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全世界のみなさんこんにちは、こんばんは。

最近ニッチな番組に転々と出られている成田悠輔さんに驚いている今日この頃です。

さて、今回は円安世界的インフレーションの加速、そして我が国日本国では「景気停滞を意味するスタグネーション」と「物価高騰を意味するインフレーション」それぞれを掛け合わせた「スタグフレーション」という教科書で少し触れたらしのだが、そんな経済恐慌が目の前で起こっている。
という現実に一度目を背け、過去への憧憬ノスタルジアに浸る為に、古代ギリシャにまで教えを被ろうとソクラテスの弁明を読んでみました。

はじめに

一度は耳にしたことがあるソクラテスという人物、いまから2400年余りも前に死んだ哲学者。
ソクラテスは自身の著作を1冊も残していません。

それでも彼は、弟子たちや彼と交わった人から後世に語り継がれ彼の思想や言動は2400年以上の間多くの人に影響を与えつづけている。

そのソクラテスの弟子を代表するのが、生前から共に交わった弟子プラトンである。
このプラトンが残した「ソクラテスの弁明」を読み解き、ソクラテスという人間の思想を知ることで、哲学とは何か、これからの人生をどう生きていけのか?の人生観に一つの答えを導き出してくれるかもしれない。

ソクラテスの生涯

ソクラテスが生まれたのは、ギリシャ、アテナイである。
ペルシア戦争が終わって十年後の前469年のことでした。

若い頃のソクラテスは自然研究に関心を持っていましたが、後半生は人間の問題に関心を移し、毎日、多くの人と対話をして日々を過ごしていました。

アテナイでは、家柄や財産とは関係なく、能力があれば国事にかかわり、頭角を現すことができる時代、民主主義の時代でした。
そこで人々、特に青年たちは、何とかして能力を身につけ、国家有数の人物になろうとしました。
この要望に応えるべく登場したのがソフィストです。
彼らソフィストは授業料をとって、青年たちに国家有数の能力を授ける約束をしました。
その能力の実質的な中核であるのは言論の能力、弁論術でした。

ソクラテスは、そのソフィストに対し対話を用いた問答を行い、ソフィストの相対主義的な思考を厳しく批判しました。

そんな中、前399年民主制のアテナイ(今のアテネ)でメレトスという青年が、国家の認める神を認めないという不敬神の罪と若者を墜落させる罪でソクラテスを告発しました。

ソクラテスを告発したメレトスは、まだ若く人に知られておらず、髪の毛はまっすぐであり、髭は少なく、やや鉤鼻だったと伝えられていますが、ソクラテスはこのメレトスのことをよく知らないといっています。

アテナイの法廷は陪審制でした。
法廷ではまず、原告側の弁論、次に被告側の反対弁論がされます。
それぞれの弁論が終わった後、合議することなく、ただちに有罪、無罪のいずれかに投票されます。

裁判の結果、ソクラテスに死刑判決が下されました。
すぐには、死刑執行は行われませんでした。
判決後は、友人たちは連日監獄に通い、ソクラテスに逃げることを強く勧めます。
何とかソクラテスを救い出そうと、国外への逃亡を勧めましたが、ソクラテスは熱心な勧めを断り、いつもと同じように彼らと対話した後、毒杯を仰いで死んでいきました。


ソクラテスの徳

ソクラテスは説得ではなく、聴衆の思惑に迎合するわけでもなく、真実を語ることを重視しました。

徳とは何か?弁論術を学ぶことで国家有数の人物になることよりも重要なことがあるのではないか、人間としての徳とは何かをといました。

ソクラテスは「魂が優れてあること」こそが、人間としての徳(アレテー)であると考えたのです。
誰もが幸福であることを願います。
そのためには財産、地位、名誉を得て、健康で美しくならなければならないと考える人は多いでしょうが、それらはそれ自体ではよいものでも悪いものでもありません。
魂、心、精神が優れていればこそ、それらは善きものになります。

「善」というのは「ためになる」「有益である」という意味です。
たとえ巨万の富を得ても身を滅ぼす人はいるもので、そのような人にとって富は善ではなく、「悪」、つまり「善」の反対で「ためにならない」ものになります。

正義についていえば、自分が正しいのかといえばそうではないでしょう。
誰かが恣意的にこれは正しい、これは正しくないと決めることはできないということです。

ソクラテスは自分は知っていると思い込んでいる人には厳しくその知を吟味し、実はその人が何も知らないということを明らかにしていきます。


ソクラテスの弁明

誰よりも正義の人であったソクラテスが死刑になったことに衝撃を受けたプラトンが、なぜソクラテスは死刑になったのか、ソクラテスが裁判で何を語ったかを伝え、ソクラテスの生き方を明らかにしようとしたのが、『弁明』でした。

ソクラテスも原告の訴えに対して無罪を主張し、哀れみを誘うようなことをすれば、死刑を免れたかもしれません。
しかし、無実を確信するソクラテスはそういうことはしませんでした。
それどころか裁判員を挑発しているような言論もあります。
行われた票決では、大差で死刑が確定しました。

