刑事事件でも「不当拘束」「見込み捜査」が横行していた平安貴族【律令国家の崩壊(5)】

 前回までで『墾田永年私財法』以降、荘園を中心に貴族たちが国家の私物化を行っていったことを見ていきました。しかし、貴族は国家を経済的に私物化しただけではありません。
 なんと、刑事司法(犯罪に関する捜査や裁判)までもが貴族の手によって歪められました。
 藤原氏を中心とする貴族たちは法律など無視して権力闘争に明け暮れていたのです。そして、そのことを告発した非藤原氏の貴族は不可解な失脚をします。

法隆寺を巡ってスキャンダル発生!

 承和12年(西暦845年)法隆寺の善愷というお坊さんが大スキャンダルを告発しました。
 少納言の登美直名という人が法隆寺を私物化している、と言うのです。
 これを聞いた藤原氏の人たちは「チャンスが来た!」と思いました。
 実は登美氏は「真人」という家柄なのに対して、藤原氏の家柄は「朝臣」です。律令においては一番高い家柄が「真人」で、その次が「朝臣」でした。
 そんな藤原氏以上の名門出身である大物政治家のスキャンダルです。早速、弁官局というところで取り調べが行われました。
 弁官局というのは、当時の朝廷の実務機関です。
 朝廷は左大臣、右大臣、大納言らの「参議」と呼ばれる人たちを中心に運用されていますが、彼らは大物過ぎて実務を直接行う訳ではありません。弁官局というのは、今でいうキャリア官僚の中でもエリートを集めたような組織であり、実務は主にここで行われます。
 弁官局の弁官は6人いるのですが、審議にはその中でも下っ端の伴善男が参加しませんでした。なので残りの5人の弁官で審議が行われます。
「とりあえず、証人の身柄を拘束しろ!登美直名の犯した罪を、たっぷり自白してもらわないとな。」
 5人の弁官は法的根拠もなく証人を拘束して「証言」を得て、登美直名を捕まえ
「お前が犯人であることは判っているんだ!お前は国家に災いをもたらす悪い奴だ!さっさと自白しろ、この逆賊が!」
と強引な取り調べを行い、有罪判決を下しました。
 が、このことが大問題となります。

不当捜査・不当裁判が逆に告発される

 実は、この取り調べに一人だけ参加しなかった伴善男は、わざと参加しなかったのでした。というのも、他の5人の弁官がマトモな裁判をするとは思っていなかったからです。
 この数年前、承和の変という事件がありました。これは当時皇太子であった恒貞親王に謀反の疑いがかけられた事件です。
 伴善男の父親はこの事件で流罪となり、伴善男は「犯罪者の息子」扱いされたのです。しかし、伴善男は自分の父親が無罪だと確信していました。
「あの事件では藤原氏の関係者も沢山いたのに、彼らの多くは左遷だけで済んで何の刑罰をも与えられていないではないか!なのに父上が有罪になったのはオカシイ!裁判が公正に行われなかったのだ!」
 そして、その時の裁判を担当したのが、今弁官局のトップである二人の大弁、正躬王と和気真綱でした。他にも藤原豊継という弁官もこの事件の裁判にかかわっています。
 さらに、伴善男と同じ小弁の藤原岳雄も事件の摘発に関与していました。伴善男からすると、同僚も上司も自分の父親を冤罪で有罪にした「親の仇」なのです。
 伴善男は上司や同僚が裁判の審議をしている間、この裁判が不当であるという証拠を集めました。すると、不正の証拠が出てくる、出てくる。
 弁官局が「被告人、有罪」の判決を出したその時、これまで審議に参加していなかった伴善男がやってきてこう言います。
「この裁判は違法ですぞ!」
「何を言っておる!これは我々が公正に裁判をした結果だ。審議に参加していなかった下っ端は黙っておれ!」
「ほう、そうですか。あなたがたは公正に審議されたのですな?」
「そうだとも。何か文句があるか?」
「では、これはどういうことですか?」
 伴善男はこの裁判の起訴状を持ち出しました。
「律令においては罪人を起訴する際、いつ、どこで、犯罪が行われたかを明確に記していなければならないはず。しかし、この起訴状はなんですか?犯罪が行われた日時も書かれていない!こんな曖昧な容疑で裁判を行うのは違法です!」
「そう細かいことを言うな。こいつはな、悪い奴なんだ。悪い奴を裁かないでどうする。」
「それも問題です。皆さんが最初から被疑者を犯人扱いして取り調べをしていたことは判っています。これは判決が下るまで国民を犯人扱いしてはならない、という推定無罪の原則に違反します。それとも、皆様は日ごろから推定無罪の原則なんか無視して、具体的な容疑もないのに有罪判決を下しているのですか?」
 曖昧な内容の容疑で起訴して、最初から犯人だと決めつけて裁判を行う、そのようなことが行われるのであれば、誰でも有罪にすることが出来てしまいます。事実、これまで弁官局はそうやって都合の悪い人間を犯罪扱いしてきたわけですが、当然そのようなことは違法です。
「さらに、今回の裁判には他にも様々な細かい手続き違反があります。令状もなく証人を拘束したことを始め色々な問題がありますが、何よりもこの事件で裁判を行う権限は、そもそも弁官局には無いはずです。」

