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泉健太先生を「令和の浅沼稲次郎」にしてはならない

 立憲民主党を「第二の社会党」と評価する人間は、多い。
 立憲民主党は、保守派の旧国民民主党とリベラル派の旧立憲民主党とが対等合併してできた政党であり、旧立憲民主党の枝野幸男前代表にしても民主党時代からの伊勢神宮集団参拝の伝統を続けるなどしており、党としての伊勢神宮集団参拝はしなかった社会党よりかは“保守的”であること、明白だ。
(もっとも社会党の村山富市委員長は総理大臣時代に伊勢神宮に参拝しているし、また日本維新の会は何故か伊勢神宮集団参拝をしていないことは、付記しておく必要がある。)
 とは言え、社会党も実は当初から「左翼政党」だったわけでは、無い。
 社会党の結党大会は「天皇陛下万歳」が三唱されるほど、保守色の強いものであった。
 社会党右派を象徴する人物がいる。彼は結党大会でも「國體擁護」を訴えていた。
 その名は、浅沼稲次郎。私の尊敬する政治家の一人である。
 浅沼稲次郎先生を見ると、どうしても泉健太先生と被ってしまう。
 浅沼稲次郎先生は保守系新宗教の生長の家の信徒であったが、泉健太先生もPL教団の元信徒が設立した保守系の修養団体である実践倫理宏正会に所属している。
 また、浅沼稲次郎先生が「國體擁護」「天皇陛下万歳」を訴えたのに対して、泉健太先生は「皇室の弥栄」を伊勢神宮で祈願した。
 しかし、何よりも本人の思想が政局により軽視されがちであったことこそ、2人の最大の共通点であろう。
 浅沼稲次郎先生が社会党の委員長になる直前、同じ右派の人間が離党して民社党と結成した。右派の人数が激減した中、浅沼先生は左派の支持も集めて委員長に就任した。
 奇しくも立憲民主党結党の際、旧国民民主党の民社協会(旧民社党系)は立憲民主党への参加を拒絶した。そして、泉健太先生も旧立憲民主党側の推薦人を得た上で代表に就任している。
 こうした経緯により、浅沼稲次郎先生も泉健太先生も、どちらも本人の思想以上に左寄りであると認識されている。
 だが、そうした認識が成立した最大の理由は、保守票を最大野党に奪われたくない自民党と最大野党を左一色に塗りつぶしたい左翼勢力との、共同謀議であろう。
 浅沼稲次郎先生が暗殺された結果、社会党には右派の議員もいたものの、彼らの活躍する余地は少なくなった。
 立憲民主党は、同じ運命をたどっては、ならない。
 最大野党が左翼一色になって喜ぶのは、保守票を固めて政権を盤石なものと出来るようになる、自民党だ。

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