——弁明の前に真実を語ること——

ソクラテスにとって重要なことは、話に説得力があるかどうかではなく、「真実」が語られているかどうかです。

ソクラテスは対話をすることには、慣れていても、一人で長く話すことは得意ではなかったかもしれません。
ソクラテスが「善さ」と理解する弁論家は、真実を語る弁論家でありましたが、一般的には説得することが弁論家の「善さ」と考えられていました。

ソクラテスが人々と行っていた対話では結論が先行することはありません。
たとえば、何らかの議論として「勇気とは何か」と勇気を定義するための対話が始まりますが、最後には「勇気とはなにか」私たちは知らないというところで終わるのです。
そこに至るまでも、対話は対話者間で合意するという手続きを踏み、確認を取りながら進められます。
結論に至らなくても、結論ありきの討論とは違って、議論そのものも真理に近づくのです。


デルポイの神託

デルポイにある神殿には、音楽、弓術、医術、予言などをつかさどる神であるアポロンが祀られていました。
当時の人々は個人的なことだけでなく、国事も巫女ピュティアを通じて神託を伺っていました。
ソクラテスの若いころからの仲間だったカイレポンがこのデルポイへ出かけ、ソクラテスよりも知恵のある者が誰かいるかどうかたずねました。

カイレポンが巫女ピュアティから受けた答えは「ソクラテスよりも知恵のある者は誰もいない」というものでした。
アポロンの神託はソクラテスには思いもよらないものでした。

ソクラテスは神託のことを聞き、自分は知者ではないことを自覚しているのに、一体神は何をいおうとしているのか。
しかし、神は噓をつくはずはないと考えていたので、神託はソクラテスにとって「謎」になったのです。
ソクラテスは、神託がどういう意味なのかを自分で理解し、納得しなければならないと考えました。
自分よりも知恵のある人を見つけることができれば、神託に反駁できると考え、まず、知恵があると思われている政治家のところへ行きました。

その政治家と話してみて何がわかったか。
実際にはその人は知恵がないのに、知恵があると思っている。
私も知らないことは知らないが、事実知らないのだから知らないと思っている。
知らないことは知らないと思っているという点で私の方が知恵がある、と。
そうソクラテスは解釈しました。
政治家は自分には知恵がないということを明らかにされてソクラテスを憎しみましたが、ソクラテス自身は神託を解釈することができました。

ソクラテスは自分が憎まれていることに気が付いていても「神のことをもっと大切にしなければならない」と考え、神が何を言っているのかを明らかにするために、何かを知っていると思われている人のところを訪ね歩き問答を繰り返しました。

若い人達もソクラテスを真似て、他の人を吟味し始めました。
若い人に吟味され、自分が無知であることに思い当たった人は、ソクラテスに腹を立てました。
そして、ソクラテスは若者たちを墜落させているというようになったのです。


メレトスへの反駁

ソクラテスは若い人を良くするのは誰かとメレトスにたずね、メレトスは「ソクラテスを除くすべての人だ」と答えます。
しかし、ソクラテスはこの答を否定します。
「馬についていえば、馬を善くするのは馬事に明るい人、馬について専門的知識のある人、馬のことに心得がある一人か、少数の人が馬を善くするので、多くの人は馬を扱うと駄目にする」のではないかといいます。

若者たちについては、ソクラテスただ一人が彼らを墜落させ、他の人は益を与え善くするということは———そういうことがあれば大変幸福なことだ——あり得ないことになる。

ソクラテスは告発者に対する弁明をした後、自分を有罪にするのは、多くの人たちの中傷と嫉妬だといっています。
「中傷と嫉妬が他の多くの善き人を有罪にし、これからも有罪にするだろう」と。

それでは、なぜ死の危険を冒してでも、今まで通りの生き方をやめないのか。
ソクラテスは、自分がすることが正しいか正しくないか、善き人がすることなのか悪しき人がすることなのかだけが重要なのであり、生きるか死ぬかという危険は勘定に入れないと答えます。

自分の生き方が裁かれようとしている今、自分が考えるのはそれが正しいか
否かということだけであって、死の危険は考えないといっているのです。


ソクラテスと哲学

「死を恐れるということは、諸君、知恵がないのにあると思っていることだからだ」
「死はひょっとしたら人間にとってすべての善きものの中で最大のものかもしれないのだ。それなのに、悪いものの中で最大のものであると知っているように恐れているのだ」
ソクラテスが他の誰かよりも知恵があるとすれば、死は何かを知らないのでその通りに知らないと思っているという点であるといいます。

ソクラテスは獄中の中で「もっとも大切にしなければならないことは、ただ生きることではなく、善く生きることである」といっている。

自分より優れた人に従わないことが悪であるということについても、神であればともかく、人間についていえば、誰かが自分よりも優れた人間かどうかはわかりません。
ソクラテスは神に従い、自分自身も他の人たちも吟味して、知を愛し求めて生きていくことを選びます。
この「知を愛し求める」というのが「哲学」という言葉の元々の意味です。