馴れ合い判決で事件に幕引きを図るも・・・

 伴善男は5人の弁官を職権濫用で告訴しました。これで朝廷に激震が走ります。
 当時の朝廷のトップは左大臣の源常でしたが、彼は嵯峨天皇の子供です。当時は天皇の子供も母親の身分が低いと臣籍降下と言って、皇族ではなく臣下になることが少なくありませんでした。
 源常の身分は一人の貴族ですが、元皇族ということでどんどん祭り上げられて、ついには左大臣にまで祭り上げられてしまったのです。もちろん、祭り上げる方も彼に直接政治をしてもらおうとは思っていません。
 実際に政治をしているのは、大納言の藤原良房。弁官局の人間が全員罪に問われるなど、前代未聞です。全員有罪になると政権運営に支障をきたします。ここは何としてでも全員無罪の判決を下してもらわないと困ります。
 そこで良房が白羽の矢を立てたのが、明法博士(今の憲法学者)であり、刑部省(今の高等裁判所)の大判事でもある讃岐永直でした。
「讃岐博士、君は『令義解』を編纂するなど、法律学の権威として知られているが。」
 『令義解』は今の歴史家も使う律令の解説書です。
「畏れ多いことです。」
「それで君にお願いがある。今の弁官局の事件であるがな、私は無罪の判決を下したいのだが、君に判決文を書いてもらえるかな?君の聡明な知識で無罪判決を下してほしいのだ。」
「判りました。5人の弁官を全員無罪にすればよいのですね?」
 讃岐永直も学者である前に、役人です。上司には逆らえません。学者としての良心を押し殺しながら「5人は無罪であるとするのが妥当である」という報告書を書きあげました。

