッセオ造営の背景にあったのは、厳しい緊縮財政に対する市民の不満だった。 60年代はローマにとって苦難の10年だった。64年にはローマの大火で広い範囲が灰燼と化したため、当時の皇帝ネロは新都市計画のために多額の出費をしなければならなかった(もっとも、ネロは私的な出費も多かった)。66年にはパレスティナで反乱が起こった。ネロは有能な将軍ウェスパシアヌス

          ローマ③[2024.2.15]

          ローマ②[2024.2.15]

          一日ぶりにベッドで寝られる喜びを噛み締めたにもかかわらず、昨夜はあまり寝られなかった。ローマに来てすっかり体が興奮しているようだ。乾燥で喉はカラカラだが、そのくせに洗った下着はまだ乾ききっていない。ドライヤーで乾かし、持ってきたカロリーメイトを食べ、身支度をした。今からテルミニ駅に向かう。ローマ中心部への入口は、テルミニである。 7時前にホテルを出た。外はまだ真っ暗で、空気は冷え込んでいる。道路を渡るとすぐにパルコ・レオナルド駅の入口がある。鉄格子の緑色の門だ。 向かいの

          ローマ②[2024.2.15]

          ローマ①[2024.2.14]

          ドーハを15時35分(日本時間で21時35分)に発つ便に乗り、イタリアのローマ空港(フェウミチーノ)に向かっている。移動は約6時間かかるが、ドーハはローマより2時間進んでいるので、現地につくのはイタリアの19時半頃である。羽田からドーハまでが約12時間だったから、6時間のフライトはだいぶ気楽に感じられる。 搭乗してからおよそ1時間後に機内食が出た。今回はパスタをお願いした。搭乗前にKFCに行ったばかりなので、正直お腹は空いていない。ただ、今日は他に何も食べないつもりなので、

          ローマ①[2024.2.14]