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キオクノート #あとがき

やり残した未来につながる仕事、ぼくにとっては農業でした。料理も含む、ですもちろん。この2つはすでにつながっているものなので。

流行りの感染症は全然おさまらず、正解もわからないままですが、災害が起きた時にいつも思う同じような感情が今のぼくには湧いてきています。未来に向けて考えるべきは「食」だと。

最終回を書いておいてなんなんですが、付け足しのように思い出したあとがきにしてそれを書いてみたいと思います。

未来のための仕事がしたいと再び思えたのは、老人ホームで働けたからだと思います。料理をするという事では調理場は食事の場にはどこにでもあり、優劣が存在するとはぼくは思っていませんが、それを誰に提供するかは場所に大いに左右されるものです。

老人ホーム、とりわけぼくが料理を作っていたのは特別養護老人ホームなので基本的に疾患を要する高齢者さんなわけです。この感染症騒動以降それはそれは神経をすり減らす対策が施され、ぼくが辞める時点で幸いにもその施設で感染者は出ていません。

ただぼくが滅入ってしまったのは、昨日まで食事を提供していた方が次の朝食時にはいない、つまりお亡くなりになっている事でした。しょっちゅうある事ではもちろんありませんし、毎食100以上作っていますし名札と顔が一致しない方の方が多いのですが、死去の情報を知らせるのは施設から厨房へ届く一枚の紙。食事の数を減らす旨が書かれたそれの理由欄には死去に丸がしてあります。直接的でないけれど祖母を亡くして仕事を変えたぼくには結構こたえました。

老人ホームの食事作りに未来がないと言っているわけではなく、命が消えてしまう現場がまだぼくがいるべきじゃないと感じてしまった。ぼくがしたいのは食の世界で何かを生み出してそれを未来につなぐこと。結局倒産前と考え方は変わらないみたいです。それで今ぼくに出来る第一候補が農業なわけです。

店も会社も手放したけど唯一残った祖母から引き継いだ農園。祖母なき後母が一人で管理してくれてましたが1年半の間ぼくは畑をほったらかし、野良仕事はほとんどしてこなかった母には全面積をみれるはずもなく、久々帰ったらほぼ草むらになってました。

今はそれを全て整備して気温が上がるのを待つばかりまで整備しました。新しい畑も手に入れたし、先輩農家さんからSNSなどでヒントもたくさんもらって以前より生産量は上がりそうです。以前は飲食店さんたちに買っていただいてましたが、一般の方にも書いやすく思考を巡らせています。

ぼくのルーツと信じている作物を作るということ、それを活かす料理を勉強したこと、そんな食の世界でぼくの料理の知識と技術が必要ならそれもたっぷりとそこに注入させていただいて、農と食、コレをなんとか未来につないでいきたいわけです。

決意表明みたいになったところであとがきとさせていただきます。農園の日々や小規模農園の始め方(ネット上にはプロ向け農業のハウツー全然ありません)みたいなのも書いてみたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。マガジンもちらっと見ていただけるとうれしいです。