律令の権威・讃岐永直の失脚

 すると、同じ明法博士の御輔長道が讃岐に言います。
「ちょっと、この報告書は讃岐さんらしくないぞ?刑事訴訟の手続きを守ることも、推定無罪の原則も、ずっとこれまで君が大切にしろと言っていたことじゃないか!」
「うるさい!そんなこと、私だって判っている!だが、藤原良房様に逆らう訳にはいかんだろ!」
 ところが、讃岐の部下までもが言います。
「博士、いつも言っていることとやっていることが違うじゃないですか!ここは正々堂々、有罪判決を下すべきです!」
 これを受けて、讃岐永直も無罪とした報告書を撤回し「罰金刑を下すのが妥当」という報告書を太政官(政府)に提出します。
 しかし、伴善男はこの結果に満足しません。
「この5人は私利私欲から法律を捻じ曲げたのですぞ!罰金刑だけだと官位を失わないではないか!あまりにも軽すぎる。」
「いやいや、伴善男殿、彼らもわざと今回のミスを起こしたわけではありませんから。」
 讃岐永直は必死で擁護しますが、それで引く伴善男ではありません。
「不当な裁判を行っておいて、ミスで済むのですか!それで官位も失わない?そんなバカな話があるものか!」
 さらに、一説には「閻魔大王の助手としてあの世で裁判をしている」という噂があるほどの、法学の権威である小野篁も伴善男の肩を持ちます。
「そもそも、5人は権限もないのに裁判を行ったのですから、官職はすべて解任するのが妥当でしょう。」
 伴善男や小野篁の主張は、明らかに正論です。これを封殺することは流石に分が悪い、と藤原良房も考えました。
 結局、藤原良房も小野篁の意見を受け入れ「彼らが私利私欲から不当判決を下したかは判らないが、権限もなく裁判を行ったことは問題なので官職を解任する」という判決を下します。
 そして、藤原良房は讃岐永直に責任転嫁しました。
「讃岐永直らは5人の弁官の罪を不当に軽くしようと報告した。悪いのは彼ら明法博士である!」
 讃岐永直の権威は丸つぶれ。小野篁は逆に人気者となります。(そこから閻魔大王云々の伝説も生まれたのでしょう。)
 表向きは公平さを保った形ですが、藤原良房は内心では伴善男への怒りに満ちていました。

応天門の変「冤罪判決」で藤原氏支配が固まる

 こうして伴善男は出世し大納言にまでなりましたが、これで黙っている藤原氏ではありません。
 藤原良房は表向き公正な人間を装いつつ、ずっと伴善男失脚の機会を伺っていました。
 そんな中、平安京の応天門が火事に遭います。放火か天災かもわからないまま、数か月間捜査が難航しました。
 伴善男にとって運が悪いことに、ちょうどその時期、彼の家来が殺人事件を起こしてしまいました。
 伴善男の家来である生江恒山という男、自分の子供が大宅鷹取の娘と喧嘩しているところを見てしまいます。
 自分の子供がやられているのを見て生江は怒り心頭、相手が女の子なのも忘れて蹴り飛ばしてしまいます。当たり所が悪くて大宅鷹取の娘は死んでしまいました。
 当然、大宅鷹取も激怒しますが、相手は有力者の家来。関係者全員に地獄を見てもらわないと気が済みません。
「私は大納言たちが応天門に放火したのをこの目で見ました!実行犯の一人が生江恒山です!」
 大宅鷹取がそう告発すると、藤原良房らは喜んで伴善男を息子や家来たちともども捉えます。
 伴善男は中々罪を認めませんでしたが、取り調べの担当者が生江恒山に拷問を行って放火を行ったという証言を得て、さらに伴善男にも
「すでに息子が自白しているぞ!(※実際にはしていない)」
という虚偽の事実を告げて「自白」させます。
 無論、証言者が中立ではない上に、虚偽の事実を告げての「自白」は近代の裁判では証拠能力がありませんから、今の時代にこれをやると明らかな「冤罪事件」だと見做されます。
 しかし、そもそも従来から不当裁判を常習的に行ってきた藤原氏です。最初から公平な裁判など、行う訳がありません。
 太政官は伴善男らに死刑判決を下しました。慣例により罪を一等減じて流罪としましたが、これは今でいう終身刑です。
 こうして伴善男は父親に続いて自分も冤罪で失脚し、神武天皇の時代(日本が出来たころ)から続いている名門の伴氏は力を完全に失いました。そして、藤原氏の力は却って強くなるのです。
 ところで、こうした事件は氷山の一角であって、このような不当裁判は当時珍しくなかったものと考えられます。政府が法を守らないと当然、国民は誰も法を守らなくなります。
 律令国家の崩壊はこうした遵法精神の低下も一因です。律令は天皇陛下の権威によって成立していますが、藤原良房の次の代になると、藤原氏はその天皇の権威すらも踏みにじるようになります。(続く)

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