財産、名誉、地位、健康、美貌、などはそれ自体では「善」であるかは自明ではありません。
それらを所有していても幸福にはなれず、それどころか人を不幸にするかもしれません。
幸福になるためには、それらが善である、つまり、ためになるかどうか、また、それらをどう使えば善になるかを知らなければならないのです。
これが知恵や真実に気を遣うということの意味です。

この善悪の知が魂を優れたものにし、魂が優れたものであることが徳をもっていることです。
ソクラテスはこれが人間としての徳であると考えたのです。


嘆願しないソクラテス

ソクラテスの弁明後、有罪、無罪の票決がされました。

投票総数 500票

有罪 280票

無罪 220票

有罪となりました。
ここまでも裁判の経過を読むと、ソクラテスの弁論は稚拙であると言わざるを得ません。
有罪になるか無罪になるかにはあまり関心がなかったように見えます。

ソクラテスには譲れないものがありました。
それは絶対の正義で、その正義を貫くためにお涙頂戴の弁論をすることはまったくかんがえていなかったのでしょう。

真理を語ることこそが重要だと考えるソクラテスは哀願も嘆願もしようとはしません。

形の最終対案 ——— 罰金
量刑の票決は次のように決まりました。

投票総数500票

死刑 360票

罰金 140票

これによってソクラテスの死刑が確定しました。

裁判を傍聴していたプラトンは、死刑判決を受けるのを見て、アテナイの民主制に対し批判的になっていたでしょう。

ソクラテスは裁判中、何度も「騒がないでくれ」といっていますが、原告と被告の双方に大声で称賛したり、非難したりしながら判決を下すとすれば、「大衆のやじり声、粗野な叫び声、あるいは称賛を表す拍手」が万事を決めることになるからです。

ソクラテスが、真実を語っているかだけに注意を向けるようにと話した背景には、裁判は500人の裁判員で構成されていたが、判断力には違いがあり、誰もが確たる知識を身につけているわけではないことがあります。
多数決は最善を選ばない代わりに最悪を選ぶことはなく、民主制は権力が細分化されるので、あらゆる点で弱体であって、善きにつけ悪しきにつけ、大きな力を振るうことができない政体であると考えています。

裁判の時、ソクラテスは70歳なので、死刑にならなくても有罪投票をした人達が望んだことは起こったであろうに、長くもない時間のために、知者であるソクラテスを殺したとと非難され、その責任を着せられるだろうといいます。
無罪になるために、嘆いたり、泣き叫ぶというようなことをしなかった。
死を逃れることは難しくない。早く走ればいい。
しかし、悪をさせることはもっと難しい。
悪は死よりも速く走るからです。
ソクラテスは歳を取り、足が鈍いので死につかまりましたが、告発者たちは足が速いので悪に捕まったのです。
彼らは「真実」によって裁かれるのです。


死について

ソクラテスは、死が善いものという希望があることを次のように考えようと言います。
死は次のうち2つのどちらかである。
まったく無のようなもので、死者は何一つ感覚がない状態になることか、それとも、魂がある場所へ移り住むことかどちらかです。
前者であれば、夢ひとつ見ないで熟睡できた夜は他の夜と昼とを比べると「儲けもの」だとソクラテスはいいます。
他方、死がこの世からあの世へ移り住むことであり、その上、あの世には本物の裁判官がいるのならこれよりも大きな善はないとソクラテスはいいます。
不正な判決を受けた人と自分の経験を比べることも、また、「何よりもそこで対話をし、吟味することができ、そうしたからといって死刑にされることはないだろう」とあの世での幸福で、かつ不死であるい生き方についてソクラテスは語っています。

誰も死を知らない、死はひょっとしたら人間にとってすべての善きものの中で最大のものかもしれないといっていたように、たとえ死がどういうものかわからなくても、死に対して善い希望をもつことはできるでしょう。


ソクラテスの最期

敬が執行されるその日、ソクラテスの親しい仲間たちが、朝早くから夕暮れの執行まで牢獄で言葉を交わします。
刑の執行といっても、ソクラテス自身が自ら毒を飲むのです。

「神々に祈るだけなら許されるだろう、そうしなければならない。この世からあの世への移住が幸運なものになるように、と」
こういうと、ソクラテスは盃を口に持っていき、いとも無造作に楽々と飲み干した。
親しい仲間たち、プラトンらは涙を抑えることができていたのですが、ソクラテスが飲むのを、そしてすっかり飲まれた姿をみると、もう駄目でした。
プラトンら仲間たちは、どっと涙を溢れさせ、顔を覆って嘆きました。
なんという友を奪われてしまったのかと。

ソクラテスは、歩き回っていましたが、やがて足が重くなってきたといい仰向けに横たわりました。
ソクラテス最後の言葉「クリトンよ、アスクレピオスに鳥一羽の借りがある。忘れずにお返しをきっとするように」
「そうするよ、だが、他に何か言うことはないかね」と
クリトンがこう尋ねたとき、ソクラテスは何も答えられませんでした。

古代ギリシャ哲学、哲学の父といわれたソクラテス。
古代ギリシャの人々の中でっもっとも優れた、もっとも知恵があり、もっとも正しい人の最期でした。

終わり



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