2020年、noteをはじめます

長らく閲覧専門だったnote。

今年は自分でも気ままに書いてみようと思い、まずは新年の挨拶的なものをFBに投稿したので、それをこっちでもすこし編集してみました。

私の2019年は本当に濃密で、どれくらい濃かったかというと、いま私の目の前にある、スタバの飲み物
“ 抹茶ティーラテ/抹茶パウダー多め/シロップはモカシロップに変更 ”
に匹敵、いやそれをも凌ぎ倒すくらいの勢いだったなぁと思う。

いちばん大きかったのは、親に対しての想いの変化だ。

私はこれまでの人生において、家族団欒でのごはんや、一家でワイワイ旅行を楽しむ、といった記憶がほとんどない。一般的な「愛に溢れた家庭」からはほど遠く、仲の良い家族らしいことってあまりなかった。…と、つい最近までそう思っていた。しかし、昨年8月に母が入院して以来ほんの少し、いやかなり気持ちに変化が生まれてきたのである。

突然の入院から数週間。土日も含め、仕事に忙しい私と、年頃の子どもを育てているパート主婦の姉が、週に1〜2回ほどしかお見舞いに行けないなか。今年70になる父は、病院まで自転車で20分の道のりを、雨の日も風の日も毎日ヨロヨロとお見舞いに通っていた。唯一お見舞いに行かなかったのは、昨年の巨大台風襲来のときだけだったと思う。そんな父と、父が来るといつもホッとした表情になる母を見て「うちのお母さん、めちゃめちゃ父に愛されてるし、お母さんもお父さんに愛されてめちゃくちゃ嬉しそうじゃん。」ってことを実感したのだ。

私は、父母がきちんと互いを大切に想いあっていることを子が肌で感じることって、子どもにとって何者にも変えがたい幸福だと思っている。そして、それ以上に親が与えられる価値ある教育って、ちょっと他に思いつかない。30代前半にして、それを両親の姿から感じ取れたことは、本当に、本当に大きな出来事だった。
(これまでもその姿はあったはずなのだけど、私が受け取る態勢に無かったってのもある)

母は相変わらず入院中で、まだまだ不安なことが漂う我が家。しかし、母が倒れてから感じた後悔、「どうしてあの時もっと親と向き合わなかったのだろう」は、できることなら二度と味わいたくない感情だ。

そして、そんな母の面倒を見ながら暮らすという、唯一の生きがいを失って元気をなくしている父(決して本人はそう見せないけど)との時間をできるだけ大事にしていきたいと思えたのは、私にとってとても大きな変化だ。

3〜4年前までは、まさか自分がこんなふうに親を慈しむ?ことができる日が来るなんて、0.000001ミリも想像できなかった。

だって、社会人になって十数年、私にとって最も大切だったのは「社会的にどれだけ必要とされるか」であったし、そのために、自分が一生誇りを持ってできる仕事を探し続けた。それが見つかったいまも、この仕事を続けて長くお客様にとって役に立つ存在でいるんだ、という思いが強すぎる。揺るぎないんだ。

一方で、自分の人生において、ほんとうに大切なものは何か。 今の社会的な立場、肩書き、所属、信用、すべてを剥ぎ落とされたとしても残るものってなんなのか。

そんなことと向き合いながら、その答えのない問いに、少しその答えの片鱗が見えてきた、2019年であったように思う。

2020年は、「ほんとうに大切なものを、しっかりと大切にする。」を自分の中に強く持って、関わってくださる方がたとのかけがえない時間を過ごしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?